自分が、天台宗の行院(僧侶育成道場みたいの)で修行したときの話なんだが。
個人的に泣けただけなので、流してくれて良い。

実家が寺。両親は在家で祖父がやってた。自分は僧侶なんてやりたくないから大正大学には行かず、職業も公務員を選んだ。
でも、自分が継がなかったら代々の寺が無くなってしまうし、帰る田舎もなくなってしまうから得度だけは済ませた。
30越えて、ようやくさ。そしたら、祖父が死んだのさ。
あっけなくさ。
ふざけるなって感じだった。何一つ知らないのに何が出来る?と思った。仕方なく、仕事を辞めて行院に行った。
着物の着方から、一から順番に教えてくれる時期だからってことで秋に。
でも。行院の門をくぐった瞬間から(誇張でなく)怒号の嵐。着物の違いもよく分からないのに。
行院って二ヶ月あるんだけど、初日から怒鳴られ、殴られ、蹴り落とされ、引きずり出され、胸ぐら捕まれて一時間近く怒鳴られ、机の引き出しを投げ付けられ、食器が投げられ、兎に角ずっと目の敵にされ続けた。
同じようにやられ続けた奴は、潰れて下山した。もう、どうしたらいいのか分からなかった。同期の人間はみんな、住職だったり子弟だったりで、声明だろうと作法や読経だろうと何でも出来た。
最初の頃は教えてくれたよ、でも、どんなに自分が出来るようになっても、ずっと攻撃され続けていたから、愛想が尽きたんだろうね。
その内、誰とも会話しなくなった。当然、何も上達しない。起床して最初に思うのが『死にたい・逃げたい』だった。
『殺したい・燃やしたい』とも思ったよ、第二次仁和寺事件起こしてやろうかと思って護摩木が捨ててある場所に、燈籠用の油をまき散らしたこともあった。
線香に火を付けてそこに投げ込んだこともあった(火は着かなかったけど)。
今思えばバカな真似なんだけど、その時はもう、何か事件が起きれば修行もうやむやになって終了するんじゃないかって思ってた。
でも、何も起きなかった。起こそうとしても、何も起きない。あるのは、毎日の暴力と暴言の嵐。
学校なら、家に帰ればいいけど、ここは逃げられない。四六時中、攻撃の的。
下山してしまったら、期待してくれた人に迷惑がかかると思ってた。だから、ずっと『死にたい』が強かった。
でも、死んでしまったら迷惑どころか完全な敗北だと思った。だから、死なず、逃げず、出来ない我慢を続けていた。
それでも、それでも、ついに耐えきれなくなって下山を申し出ようとした。
『もう耐えられない、やめる!』て叫んだ。
そしたらさ、あんまり会話したことない同期が『夜まで待ってみたら?』て言ったのさ。
『夜まで待って、それでも我慢できなかったら止めないから』そう言ってくれた。
夜まで待てば、だってさ。凄く単純な言葉、でも重かった。でも、変な言い方だけど気が楽になった。
そして、我慢した。何を言われようと、殴られようと、どれだけ迷惑をかけようと。
死ぬ気で我慢した。夜まで我慢、それだけ考えて一日を過ごしていた。
そうして、二ヶ月耐えきった。下山して体重計に乗ったら、12キロ減ってた。アスファルトの上をまともに歩けないくらいに衰弱してた。でも、死ななくて良かったと考えたよホントに。
その同期とは、ケーキを食べに行く約束をしたきり、連絡が途絶えている。
いつになるか分からないが、約束は果たしたい。

泣けないでしょう?でも、自分は泣けたのさ。
そして、夜まで我慢、は今でも心に留めてる。