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泣ける話おしえて。

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00012006/02/16(木) 18:09:06
この4年間、一度も泣いておらず
ちと泣いてみたいです。

なんか泣ける話、
おしえてください。
0232名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/20(水) 07:24:19
非処女は肉便器
非処女は中古
処女じゃないくせにまとも結婚を望むクズ
0233名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/20(水) 20:35:23
>>231
で、今日から便所掃除か?ww
がんがれ!!
0234名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/21(木) 02:26:00
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=907521856&owner_id=17048403

mixiでのある人の日記

長文で最初はなんだよと思ったけど悲しい
0235名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/18(木) 02:12:09
最近、動画共有サイトのコンテンツを削除するのは反公共的で反倫理的な
悪いことのように思えてきた。論拠が「違法だから」じゃ弱すぎる。悪法に加担する国賊だ。
行政だって本気で取り締まってないだろう。警察だって各省庁だって
現状認識くらい出来ているはずだ。だけど無意識的に彼らは現状を見逃している。

著作権の話をするときに拝金主義に偏りすぎているから、ビジネスの話ばかりになる。
「みんなが作品を享受できる」という共産主義の夢を、ネットは蘇らせてくれた。
だからもっと声高に「万人が情報にアクセスできる事はいいことだ!!」
「削除するのは平等を妨害する悪い行為だ!!」と社会に訴えるべきだと思う。
そして削除要請するような金の亡者となった企業には、「コンテンツをコピーレフトにしろ!」
と圧力をかけ続けるのが、社会正義なのである。

すでに経済も社会もそうなっている。あとは一人一人の考え方を変えるだけなんだ。
情報社会のニュータイプになれるかなれないかは、君の考え方次第なのである。
0236名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/18(木) 23:32:54
なんか日テレで泣ける話しやってて
ふと思い出したので書きます
 
オレが17才の頃の話しです
高校を辞め当時無職でヤンキーだったオレは
母におこずかいをせびり
それを断った母と大喧嘩に
母子家庭で貧しい家庭だったから
今思うと簡単にお金は用意できなかったと思う
そんなこと考えもせず怒鳴りあって
カッとなったオレは
痩せ細った母の足に膝蹴りを食らわせ
唾を吐いて自分の部屋へ

なのに母はその日の夜何事もなかったように
「ご飯だよー」って呼んでくれた
悪怯れたそぶりもなく食卓へ行くと
足を引きずりながら茶碗にご飯をよそってくれる母がいた
そんな母を見てもオレはざまあみろって思ってた
それから事ある毎に母に暴力をふるってたんだ
ある日ボコボコにした母が
泣きながら初めて「出て行きなさい」とオレに言った
頭にきたオレは着替えも持たず家を飛び出して
友達の家を泊まり歩く生活をしてた
最初はその生活が楽しくて
毎日フラフラしてたんだけど
一週間もするとそれも飽きて
ノコノコ家に帰ったんだ
すると母は「何しに帰ってきたの」って怒ってた
オレはそんなことお構い無しでいつも通りに居候
母の口数は少なくなってた
家出から3ヶ月仕事もせず夜中フラフラしてると
未成年だったオレは警察に職務質問されてた
住所と名前を書くと警察が「お前が〇〇か」って
オレが「何なんだよ」って聞くと
警察官は「お前3ヶ月前捜索願い出てたぞあまりお母さんに心配かけるな」と言った
友達の手前どうでもいいよあんなクソババアって言ったけど
家に帰ると涙が出ました
その時初めて母に感謝した瞬間でした
 
今はまだ半人前なオレには無理だけど
いつか必ず親孝行します
0237名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/21(日) 15:14:49
私は都内でナースをしています。
これは二年ほど前の話です。

ある病院で一人の患者さんを受け持つことになりました。
22歳の女性の患者さんです。
彼女は手遅れの状態で癌が見つかり半年もつか分からない状態でした。
彼女は笑顔がかわいらしい目のくりくりしたタレントさんみたいにかわいい人でした。
末期のがんであと半年もつかわからないことは彼女もしっていました。けれど
絶対に笑顔をたやさない。人前で涙や弱音を吐かない人でした。そして明るく、とっても優しい人でした。私と彼女は同い年で
した。私は彼女を尊敬しました。
彼女は上智大学の4年生でした。彼女はよく「卒業して子供たちに英語を教えたい」
と言っていました。彼女は大学でアメリカに1年、留学していたからでしょう。
同じ病院の小児科の子供たちにも好かれてよく英語を教えていました。
彼女にはお母さんがいませんでした。彼女が小学生のときに家を出て行ってしまったそうです。
それから、お父さんと二人でくらしていました。
彼女はお父さんのことが大好きでした。

彼女はあえて抗がん剤治療はしないで進行をとめる薬を投与していました。
髪は抜けなかったものの、体は日に日に弱っていき、容態は悪くなる一方で
彼女は日に日に衰弱していきました。

12月に入りました。
彼女は意識がなくなりもうもたない状態になりました。
彼女のお父さんは「逝かないでくれ、お父さんを一人にしないでくれ」と言っていました。
本当に心が痛みました。
私は最後を立ち合いました。
心肺停止になるとお父さんは彼女の酸素マスクをとり「ありがとう、ありがとう」と何回も繰り返しました。
応急処置はできない状態だったのです。そのままといういい方はおかしいのですが処置はしませんでした。
お父さんは彼女の頭をなでながら「お父さんの子供でありがとう。」と言いました。

私は泣きました。ボロボロでてくる涙はとめられませんでした。
お父さんは彼女の病室からみつかった一冊のノートをみせてくれました。
英語の勉強のノートだったのですが、一番最後のページにこう書いてあったのです。

ありがとう
ありがとう
わたしはとっても幸せでした。
お父さん、ごめんなさい。孫の顔みせてあげられなかったね。
わたしは病気になってつらいことはあったけど、決して後悔はしていない。
神様がわたしにくれたミッションだったかもしれないね。
ちょっと、早めのミッション。
男でひとつで育ててくれてありがとう。
だいすきだよ。



彼女の葬儀にはたくさんのお友達がきていました。



それから2年ほどたっていま、彼女のお父さんは私の病院で入院しています。
おとうさんはがんになってしまいました。けれどお父さんは私に言ったのです。
「もしかしたら、一人にさせたらいけないと思ってあの子がそうさせてくれたのかもしれない。
だから死ぬのはこわくないんだ。あの子がまっていてくれてるから。」

ときどき、彼女のことを思い出します。


0238名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/24(水) 20:22:09
ぼくのいえは、ぼしかていです。
ままは、まいにちゆうがたからあさまでちかくのこうじょうで
ぼくたちをそだてるためにはたらいています。
ままがかえるといつもせっけんのいいにおいがします。
ままはわかくてきれいです。
ぴーてーえーのときはじまんです。
たまにしらないおじさんとゆうえんちにつれていってくれます。
ぼくはままがだいすきです。
まいにちこわいおじさんたちがくるようになってどなってままをいじめます。
ぼくはおおきくなったらつよくなってあいつらをやっつけたいです。



ままがかえってきません。
あいすくりいむをかいにいったまま。
ままぼくはいつまでまってればいいの?
0239名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/17(水) 16:35:25
>>24
おくればせながら号泣です。キーボードの上に水が落ちた。
自分の母とかぶる。
自分の中では母親の本質はこのような不器用な愛情だと思う。
0240名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/17(水) 17:48:41
私事です。
うちには小学生の娘がいます。
娘はいつの間に私に似たのかか調子乗りで、声が大きくて…でも、元気に育ってくれてます。
ある日、娘は友達を連れて帰って来ました。
はじめて見る子だったのですが、とても綺麗な顔立ちをした子でした。

後日、授業参観でその子のお母さんが声をかけてくださいました。
お母さんはやはりとても綺麗な方でした。
行事があるたびに声をかけてくださり、仲良くしていただいたのですが。
彼女の身の上話を聞き、とても驚きました。

彼女はシングルマザーで、娘の父親は東京にいると。
0241名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/17(水) 18:00:27
>>240
続きです。
彼は、自分と一緒になれないといわれたこと。
また彼女はその答に納得していると。
そして彼は子供は認知し、養育費ももらっていること。
そして最後に彼には新しい家庭があること…娘は父親に会ったことがないと。
私は彼女はとても強いと思いました。

そして、風の噂でその子の父親がなんとあるバンドのヴォーカリストだと聞きました。
びっくりしました。
確かにあの鼻が高い、綺麗な顔立ちは納得できます。
そしてそのヴォーカリストは数年前にかなり年下の女優さんと結婚しています。
彼女に直接確かめたわけではないですが、これで合点が合いました。
0242名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/17(水) 18:08:06
>>241
続きです。

彼女には確かめるつもりはないですが、ここからは憶測です。
子供が生まれた歳は、バンドが注目され始めた年です。
彼は夢を諦めない為に彼女を捨てたと…
でも、彼は結婚しました。
人を選んだのでしょうか?
その時、彼女はどんな気持ちだったのかと思うと惨めすぎます。
彼女は子供にもどう説明すればいいのかわからないのだと思います。

