http://news24.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1213762700/l50
子どものころ、ダンスの勉強のためロサンゼルス(Los Angeles)に移り、
その後14歳で伝説のバレエ団「バレエ・リュス(Ballet Russe)」に入団する。1939年、第二次世界大戦が勃発で
バレエ・リュスが解散するまで、チャリシーは出演演目に合わせて名前を数回変えながら同バレエ団の欧州巡回公演に同行した。

映画デビューは1942年。リリー・ノーウッド(Lily Norwood)の芸名で『Something to Shout About』に端役で出演した。
1945年にMGMと7年契約を結ぶまでは、芸名を何度も変えた。その後『ジーグフェルド・フォリーズ(Ziegfeld Follies)』で
アステアと踊ったのをきっかけに、ダンサー役として多くの映画に出演するようになる。

■『雨に唄えば』の出演からミュージカル映画スターに

ハリウッド大手スタジオのミュージカル映画がかつての勢いを失いかけていた時期、チャリシーは『雨に唄えば(Singin' in the Rain)』で
ケリーを誘惑する女性を演じ、一躍注目を集めた。せりふもない脇役だったが、ケリーの帽子をハイヒールのつま先にかけ、
足をまっすぐに伸ばした印象的な登場シーンは、ケリーだけでなくカメラも虜にした。

その後、ヴィンセント・ミネリ(Vincente Minnelli)監督の『ブリガドーン(Brigadoon)』でケリーの相手役に。
『バンド・ワゴン(The Band Wagon)』や『絹の靴下(Silk Stockings)』ではアステアと再び共演した。

しかし、大手スタジオ多くの制作費をかけたミュージカル映画から撤退し始めると、チャリシーも脇役での出演が増えいていった。
そんな中、チャリシーはフランスへ渡り、最後のミュージカル映画となった『ブラック・タイツ(1-2-3-4 ou Les Collants noirs)』に出演した。

チャリシーは2004年のインタビューで「大声を上げるのは私のスタイルではない」と答えている。
さらにチャリシーを「美しいダイナマイト」と呼んだアステアは、少し謎めいた言葉を残している。「シド・チャリシーと踊るときは、踊らされているんだ」
>>3-5辺りに続く)