「自由」という言葉には「今まで拘束されてきたものから開放される喜び」を示すニュアンスがある。
今の日本は、言論も労働も家族も拘束するものが無くなった。
そのかわり、拘束どころか「あっそ、所属する気が無ければ来ないでください。所属から去る人は追いません。」という感じで、
いつ自分の居場所が一つ、二つ・・・とすぐに無くなるような状態になった。
自分にとって「自由」という言葉が
自分の居場所である社会の拘束から開放される喜びの無い、
むしろ自分が社会から必要ともされず自分の存在を無視される虚しさを感じてしまう。

サカキバラセイトが「透明な自分の存在」が嫌で犯罪を犯した。
俺は犯罪を犯す気は無いけれど、このまま「俺は自由」と言いながら
誰にも関心をもたれない、まるで自分の存在価値が最初から無かったかのような
「透明な存在」の自分で生きていきたくない。