そんな強い彼女とはこれからも友達でいたいです。

最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
長文失礼しました。
0243名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/17(水) 18:26:36
↑SOPHIA松岡??
もしそうなら本妻は黒沢監督の孫だもんね。はあ〜。
0244名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/17(水) 21:53:50
松岡かなぁ?
何だろうね、夢を追う姿勢は素敵だと思うけど。
でも、酷いな、よく考えると。
もういいって思ったんなら帰ってきて欲しいよな。
それか、その人にはそれだけの気持ちだったのかな?
支えてあげてくださいね。
子供がかわいそうだよね。
松岡のことどう思うんだろ?
0245名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/18(木) 00:00:39
>>92
いつ見ても泣ける
0246名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/18(木) 09:52:53
>>92
私の友達は不妊治療中に旦那が交通事故で亡くなった。
彼女からしたら好きな相手の子供が産めた貴方が羨ましいだろう。
0247名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/20(土) 06:08:50
両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。
両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、兄は母方の祖父母と住んでいた。
それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。
そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。
俺はびっくりした。兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。
俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」なんて事を言ってた。
俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから
頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。
それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。俺らが貧乏なんて感じることないようにと、
ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。
そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった・・・

葬式で俺も妹も泣きじゃくった。。
葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、
叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実をしることになった。

両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。
兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。
京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。

・・・それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった・・・
色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。
小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた・・・
強くておもろくてやさしかった・・・
自分の小遣いからお菓子買ってくれてた・・・
俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った・・・
いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった・・・
自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった・・・
おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、
がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった・・・俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声をおしころして泣いてたの知ってたよ・・・

やべえ思い出して・・・もうこれ以上書けねえわ
何もできんかったわ・・・
ホントなんも・・・
最後に言わせて。
最強最高の兄ちゃん!!!あんたに負けんこと俺がんばるけん!
妹のことも心配せんでいいけんね。ありがとう。ありがとう!!!
0248名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/21(日) 16:39:46
ある日、泣き声がしゃくに障ったので妹を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた

5年後、些細なけんかで友達を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた

10年後、酔った勢いで孕ませてしまった女を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた

15年後、嫌な上司を殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていた

20年後、介護が必要になった母が邪魔なので殺した、死体は井戸に捨てた
次の日見に行くと死体は消えていなかった
次の日も、次の日も死体はそのままだった
0249名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/21(日) 18:31:51
>>248
カーチャン・・・
0250名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/21(日) 20:03:28
>>247
本気で泣いてしまった
月並みで申し訳ないが
ご両親やお兄さんの分まで幸せになってください。
あなたと妹さんが幸せになることが恩返しだと思う
0251名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/22(月) 11:06:05
私は、高校を中退しています
その頃から、親から見放されたような気がしています
親の愛は無償の愛なんて言うけど、全ての親がそうって訳じゃないと思う
10代の多感な頃から親の愛情を感じられずに育った私は、誰かに思い切り
甘えることもわがままを言うことも出来ません

親との縁が薄い女って、幸せになれない気がするんだ
0252名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/23(火) 02:31:07
ちょうど僕が大学受験の頃両親が離婚した
貧乏だったのに母は一人で妹と僕の学費を払って、毎日遅くまで働いてくれた
父は借金して酒ばっか飲んで僕を怒鳴って、たまに殴ったりするような人だ
もともと人はよかったのですが、とても短気でした。そんな父も離婚して寂しさからか僕に毎日連絡してきました。
ある日テスト前で連絡するなと言ったのに、「今まで苦労掛けたな」と初めて自分から誤ってきたので、酒の飲みすぎかと思いました
その一週間後父は逝った
父は心配かけまいと肝硬変のことをずっと黙っていました
顔色も悪かったので何度か病院に行けと言ったのに「大丈夫やわ」とか言っていつも笑っていました。
葬式では泣きすぎて喪主も務まったか分かららなかった
父のこと嫌いだった母が何度も「ごめんな」と言っているときはもう声をあげて泣いてしまった
家に帰ったらカレーが置いてあった
父は元カレー屋を経営していました
父は死んでしまう前日カレーを作ってじいさん、ばあさんに「これあの子らにもとっといてな」と言ったそうです
僕はテストと実習で大忙しで妹も学校ふつうにあったのに…
もう大号泣しながらたべました


今日が丁度父がいなくなって半年。
だめな父だったけど最高の父です。
0253名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/23(火) 14:53:49
http://ameblo.jp/toyboy17/entry-10177312859.html

12月の満月

これ泣けたな。
0254名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/24(水) 09:39:16
じいちゃんの腕時計

俺さ小さい頃、一人っ子で両親共働きだったから、鍵っ子って奴だった。
だからさちょっと内気で友達もできなくてさ、よく、じいちゃんの家に行ってた。
じいちゃんはさ、会社の社長でさ忙しかったけど俺が行くと絶対遊んでくれたよ。
しかも小遣いまでくれるもんだからさ調子乗って毎日行ってた。
俺さ中学に上がって段々グレてってから、じいちゃんの家にあんま行かないようになってた。
でも、小遣い欲しいときだけは行ってた。
じいちゃんはマックのポテトが好きだったからポテト買って行けば嬉しがって、
小遣い多めにくれたりてたから、またまた俺調子乗ったよ。
そんなんが続いててさ、俺が中3の10月くらいだったかな、じいちゃんが突然倒れたって聞かされた。
俺ソッコーで病院行ったよ。そしたら、じいちゃんケロってしてたな。
なんだよ心配して損したってな感じだった。でも俺、毎日病院行ってた・・・
じいちゃん小遣いはかかさずくれるもんだから。
ある時さ、じいちゃんが俺に高校の話してきた。丁度受験だったからさ。
俺めんどいから高校行かねえって言ったらさ初めてキレられたよ。
いつも温厚なじいちゃんが初めてな。
めんどいってなんじゃ・・・逃げとるだけやろうが?男なら逃げんな・・・とか言ってた。
んでさ、いきなり戦中の話されたわけ。
じいちゃんはさシベリアで捕虜になってたんだって。そりゃもう悲惨だったと・・
その中にはさ家族を持ってた人、もうすぐ生まれてくる子供がいた人、そんな戦友も皆死んだらしい。
もう、涙も出ないくらい悲惨でさ、何度も死のうと思ったらしい。けど、そんな時、いつも
お守りとして持ってた腕時計を見てさ、唇をかみ締めて生きるぞ!って決意してたんだって。
その時計はさ、じいちゃんの親友の形見だって。じいちゃんと親友はさ、幼い頃から一緒に悪さしたり
して近所でも有名な悪ガキ2人組みだったんだって。
戦争が悪化してきてさ、じいちゃんも友人も戦争に行くことになったんだけど、
じいちゃんの親友は海軍に志願して特攻になったらしい。最後の別れ際、
「俺は空からお前は陸から・・・心配すんな、俺がぶっ壊してやる。靖国で待ってるなんて言わない。
お前は不死身だからな」って笑いながら腕時計を渡したんだって。
それからシベリアに抑留されても、じいちゃんは腕時計だけは取られないように隠し持って
捕虜になるなら切腹しろって言われてたけど、こんな所で日本男児がくたばるかって
思いながら生きたらしい。
俺さバカだからよく分かんなかったけど、軽く泣いたね。じいちゃんも泣いてた。
それ聞いて、毎日勉強したわ。毎日じいちゃんの病室のベッドの横で毎日勉強した。
んでさ、じいちゃん日に日に体が弱くなってさ、喋ることもままならなくなっていったよ。
受験前日かな、じいちゃんさ、体震わせながら、声もかすれながらさ、手を上にあげて
名前呼んだから何?って言ったらさ、腕時計だしてきて「ありがとう」って・・・
「ようやくお前に顔向けできるな」って言ってた。多分俺と友人間違えてたんやろうな。
その夜じいちゃん死んだよ91歳やった。

思い返せばスッゲー男やったな。シベリアから帰ってきて、何も無い所から
始めて、会社起こして、俺のおかんやらを育ててきたんやもんな。
強いよな・・・じいちゃん死んだ時、俺はじめて「闘う」って意味分かった気がしたもんな。
腕時計は俺が引き継いだ。俺にとっちゃかなり重い腕時計だけど、じいちゃん、じいちゃんの親友
に顔向けできる男になれるように闘ってみる。
0255ピンクの名無しさん2008/12/24(水) 10:41:57
>>954かっこいいよ。良いイブを。
0256名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/26(金) 01:27:50
⊃泣けるムービーhttp://todoomo.com/top.php
0257名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/30(火) 00:07:53
ある平凡な夫婦の話

その夫婦は普通に出会い普通に結婚をし普通に二人の子供を作りました
二人の子供は特に問題もなく成人し社会人となり普通に生活していました
ただ残念なのは孫は産まれず下の子供にいたっては結婚すらしませんでした
それでも夫婦は行かず後家の娘と三人で普通に暮らしていました

まだ夫婦は知りませんが娘はそう遠くない将来夫婦より早く夫婦も必ず行く場所へ行くことになりました

娘は手遅れの治療をするよりたくさんの貯金を夫婦に残そうとしています

今年は最初で最後のおせちを作ろうとしています 
それで孫を抱かせてあげられなかったことを許してもらおうと思っています 

最期まで黙っていこうと思っています
0258名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/02(金) 23:41:04
56:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/02(金) 21:12:00
家の嫁子宮筋腫で全摘手術した後シェーグレン症候群って奴を起こし現在味覚障害。
子供達のためを思い「悪いけれど、不味いんだ」と言った。
嫁は逆上したけれど最後には「自分から言い出せなかったから言われてほっとした」だと。
でも俺が「どんな不味い飯でも俺はお前の作ったものなら全部残さず食べる」
って言うと、感情が決壊し俺と一緒に小一時間、泣かせてしまった。
でもね、病気で涙もよく出ないんだよ。
あんな料理上手だった嫁が、、、運命を呪う。
今は小学生の娘に味見させて作っている。

0259名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/03(土) 14:59:53
これ!最後は泣けるかな?

http://ameblo.jp/yamikaijin/
0260名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/04(日) 16:18:54
フランスの哲学者の話。
彼はナチスドイツの占領に反抗してレジスタンス活動に
身を投じていたんだが逮捕され銃殺刑に処せられる事になった。
処刑寸前に隣で震える少年に向かって「君ね、こんなのはちっとも
痛くないんだよ」と慰めてあげたのが彼の最期の言葉・・・。

0261名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/06(火) 16:03:09
どこに書いていいかわからんので

母が逝った
ホントあっと言う間だった。
風邪は万病の元? 皆そう言うよね。思い知ったよ。
確かに風邪はひいてたよ。
だが1月1日朝洗濯物干してたのに3日の朝には冷たくなってた。
救急車呼んだよ。乗せるまでもねぇとよ。死後7時間くらいたってるかもだと
バカ言ってんじゃねぇ! その時間は覗いて呼吸音確認してんだよ!

そのまま警察呼んで、検死してもらったよ。
死因不明?ホントそう書いてあんだぜ、会社への連絡表に死因記入する際なんて書くか途方にくれたよ。
連絡する人する人皆絶句、親戚連中も飛んできた。皆同じ事を言う。「信じられない」と
一番信じられないのは俺達家族だ。あと本人もかも、多分絶対分かってねえと思う。


指にケガして絆創膏貼ってる。これ貼った時はまだ元気だった・・・
正月連休今日で終わり。連休入った時には考えもしなかった・・・
紅白見てた、除夜の鐘聞いた。まだ元気だった・・・

でも今いない

告別式も終わって、家ん中ちょっと片付けてこれ書いてる
親父はボーゼンとしてる。姉はまだ泣けないでいる。

2009年 なんて年の始まりだ。
0262名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/10(土) 01:06:07
あけましておめでとう
母さんが死ぬと人間一番悲しくなるんだよ
一番やさしくしてくれた存在だから・・・・
お母さんがいなくてもあきらめず前を向いて歩こうね道をふみはずさないでね
家族を大事にするんだよ・・・・
0263名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/10(土) 07:25:55
1/3

語りかける目

1月23日、私は2回目の出動をした。

任務は長田署管内の救助活動・遺体捜索。
そして、村野工業高校体育館における遺体管理と検視業務の補助であった。
仮の遺体安置所になった体育館は、たくさんの遺体と、それに付きそう遺族であふれていた。

そんな中で、一人の少女に、私の目はくぎづけになった。
その少女は、ひざの前に置いた、焼け焦げた「ナベ」にじっと見入っていた。
泣くでもなく、哀しむでもなく、身動きもせず、ただじっと見入っていた。

私は、その少女に引かれるように近寄っていった。
「ナベ」の中は、小さな遺骨が置かれていた。

「どうしたの。」

思わず問いかけた私の一言が、その少女を泣かせてしまった。
どっとあふれだした涙をぬぐおうともせず、懸命に私の目を見つめ、とぎれとぎれに語り続けた。
「ナベ」の中は、少女が拾い集めた母の遺骨であるという。


その夜(1月16日)も少女は母に抱かれるように、1階の居間で眠っていた。
何が起こったかも分からないまま、気がついたときには母とともに壊れた家の下敷きになって、 身動きもできない状態になっていた。
それでも、少女は少しずつ体をずらし、何時間もかけて脱出できた。
家の前に立って、何がなんだかわからないまま、どの家も倒れているのを見た。
多くの人が、何かを叫びながら走り回っているのを見た。

しばらくして、母が家の中に取り残されていることに気がついた。

「お母さんを助けて。」

「助けてお願い。」

と、走り回っている大人たちに片っ端からしがみつき、声を限りに叫び続けた。
だれにもその叫び声は聞こえなかった。声は届かなかった。
迫ってくる火事に、母を助けられるのは自分しかないと、哀しい決断を強いられた。
0264名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/10(土) 07:26:49
2/3


母を呼び続け、懸命に家具を押しのけ、がれきを放り投げ、一歩一歩母に近づいていった。
やっとの思いで、母の手を捜し当てた。姿は見えなかった。
母の手を見つけたとたん、その手を握り締めた。
そのとき、少女の手は血まみれになっていることに気がついた。

「おかあさん、おかあさん。」

「おかあさん。」

手を握り締め、泣きながら叫び続けるだけであった。

火事は間近に迫っていた。火事の音が聞こえ、熱くなってきた。
母は懸命に語りかけたが、かぼそい声で少女には聞こえなかった。

「おかあさん、おかあさん。」

と、叫び続ける少女に、名前を呼ぶ母の声がようやく聞こえた。


「ありがとう。もう逃げなさい。」


と、母は握っていた手を放した。

熱かった。怖かった。
夢中で逃げた。
すぐに、母を抱え込んだまま、わが家が燃え出した。
立ち尽くし、燃え盛るわが家をいつまでも見続けた。
声も出なかった。涙も出なかった。
0265名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/10(土) 07:27:35
3/3


翌日、何をしたか、どこにいたか、覚えていない。

翌々日、少女は一人で母を探し求めた。そして見つけだした。

少女は、いま一人で、見つけだした母を「ナベ」に入れ、守り続けている。


語り続ける少女の目から、いつのまにか涙が消えていた。
ただ聞くだけの私は、声も出ず涙があふれ続けた。
母と二人、この少女がどんな生活をしていたのか、私は知らない。
ひとりになったこの少女に、どんな生活が待っているのか、私にはわからない。

「この少女に神の加護がありますように。」
生まれて初めて「神」に祈った。
この少女に、なぐさめの言葉も、激励の言葉も何も言えなかった。
何度も何度もうなずくだけで、少女の前を逃げた。

少女は、最後まで私の目を見続け、語り、そして語り終えた。
その目は、もっと多くのことを私に語りかけ、今も語り続けている。

目は生きていた。

哀しいと思った。

美しいと思った。

強いと思った。

少女の名前を聞くのさえ忘れていた。


『明日に生きる 阪神・淡路大震災から学ぶ』
防災教育副読本(中学生用) 兵庫県教育委員会
0266名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/19(月) 08:06:52
泣けた・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/koba1271/58737656.html
0267名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/19(月) 12:51:20
無職の山本博俊がキャッシュコーナーで順番待ちをしているとき、
イライラして目の前の老人に因縁をつけた。
老人がかわいそうで泣ける・・・。
0268名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/22(木) 21:28:21
 
0269名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/22(木) 21:44:55
俺の爺さんの作る玉葱はマジで美味い。


定年退職後に近くの農地かりて
早くに婆さん亡くしてたから一人で色んな野菜栽培して
近所の人たちにも配ったりして人気だった。

中でも玉葱は絶品でスーパーなんかで買うのとは
比べ物にならない。
本当に美味くて昔子供ながらにびっくりした。

俺は両親共働きだったのもあって
かなりの爺ちゃんっ子だった。
一緒に畑にいっていろんな果物食べさせてもらったり

親には内緒だぞって言われて
軽トラの後ろに乗せて町内一周とかもした。


そんな爺さんだけどつい先月息を引き取った。
一眠りするみたいに

悲しかった。

けど不思議と涙は出なかった。


俺は葬儀が一通り終ったので
仕事で田舎から東京へと戻った。

んで、マジで久しぶりに爺さんが作ったやつじゃない
玉葱買った。

それが目に染みるのよw

涙がボロボロでるんだww

やっぱ爺さんはすげぇよ。


俺も将来は畑持とうと思ってるよ。
んで爺さんのみたいな美味い玉葱つくろう(´∀`
0270名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/27(火) 20:22:50
>>237
おー怖。
0271名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/07(土) 20:38:45


妹へ。

こんな姉でごめんね。
オタで、腐女子で、情けない姉だけど
私のことをお姉ちゃんって、呼んでくれてありがとう。
死にたいって、思うくらいいじめられて
リスカまではしったけど、結局死ねなかった。
妹には、そんな思いして貰いたくないから
妹には、イジメを経験してもらいたくないから
こんな姉だけど、しっかりしていきたいと思う。

不良でもないし、真面目でもない中途半端な私だけど

妹の前では、中途半端な姉でいたくない。

運動したら、すぐに過呼吸になってしまい
部活をやめてしまった私。

でも、妹はそんな身体じゃないから
いつまでも自分が好きなスポーツを続けてほしい。

親友もいなくて、引きこもってた私。
今では親友もできたけど、前まではつらかった。

妹には、親友がいるね。
妹は、その親友を大切にしてね。

私は、腐女子でオタクだけど
妹はイマドキで、可愛い女の子だね。

きっと、中学校に行けば素敵な彼氏ができるよ。
だけど、変な人についていったらダメだよ?

妹、いじめられたら私に言って。
私がなんとかしてあげる。
いじめられて、弱かったころの私は
妹の前では見せたくない。

妹の前だったら、がんばれるような気がするの。

だから、たった一人の私の妹。

悔いの無いように、生きてください。


                    姉より。

0272うさちゃん2009/02/13(金) 00:22:19
 どっから話すればいいか・・・

 去年の2月20日(水)、従兄弟のMから携帯にメールが来たんだ。
『従兄弟同士の飲み会かな?』俺はそう思ったんだけど、内容を見てみると背筋が凍った。
[(従兄弟の)Y君が昨日から危篤したらしい。まだ詳細は分からないけど、とりあえずY君のためにお祈りしといてください。]
 まさか冗談だと思ったんだけど、気になって頭から離れない。
 そしてまたメールが来た。(メールの内容・やり取りははっきりとは覚えていないけど、大体)
 昨日の夕方、おじさん(Yの父)が帰ってきたらY君が倒れていたらしい。おじさんは吃驚して人工呼吸、
すぐに救急車で北摂の〇〇病院に運ばれた。そこから集中治療室で意識不明が続いているという。
 その日は運転免許の試験場での試験の日。それが終わって夜にもかかわらず自宅近くの神社で百度参りをした。
 懸命に、その日から毎日毎日、必死に祈り、『いや!絶対にYは目を開ける!生きてくれる!』
そう思って寝ても、不安で寝れない日が続いた。
 2月24日(土)、Y君の弟(K)からメールが着た。
[兄(Y)はもうそんなに長くはないので最後のあいさつをしてあげてほしい。]
 衝撃で固まった。5分ぐらいだろうか。長かったように感じる。
Kに[ぜひ行く。」と返信した。
 そしてその後、姉から[明日、行かないか?]メールが来た。
俺は[ぜひ行く。]とメールした。
 次の日、集合場所である最寄の駅まで電車内で必死に祈っていた。心の底から目を開けるYを願った。
 駅に着いて、2人の姉と合流。花屋で花を買い、病院に向かった。
 病院に着いて集中治療室に入る時、気密室に入るんだという気持ち、そしてそこで死と戦っていいる従兄弟がいるという
そんな思いが駆け巡った。
 意識不明のYを見て、衝撃が走った。夏に会ったときは、元気で笑顔だったのに・・・ 
 Yを看病するおじさん、おばさん(Yの母)などが気丈にも明るく接していたのが印象がある。
 多少ではあるが、良くなりつつあるらしく、あと1週間後が当分の目標だ。と皆で話していた。
 帰宅後、不安で夜が怖かった。Yが現れ、俺に向かってさよならの挨拶をしたのを覚えている。
俺はYを必死で留めた。Yの決意は固く、説得してもなかなか応じなかった。それが毎晩続いた。
 翌日、2月26日(月)に用があって実家に帰宅。不安の真っ只中だったのは覚えている。
 2月の28日(木)の夜8時ごろに、突然電話が鳴った。近くに住む祖母からで、Yの容態が悪化した。祈ってやってくれとの事を言われた。
この時ぐらい電話が怖かった事はなかった。不安なのにこの時の自分はなぜかどうもしてなかった。
そして9時半ごろにまた電話が鳴って、Yは死んだとの一報を聞いたとき、涙が止まらなかった。
 最期はなにもしてやれなかったのか。という悔いでずっと思い続けている。

※Yは28歳の若さで亡くなった。死因は鬱病である。

Yのご冥福を心からお祈りします。

※もうすぐYが亡くなってから1年経つ。家族は気丈に振舞っているけど、心に穴が開いてるのだろう。
家族が背負う悲しみは大きい。

※ネット上なので伏字などにした。
0273とら2009/02/13(金) 03:55:17
泣ける話かどうかわかりませんが…。
私が高校時代の話をひとつ。

私が高校のころ、私には家族はいませんでした。
食事を投げつけてきて、氏ね、くたばれ、出て行け、顔も見たくない、
毎日叫ぶ人が、母と呼ばれていました。

私が高校のころ、家族はいませんでした。
母が狂乱すると、だまって二階に上がっていってしまう空気のような男が
父と呼ばれていました。

私が高校のころ、家族は…いなかった。
弟という人は、私のことをあいつ、あんたと呼んでいました。

言葉の暴力というものは、本当にすごい威力を持っていて
人の心を、精神を、身体を、ぐちゃぐちゃにしてしまう力を持っています。

私はまるで、ぼろ雑巾のようでした。

かろうじて、かろうじて生きていられたのは
私を待っている存在がいたことも大きいと思います。

92歳になるひいおばあちゃんだけが、世界でたったひとり、大切な人でした。
一人暮らしのおばあちゃんのそばにいるときだけ、私は安心して眠れました。
秒針のうるさい赤い時計の音が、いつも響いていました。
おばあちゃんはよく、私の手を無言でなでていました。
眠ろうとすると、枕を出してくれました。
ショートステイに行って出されたおやつを、「ひ孫にもっていくから」と
もって帰ってきて私に食べさせてくれました。
泊まりに行くと(家出でしたが)うれしそうにしていました。
冬の電気毛布の温度はいつも3でした。
帰ろうとすると、さびしい顔をしました。
92歳なので、立ち上がるときすごく時間がかかります。
それでも必ず、私の手をつないで、玄関まで歩いてくれました。
自転車で、あの忌まわしい家へ帰ろうとするとき
曲がり角まで見送って、手を振ってくれました。
いつまでもいつまでも振ってくれました。
あの姿は、忘れません。

おばあちゃんは、2週間ほど入院して、亡くなりました。
いとこのおばちゃんが家財道具一式捨ててしまったので
私の手元には、赤い時計と、おばあちゃんがいつもしていた指輪が残りました。

短大では、夜、おばあちゃんを思い出して泣いていました。私は、精神病になっていることがわかりました。

指輪はネックレスにしてぶらさげていましたが、
ある日、消えるようになくなってしまいました。
するとふしぎなことに、悲しさが和らぎました。
もしかしたら、天国のおばあちゃんが持っていったんじゃないかな。
私が悲しまないように。

赤い時計は今も部屋にあります。
仕事に行く途中、おばあちゃんの家の跡地(空き地になってしまいました)
を通ります。

今日もがんばってくるねって、心の中で言います。
あの、後姿が、今も見えるようです。

あったかい思い出は、いつまでも私を包んでくれます。
読んでくださって、ありがとうございました。
0274名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/24(火) 20:07:10
http://www.youtube.com/watch?v=5gnHTtcxoPA
0275名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/25(水) 10:43:35
俺が 40過ぎの独身  ってのが、一番泣けるわ

なんでこんな事になってしまったのか…
0276名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/25(水) 22:14:08
なぜかタイタニックみたいな変な映画みるよりは泣ける
0277名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/26(木) 14:06:03
年明け直ぐに親父が死んだ。
くも膜下出血だった。
早番の親父が会社に出てこない、電話にも出ないと連絡を受けた妹が
丁度仕事が休みだったからと、朝から家に行ったら
リビングで、妹が飼っていたペットのウサギと猫を抱きしめたまま倒れていたそうだ。
慌てて救急車で運び、何とか手術も無事済んだものの、発見されたときに既に時間が経ちすぎていたのか
手術後、一度も目を醒ます事もなく、6日後に息を引き取った。

俺達の母親は、俺と妹が小学生の時、癌で死んだ。
以降、親父と俺と妹と3人で暮らした。
親父も仕事が忙しく、授業参観の日だの家庭訪問だの、休み前の懇談会だのには
なかなか来れないのを二人して怨んだりもした。
それでも、親父は懸命に俺達二人を育て上げてくれた。
バイクが大好きだった親父は、母が亡くなった直後から
バイクに乗るのを止めた。
「お前等二人が、一人前に社会に出たら又、お金貯めて今度はすんげぇバイク買うさ」と
中学・高校の頃は話してくれていたっけ。
0278名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/26(木) 14:07:27
地元では、無かったものの俺は無事大学を出て公務員
妹は、医療大出て看護師に
一昨年のお盆休み、3人が久しぶりに顔を合わせて
庭で焼き肉&ビールで盛り上がっていたとき
「俺達が、働き始めたらバイク乗るんじゃなかったの?」と聞いたら
「会社も景気悪いしなぁ、給料も下がる一方だし、まだまだ我慢だ。」と
行っていたっけ。
「15年以上バイク乗ってないから、先ずはお前等のお母さんと知り合った高校生頃に
乗っていたホンダのモンキーかゴリラからだな」と笑ってたっけ。
その夜、親父が酔っぱらって寝ちまったので妹と
「クリスマス辺りに、親父にバイクでも買ってやろうか?」と
妹も喜んで、とりあえず半分ずつ1ヶ月¥15000合計¥30000ずつ貯める事にした。

翌日、こっちへ帰る直前
親父の大親友で飲み友達で、「働きはじめの貧乏な若造だった頃、洗濯するのももったいないから
1枚のパンツをお前の親父が3日履いて裏返して3日俺が履いていた。」
と言うくらい仲良しの(どうたら飲み会ネタらしい)バイク屋をやっている人の所へ
「クリスマスにバイクを親父に送りたい、うんぬん」と伝えると
半分泣きながら「俺にまかせろ!」と言ってくれた。
0279名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/26(木) 14:08:54
余り順調とは言えないまでも、何とかクリスマスまでにお金も無事貯まり
お盆休み以来、久しぶりに休みとって3人で家でパーティした。
夏以来だから親父も嬉しかったのだろう、早々酔っぱらって寝ちまった。
翌日、早朝親父にはバイクの事は内緒で結局帰ってしまって
その日の夕方、親父から【ありがとう】とメールが来たけれど。

春には、親父はモンキーで、四国を1周したと聞いた。
秋には、親父はモンキーで、九州を廻ったと聞いた。
今は、親父は何処を走ってるのだろう。
バイク屋のおっちゃんが葬式の後話していたように
俺達の母親と、モンキー二人乗りして走ってるのだろうか
それとも、一度コケてから乗ってくれなくなった母親の
自転車と併走しているのだろうか。
0280名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/26(木) 23:45:29
村西とおるの話だけど文句なしに泣ける
この人、意外と名文家だわ
http://www.policejapan.com/contents/muranishi/20090209/
0281名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/27(金) 20:25:16
>>277
けっこう良かった。
0282名無しさん@お腹いっぱい。2009/03/04(水) 11:20:09
今朝ウンコを死体と思い便所に言った

尻から声が聞こえた
お願いします、助けて下さい。
そこにはウンコ姫と召使いの妖怪ウンコ男がいた。
ウンコ姫が言った。お願いします。流さないで下さい。まだ死にたくないです。
私たちはお尻の穴から生まれて流されたらすぐに死んでいきます。

私たちは…

なんでもいいけど何してるの?

私は今ウンコ男とセクロスをしています。私のオマソコにはウンコ男のぶっといチソポが入っているのです。

オレは間髪入れずにトイレを流した。
0283名無しさん@お腹いっぱい。2009/03/04(水) 17:12:04
血は繋がっていないけど
実の子供のように懸命に育ててくれた両親への思いを
やたらwをつけて語っている動画どなたか知りませんか?
1度見て号泣したんですが
しばらくしたら見当たらなくなりました…
0284名無しさん@お腹いっぱい。2009/03/04(水) 17:44:24
動画は知らないな…話なら知ってるが
0285名無しさん@お腹いっぱい。2009/03/06(金) 01:24:22
うん
0286名無しさん@お腹いっぱい。2009/03/07(土) 17:41:13
>>283さん
今日義父におとんって言ってやったよWWWWW ですか?
http://www.youtube.com/watch?v=ugNeX8KIZjc&feature=related

よろしければこちらもどうぞ。何回見ても涙が出ます。
独身の私には特に・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=QLjXRMoM7Ec
0287名無しさん@お腹いっぱい。2009/03/07(土) 21:43:41
>>286
俺に謝れ!
久しぶりに目から水が出てきたじゃないか!

両方に流れてたKOKIAのありがとうのBGMも凄く良かった。
俺の葬式の時はこれを流してもらう事にします。
0288名無しさん@お腹いっぱい。2009/03/10(火) 06:14:46
>>286
そうそれです!
ありがとうございます。
やっぱり号泣しました…感謝!
0289名無しさん@お腹いっぱい。2009/03/31(火) 23:53:58
フィクションの小説だけどヌコ好きにはたまらん。


http://ip.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=lifelivelike&BookId=2&SPA=200


作者の子2ch好きってw
0290名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/07(火) 07:47:30
中一ん時の話です。勝手に書くので適当に流して下さい。


丁度、反抗期的なものを迎えていた私は父とあまり口を聞かなくなっていた。
昔はよく休日に出かけていたのに全く出かけなくなった。めんどくさいしって私が言ったら、父と母は二人で出かけるようになった。

それからちょっと経って、6月1日、結婚記念日の朝。休日だった。

父は首を吊ってしんでいた。
見つけたのは昼頃起きた母だった。私は起きてこなかった父を気にも止めず(寧ろ朝、顔をみないでラッキーと思っていた)呑気にテレビを見ていた。
今でもずっと、起きたとき父の部屋に行ってれば良かった、もしかしたら助かったかも知れないと後悔してる。

母からパパがしんでる…と言われたときすぐ部屋に行った。でも部屋の前で立ったまま入れなかった。遺体を見たくなかった。怖くて見れなかった。罪悪感から目を背けて、火葬されて骨になるまで一度も目を向けることができなかった。


それから毎晩、布団の中でこっそり泣いた。
ごめんなさいごめんなさいって何回も心のなかで唱えた。遺体を見なかったこと、無視したこと、一緒に出かけなかったこと、何度も謝った。

何で結婚記念日の朝に自殺なんてしたのさ、ママがどんな思いしてると思ってんの。何でなにも言わずにいなくなったの、パパ

私のせいだよ
ちゃんとパパとしゃべってれば自殺なんてしなかったよね。一緒に出かければ良かったのにね。
思い返せば、しぬちょっと前、落ち込んでるように見えたね。あの時はただ疲れてるだけだと思って話しかけなかった。話しかければ良かった、どうしたのって聞けば良かった。

しぬ前までは嫌いだったのに、今は大好きだよ。昔みたいに大好きだよ。
また遊んで欲しいよ。一緒に出かけて欲しいよ

何で今はいないのさ
授業参観、ママしかいないじゃん。今まで当たり前に来てたのにさ。
親子三人の家族が羨ましいと思うなんて、思っても見なかったよ。

パパ、ごめんね。
大好きです。ひねくれた娘でごめんなさい。


書き逃げします。ごめんなさい。失礼致しました。
0291名無し2009/04/07(火) 08:02:37
ちょwww
おまいらちゅt聞いてくれwwwww

昔とある公園で学校行きたくないが為に
さぼっていたんだwww

そしたらおばあちゃんが話しかけてきたんだよwww
とてもにこやかなばあさんだったよwwww

そのばあさんの話がすげーおもしろくてさwwwww
おれはばあさんの話が聞きたいから
毎日その公園にいったwwwwwww
おれが毎日いくと毎日ばあさんもいてwwww

んでよwwwいつものように
その公園にいったわけwwwww
だけどその日はめずらしくばあさんはこなかったわけw


次の日も次の日もまってもまってもこなくてさwwww
10日ぐらいしたときかなwww
おれはあきらめ半分でまた公園にいったわけw
したら中年のじじいが俺を発見しては
はしってきたわけwww

そしておれに報告だよwww
 

ばあさん自殺したんだってwww
聞いた瞬間俺いろいろ後悔したなwwww
ばあさんの名前とか全然きいてなかったwwww

ただばあさんは中年のおっさんに
毎日おれの話しをしていたらしいwwwww

笑顔でなwwwwwww
目から汗がだらだらdrwwwww

0292名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/11(土) 06:03:03
今日は息子の二十歳の誕生日でした。
息子と私たち夫婦に血の繋がりはありません。
生まれてすぐ施設に預けられた息子を私たちで引き取り育てました。

しかし、そのことを言うことができずにに今日まで過ごしてきました。
私たちが産みの親ではないと知った時、息子はどんな思いをするだろうか。
どんな目で私たちを見るようになるだろうか。
それが怖くて今日まで言うことができませんでした。
散々話し合った末、今日この日に全てを伝えようと二人で決めました。

夕方、仕事から帰ってきた息子に二人して全てを話しました。

息子は話を聞き終えるとゆっくり顔を上げ、こんなことを言いました。

「離婚の話じゃないの?」

予想外の質問にあっけに取られながらも、離婚話じゃないと言うと笑いながら

「よかった〜w。ここ何ヶ月か二人とも暗い顔してたし、今朝なんか二人して真剣な顔で
今日は早く帰れなんて言うからてっきり離婚するのかと思って心配で一日仕事にならなかったよw」

まじめに話を聞くように言うと息子は、
「俺は父さんと母さんの子供で本当によかったと思ってる。今日まで立派に育ててくれてありがとう」


そう言うとニッコリ笑いながら缶ビールを開け、こちらに傾けました。

初めて息子と飲んだ塩気がきいていて
でもとても美味いこの酒に
私はこの先、出会うことはもう無さそうです。
0293名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/11(土) 15:37:51
俺が中2のときに、おじいちゃんが天国に旅立つ瞬間を見送った。
病室のベッドサイドモニタがピーッって鳴った。
ドラマのワンシーンを見てるみたいだった。
一緒にいた母さんとかおばさんが泣いてた。
でも、俺は泣かなかった、泣けなかった。
俺にはまだ、「おじいちゃんが死んだ」っていう実感がわかなかった。


おじいちゃんと俺はあまり話したことがなかった。
俺から話しかけることもなかったし、向こうから話しかけてくることもなかった。
たまに買い物に行ってお菓子を買ってもらうぐらいだった。

あまり接することがなかった。


翌日、おじいちゃんの葬式が行われた。
俺は親族だったから参列席の一番前に座った。
会場にはモニターがあった。
そのモニターにおじいちゃんの写真が映った。
1枚、2枚、3枚…と、おじいちゃんの写真が映る。
そして、数枚目にモニターに―


小さい頃の俺と、笑ってるおじいちゃんのツーショットが映った。


見た瞬間、俺は泣いた。
感情が湧く前に泣いた。


あまり接することがなかったおじいちゃん。
でも、そこには確かに俺とおじいちゃんがいた。


数日後、父さんから一つの腕時計をもらった。
それは、おじいちゃんが使っていた腕時計だった。
さっそく俺の腕にはめてみた。
大き過ぎるじゃねえかよ、ピッタリはまらねえよ…


俺の腕が大きくなるまで、見守っててください。
大きくなっても、ずっと―

0294名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/11(土) 17:47:02
俺のオキニ曲

Wild ARMs - Intro

http://jp.youtube.com/watch?v=ISSAZrUU9aU
0295名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/12(日) 03:14:36
22年間生きてきて初めてあんなに好きになれた彼女と最近別れた。
2個下なんだけど凄い素直で笑顔が可愛い子だった。付き合った
時は夢みたいでめっちゃ幸せだった。けど1年経ったら俺の中で
それが当たり前になって常にくっついてくる彼女に嫌気がさしたり
ヒドい事言っても常に向こうが「ごめんね、イライラさせて…」って
謝ってくるのが普通になってきて俺バカやから別れる?って簡単に
言うようになっちゃてめっちゃ困らした。だけど彼女は泣きながら
嫌だって言ってきたけど俺が「無理」って言った瞬間深呼吸して
「分かった」って言って別れた。その後すぐにゴメンって言っても
ダメだった。俺めっちゃ子供だった。もうこんな思いしたくないし
みんなにもしてほしくない。だから付き合ってる人は彼氏、彼女が
常に傍に居て当たり前だと思わないで。大事にしてあげて幸せに
してください。
最後に2人でクリスマスに行った神戸の思い出は一生忘れません。
0296名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/16(木) 18:09:46
母の貯金
http://k9n74fg.fc2web.com/1/flash/document/nakiflash_documment_tyokin.htm
0297名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/17(金) 19:28:52
最近泣いたのは「恵里子へ」って本だな
0298名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/25(土) 15:34:18
なんかわからんけど涙出てきた;;
http://www.youtube.com/watch?v=_vg5wn-EF9k
http://www.youtube.com/watch?v=s0xWSlGhCMM
0299名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/29(水) 00:03:32
http://www.youtube.com/watch?v=_AOMgYl_LCE&feature=related
0300名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/09(土) 10:52:22
初めから読んだ。
4時間かかった。
…泣けた。

ティッシュが空になった。
…悲しかった。

次 タノム
0301名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/09(土) 17:17:00
泣けるかわかんないけど・・・
あたし今ハタチ。
今は、看護学生をしている。
国家試験をひかえた今年、学生としての最後の年を充実させようと思っていた時。。。
持病の腰痛が悪化し、まともに歩けなくなった。
いくつもの病院を回り、手術することにした。
けど、「手術なんてしたら歩けなくなる!」という医者もいれば「もううつ手はない」という医者もいる。
でも、1つだけどの医者も共通して言われたこと、「そのうち歩けなくなる」

あたしには母親がいない。といっても2年前に病死している。
そして一人っ子。父親はいるけど、異性ということもありうまく話せない。
そんなとき、助けてくれたのがK。彼はクラスメイトであり彼氏であり同士。

でも、いろいろあって別れた。
だけど、今でも支えてくれてる。お互い大切な人であることに変わりはないから。

けれど、もうKにも頼れないよ。
人間にとって歩けないって結構大変なことだもん。
そんな重たいことKに背負わせられない。
バイバイ言わなきゃ。

でも言えない。

これから、どんどん弱っていくあたしをみせられない。
Kの負担になりたくない。

歩けなくなる自分、みてほしくない。

看護師にもなれないかもしれない。

これから先、笑える自信ない。

今、こうして文章打ちながらKにバイバイ言った。
あたし怒られてる。

もう一度Kと走り回って笑いあいたかった。。。
0302名無しさん@お腹いっぱい。2009/07/13(月) 18:03:46
うちは共働きで母親は海外出張で長期家をあけるなんてよくあった。
通ってる中学校はお弁当で父親がお弁当をよく作ってくれた。
色合いも全体的に茶色いしおかずが少なくてスカスカの弁当。
友達と皆で食べるのにそんな弁当が嫌で嫌でしょうがなかった。
恥ずかしくていつも隠して食べた。

でも長い事そうしてると友達に怪しまれる。
だからわざと弁当を忘れた。
何回も。
たぶんそんな気持ちに父親も気づいたんだと思う。
段々お弁当じゃなくてお金を渡されて自分で買いなさい。って言われた。

皆の前でヘタクソな弁当広げなくていいと思うと毎日気が楽だった。

だけどある日起きたらお弁当が置いてあった。
父親は寝てる。
お金もらわないと昼は買えない。
でも昨日夜遅くまでなんかやってたし悪いなと思って弁当を鞄に入れた。

昼になって憂鬱になりながら弁当をあけた。

そこにはちらし寿司が入ってた。
ピンクとか黄色でめっちゃかわいい弁当。
食べながら黒板ボーッ見ててわかった。
そーだ。今日は3月3日だ。
いつもおひな様を母親が出してくれるのに今年はいないから出せない。
それで私が文句言ったから夜中に作ってくれたんだ。
一生懸命使ったんだと思う。
卵切ったりピンクの桜田麩かざったり。

もうね。バカかと。アホかと。

今日も忘れたフリしてったらどうしてたんだよ。

マジで泣きそうになった。
でも2年前に父親が死ぬまでこんな話忘れてた。

ありがとうっていっときゃよかった。
あとごめんねも。
0303名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/03(月) 13:34:57
>>302
『もうね、バカかと。アホかと。』

あれ、この言い方、You-Tubeの動画で似たようなのがあったけど。
0304名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/04(火) 11:47:38
今からちょうど13年前の夏休みの話。

母が腫瘍があって県立病院(やったと思う)に入院してた。
当時中3の俺は部活の後、毎日毎日見舞いに行っていた。
母と同じ部屋には俺より1つ上の女子の紗希ちゃん(仮名)が居た。俺の母といつも話していて、母と仲が良い。
俺もよく話した。将来の夢とかも語り合った。紗希ちゃんは第一志望校の高校に行けたのに、ずっと入院してると言っていた。

ある日、母の腫瘍を取り除く手術があった。母は俺の心配を気遣ってか、
「お金あげるけん、何か楽しんできよ」
と、一万円札をくれた。貧乏なので、俺は嬉しくて何に使おうか迷った。
さすがに一人で楽しむのもつまらないので、紗希ちゃんと一緒に行こうと誘った。
でも、入院中の紗希ちゃんを連れて行くのも・・・・と思ったが、紗希ちゃんは医者に頼んで許可を貰った。
0305名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/04(火) 11:57:05
紗希ちゃんは久々に外に出たみたいで喜んでいた。俺も何か嬉しかった。
でも、長い間運動をしていないので、少し歩くとすぐ疲れるので、休みながら一緒に町を歩いた。
まず先に行ったのは映画館。でも観たいものが無く、そのまま昼食。

昼食が終わり、遊園地(そんなに大きくない)に行くことにした。
電車に乗って数時間、既に午後4時前だったが、思いっきり遊んだ。
午後7時、さすがに帰らないと警察に補導されるんじゃないかと思ったバカ真面目な俺は、
急いで電車に乗り、帰った。紗希ちゃんは疲れたようで、電車で寝ていた。

午後9時半過ぎ(だったと思う)、遅い夕食をローソンで買って、県立病院近くの公園で食べた。
灯りもあったのでそんなに暗くはなかったが、紗希ちゃんがこけたら危ないので手をつないで歩いた。
0306名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/04(火) 12:02:44
紗希「OO君、今日はありがとね」
俺 「う、うん。楽しかった?」
紗希「うん、楽しかったよ」
おにぎりを食べながら、こういうような会話が続いた。20分程で食べ終わり、ベンチでボーッと
していた。母の手術は午後2時から始まってるから、既に終わってるだろう。
俺と紗希ちゃんはそろそろ帰ろうと、立ち上がった。生まれて初めてキスもした(好きな人と)。

病室に帰ると、父と母が笑いながら話していた。紗希ちゃんはベッドに入るなり寝てしまった。
俺は今日あったことを父と母に話した。11時ぐらいまで。あまりに遅い帰りに、ちょっと怒られた俺。

そしてお盆。無事に母は退院することになった。
0307名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/04(火) 12:10:08
ちょっとトイレに行こうと、母が退院準備をしてる最中に抜け出した。
俺はナースステーションで看護師に呼び止められた。
看護師「OO君、紗希ちゃんと遊んでくれたっち?ありがとうね〜・・」
俺 「あ、はい。楽しんでくれて何よりですよ」
看護師「キスもしたんやろ??紗希ちゃん、嬉しそうやったわぁ・・・」
俺 「(苦笑)」
紗希ちゃんはそんな事まで言ったのか、と恥ずかしい気持ちになった。
その看護師から聞いたのだが、紗希ちゃんは中学校時代、イジメにあっていて、彼氏も居なかったそうだ。
でも、俺はそういう紗希ちゃんを好きだった。
看護師「OO君、ホント、紗希ちゃん、嬉しがってたんよ・・・・」
突然、看護師が泣き始めた。いい歳して何泣いてるんだ、と思いつつオドオドする俺。
看護師「紗希ちゃんね、持病の発作で今朝、亡くなったんよ。・・・え、知らんかったん?」
突然だった。紗希ちゃんからは"ちょっと長い検査入院だから病気で入院やないんよ"と言われてたからだ。

紗希ちゃんがどういうつもりで俺に嘘をついてまで、病気を隠したのかは俺には分からんかった。終わり。
0308名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/06(木) 20:01:46
俺が13、14頃の話。
その日の夜いつも通り俺は塾から帰って2階の自分の部屋に入り、ボーっとテレビを見ていた。
しばらくすると一階のリビングで電話が鳴った。なにやら騒がしい、母親の焦ったような声が聞こえた。
そして母親は家を出て行った、どうやら祖父の家に行ったらしい。でも気にせず部屋でテレビを見続けていたら、妹が大急ぎで俺の部屋に入ってきて「じいちゃんが倒れたって!」
と大声で叫んだ。俺も妹と共に祖父の家に向った。そして祖父の家では祖母が「あんた!あんた!」と祖父の体を揺すっていた。目が開いたまま祖父は倒れており、母親も「脈が動いていない!」と言っていた。
俺の隣に居た妹は顔を真っ赤にし、泣き崩れた。
祖父は元々肝臓が弱く、今まで何回も薬を飲んでいた、だから俺も正直いってもう近い内に逝くかもしれないと思っていた。
母親が妹に父親に電話するように頼み妹はその場で父親に電話した。そして救急車を呼んで祖父を病院に運んだ。俺たちもその救急車別の車に乗り着いていった。
そして病院に着き、医師から心臓が止まって3分以上経過していたのでもう助からない、そして植物人間状態であると言われた。
そして祖父はそのままの状態で病院に寝かせられた。その日から毎日俺は父親と一緒に祖父の様子を見に行き病院に通った。
病院に通った初日、祖父の姿を見た瞬間目から涙が溢れた。泣かないと決めていたのに結局泣いてしまった。
そうした状況が過ぎてそれから一週間すぎたある日、学校終わりに学年主任に急に呼び出された。
そして「ついて来い」と言われついて行ったら校門のそばで両親と妹が車に乗って待っていた。
話を聞くと病院で祖父の様子が急変したらしい。その日は部活を休み、大急ぎで病院に向った。
そして祖父はベッドに倒れたまま、呼吸をしていなかった。俺たちが病院に着いた5分前に逝ったらしい。
母親と祖母が一気に泣き崩れた。そしてそこでいきなり母親は俺と妹にこう話した。
「じいちゃんは本当は私の父親じゃないんよ。」
初めて知ったので驚いたがその時は俺は黙り込んでいた。ただずーっと祖父を見詰めていた。
そして家に帰った後、葬式はいつにするかという話をしていたときに、生前祖父は
「皆に迷惑かけたくないから葬式はなくてもいい。」「やるなら小さい規模でこっそりとやってくれ。」
と口にしていたらしい。でも家族全員で話し合い葬式は行わることとなった。
そして葬式時の身内や知り合い全員で祖父の遺体に花を添えるときに俺の目から涙のしずくが一つ零れ落ちた。
だけど泣く所を見られるのは恥ずかしかったのですぐに拭き取った。でもどんどん出てくる、異常なほど零れ落ちてくる。
そして遺体を焼く時に初めて人の骨を見た。その瞬間「もういないんだな。」と思った。

0309名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/07(金) 09:31:23
肝臓が弱くて心臓が止まった・・・?
医学的におかしいんじゃ?
0310名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/08(土) 18:34:59
俺は高校にはいってすぐ父親を亡くした。
俺は一人っ子で母と二人の生活になった。
母は俺を養うために毎日働いていた。
俺もそんな母の姿をみていて、勉強を本気になってがんばっていた。
あまり人と話すことが得意ではなかった俺は休み時間も一人で勉強するような
人間であった。
おかげで成績の面ではトップになることもしばしばあった。
そんな中で俺はイジメにあうようになってしまったのだ。
学校でつかっていたルーズリーフが消え、靴に水をいれられていたときもあった。
毎日学校にいくのが怖かった。怖いからこそだれにも先生にもいえなかった。
母にもこれ以上苦労させるなんてできずいえなかった。
そのような中で自分は何度も学校を休みたくなった。だが母に不安をもたせるのは
嫌だったからずっと耐えて母のまえではつらそうな顔はしないようにしていた。
そんなある日、母と夕食を食べている時だった。
母は俺に、「無理しないでね。頼ってくれていいんだよ。」と言った。
俺は、自然と涙が流れていた。それもいままでにないくらい。
母の苦労を知っていたから、申し訳なくて涙がとまらなかった。
泣いていてはっきりとしゃべれなかったが「ありがとう」と何回も言った。
たしかにイジメはつらかった。自分を変えるなんてできなかった。
でも一人でも自分のことを思ってくれる人がいたから今こうして生きていられる
のだと思う。
「本当にありがとう」
0311名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/15(土) 23:10:42
自分はそんなに自慢できないしそんな泣ける話ではないがとりあえず最近
泣いた事を一つ。
学生の頃から頭もよくないし、運動もできない、容姿もよくないって人間
だった。
そのくせなぜか正義のヒーローのような人間に憧れてた。
そのため面倒ごと自分から引き受けたり早くきて掃除してたりなんかした。
けど誰も認めてくれたりするわけでもないし感謝されるでもない現実に嫌気
がさしてきた。
それでを社会人になっても頑張って続けてた。
ある日会社のサークルので怪我をしてしまい手術する事になった。
その時両親と高校の先輩が来てくれた。
手術が終わって朦朧とする意識の中両親と先輩の話を聞いて俺の今までまじめ
に生きてきた事や誰にも言われずに自分からいい事をしてたりした事を両親に
話していたことが聞こえた。最後に普通の人がなかなか出来ない事ができるのは
精神的に強い事だと先輩が両親に言ってくれて初めて自分の生き方は間違ってな
かったと思えた。
0312煩悩大魔神2009/08/16(日) 14:42:07
俺の兄は15年前にその当時はそこそこ可愛かった
彼女と結婚した。しかし結婚してすぐにこずかいは
2万円になり、一年後娘が生まれてからは一万円に
なった。兄は朝の9時から働き、帰宅するのは夜の
11時ぐらい。そんだけ働いていたら独身なら月幾ら
のこずかいが使えるだろう?唯一の救いだった娘も
最近は露骨に兄を汚物扱いするようになり、あまり
の酷さに一度ソープを奢ったら涙目でお前は独身の
ままでいろよと呟いた。俺の独身は過去の半年の同棲
生活の経験と地獄を目の当たりに見せてくれる兄の
犠牲の上に成り立っている。そろそろまた兄にソープ
を奢ろうかな。
0313名無しさん@お腹いっぱい。2009/08/16(日) 16:53:41
なにが悲しいってこんなスレで不幸自慢
思い出で生きてるんだな
0314名無しさん@お腹いっぱい。2009/09/30(水) 12:37:34
姉ちゃんへ

姉ちゃんの結婚が決まった夜
おふくろが死んでも涙こぼさなかった親父が
仏壇の前で号泣してたんだぜ?

弁護士になるのが夢で、猛勉強して進学校に入ったのに
卒業して就職しちまったよな
俺と弟達の学費出してくれていたんだろ?
いつもとぼけるけどさー

美人なのに彼氏も作らず、お洒落もせず
足の不自由な親父と俺達弟3人の面倒見てくれたよな
いつも、どんな時も笑顔で、おふくろの代わりを真剣に
してくれていたよな

俺が司法試験に受かった時
大泣きして顔くしゃくしゃにして喜んでくれたよな
あんなに泣いた姉ちゃんを見たの俺、初めてだったよ

これから親父と弟達の事は俺にまかせてくれ
姉ちゃんの代わりは出来ねーけどさ


姉ちゃん、絶対に絶対に幸せになれよ


今まで本当にありがとうございました



0315名無しさん@お腹いっぱい。2009/09/30(水) 14:49:46
こんなんで泣けるかどうかわからんけど・・・

ウチの兄貴が去年がんで死んだんだ。
家に帰って荷物の整理をしていたら病室で兄貴が使ってた
ノートパソコンがあったから何気なしに立ち上げてみた。
そしたら兄貴のアカウントにはパスがついて無かった。
家のパソコンの兄貴のアカウントにはついてあるのにおかしいなって思ったら
デスクトップの画面にある動画があった。
再生してみると、俺たち家族や友人に向けた今までの感謝と別れのメッセージが
つづられていた、遺書のような動画だった。
5分くらいの動画だったけど俺は最後の方は涙でうるんで見られなかった。
そして動画をコピーして何台かのハードディスクに入れた。
兄貴の想いが消えることの無いように。
0316名無しさん@お腹いっぱい。2009/09/30(水) 21:56:35
最近こんなことで泣いたw

俺には結婚して6年経つ妻がいるのよ。子供も5歳の双子が居る
子供産まれてからは2人で話す事も少なくなったし、とりあえず俺は仕事で精一杯で構ってる余裕無かったんだ。
で、平日で偶然仕事休みで家に居たのよ。
子供は保育園でいないし2人きり。
最近めっきり話す事無くなったし俺は話しかけずらくてずっと沈黙の空間だったんだ。
そしたら妻の方から(仕事忙しい?)って聞いてきたんだ
いきなり何だ?と思いながらも(まぁ今不景気だし大変だよ)と答えた。
そしたら妻の方が何かの箱を渡してきた。俺は渡された箱を開けた。その中身は俺がずっと欲しかった腕時計だ
(あなたこの前誕生日なんて忘れてたでしょ?いつ渡そうかと思ったけど仕事忙しそうだったから言い出せなくて・・・)
(腕時計欲しいって言ってたよね?安物だけどゴメンね)
俺は嬉しくて涙が溢れたwwその日は家でゴロゴロしてようと思ったが2人で久しぶりにデートしたwまぁ保育園にお迎えに行かなきゃいけないから時間は少なかったけどなw
これからも守っていきたいと思った。出来すぎな話だし俺しか泣けない話かなw
長文スマソ
0317名無しさん@お腹いっぱい。2009/11/26(木) 16:28:05
保守がてら

http://moemoe.homeip.net/view.php/918
0318名無しさん@お腹いっぱい。2009/12/09(水) 22:33:32
なけるはなし
0319名無しさん@お腹いっぱい。2009/12/09(水) 22:43:48
いらん
0320名無しさん@お腹いっぱい。2009/12/10(木) 08:56:23
ttp://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/kenpou5.html
0321名無しさん@お腹いっぱい。2009/12/28(月) 23:16:39
最近Youtubeで泣けた動画。

ttp://www.youtube.com/watch?v=zmXChCcCqBo

ttp://www.youtube.com/watch?v=QE4yFkGjBRI
0322名無しさん@お腹いっぱい。2009/12/31(木) 19:09:16
自分が、天台宗の行院(僧侶育成道場みたいの)で修行したときの話なんだが。
個人的に泣けただけなので、流してくれて良い。

実家が寺。両親は在家で祖父がやってた。自分は僧侶なんてやりたくないから大正大学には行かず、職業も公務員を選んだ。
でも、自分が継がなかったら代々の寺が無くなってしまうし、帰る田舎もなくなってしまうから得度だけは済ませた。
30越えて、ようやくさ。そしたら、祖父が死んだのさ。
あっけなくさ。
ふざけるなって感じだった。何一つ知らないのに何が出来る?と思った。仕方なく、仕事を辞めて行院に行った。
着物の着方から、一から順番に教えてくれる時期だからってことで秋に。
でも。行院の門をくぐった瞬間から(誇張でなく)怒号の嵐。着物の違いもよく分からないのに。
行院って二ヶ月あるんだけど、初日から怒鳴られ、殴られ、蹴り落とされ、引きずり出され、胸ぐら捕まれて一時間近く怒鳴られ、机の引き出しを投げ付けられ、食器が投げられ、兎に角ずっと目の敵にされ続けた。
同じようにやられ続けた奴は、潰れて下山した。もう、どうしたらいいのか分からなかった。同期の人間はみんな、住職だったり子弟だったりで、声明だろうと作法や読経だろうと何でも出来た。
最初の頃は教えてくれたよ、でも、どんなに自分が出来るようになっても、ずっと攻撃され続けていたから、愛想が尽きたんだろうね。
その内、誰とも会話しなくなった。当然、何も上達しない。起床して最初に思うのが『死にたい・逃げたい』だった。
『殺したい・燃やしたい』とも思ったよ、第二次仁和寺事件起こしてやろうかと思って護摩木が捨ててある場所に、燈籠用の油をまき散らしたこともあった。
線香に火を付けてそこに投げ込んだこともあった(火は着かなかったけど)。
今思えばバカな真似なんだけど、その時はもう、何か事件が起きれば修行もうやむやになって終了するんじゃないかって思ってた。
でも、何も起きなかった。起こそうとしても、何も起きない。あるのは、毎日の暴力と暴言の嵐。
学校なら、家に帰ればいいけど、ここは逃げられない。四六時中、攻撃の的。
下山してしまったら、期待してくれた人に迷惑がかかると思ってた。だから、ずっと『死にたい』が強かった。
でも、死んでしまったら迷惑どころか完全な敗北だと思った。だから、死なず、逃げず、出来ない我慢を続けていた。
それでも、それでも、ついに耐えきれなくなって下山を申し出ようとした。
『もう耐えられない、やめる!』て叫んだ。
そしたらさ、あんまり会話したことない同期が『夜まで待ってみたら?』て言ったのさ。
『夜まで待って、それでも我慢できなかったら止めないから』そう言ってくれた。
夜まで待てば、だってさ。凄く単純な言葉、でも重かった。でも、変な言い方だけど気が楽になった。
そして、我慢した。何を言われようと、殴られようと、どれだけ迷惑をかけようと。
死ぬ気で我慢した。夜まで我慢、それだけ考えて一日を過ごしていた。
そうして、二ヶ月耐えきった。下山して体重計に乗ったら、12キロ減ってた。アスファルトの上をまともに歩けないくらいに衰弱してた。でも、死ななくて良かったと考えたよホントに。
その同期とは、ケーキを食べに行く約束をしたきり、連絡が途絶えている。
いつになるか分からないが、約束は果たしたい。

泣けないでしょう?でも、自分は泣けたのさ。
そして、夜まで我慢、は今でも心に留めてる。
0323名無しさん@お腹いっぱい。2010/01/03(日) 20:07:34

どっかのオリオン座流星群実況スレに親子(?)の
ほのぼのするようなのがあったな。
甘いコーヒーがどうとか言うの。

独身の俺には泣けた。
0324名無しさん@お腹いっぱい。2010/01/27(水) 03:42:23
昨日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
0325ひろ2010/01/29(金) 10:04:59
泣けるかわからんけど昔のはなし。


中学入るころにはぐれてた俺。

学校行かんと先輩と悪さばっかりしてた。

学校にはツレってよべれる奴がいなかった。

次第に他中とツルむようになった。
ある日他中とで、たまり場おったら他中の奴の知り合いで健太っていう俺とおない年の結構悪さで名前の通ったやつがおった。

若さからか目があっただけで俺らは喧嘩になった。

お互いぼこぼこになった。


俺は喧嘩に負けた。

何日かして仕返しにいった。


次は俺が勝った。


何回かやりあってるうちに
いつのまにか一緒につるんでた。

健太も学校がつまらないらしく
俺たちは暇をもてあそんだ。

女ナンパにいったり
都会に行って喧嘩したり
原付乗り回したり

ばかばっかした。

ある日先輩に族に入らないかと
誘われた。


俺と健太は族に入った。
族と言っても地元の小さいチーム。

原付じゃ格好つかないとなり
先輩が旧車のスパーダを
卸してくれた。


これで集会に参加できると意気込んだ。


だが俺と健太は
シンナーに手を出すように
なっていた。

薬物厳禁のチームだったが
家でしていたから
先輩にはばれなかった。
0326ひろ2010/01/29(金) 10:15:33
調子に乗っていた


ラリったあと単車に乗ると
気持ちがよくてやめれなかった


そんな毎日で気がつけば
中2の秋になっていた。


俺と健太は相変わらず
らりっていた。
葉っぱをすっていた。


タバコを吸おうと思ったが
どうやら切らしていて
外は寒いし面倒くさいから
健太に

スパーダ貸したるから
タバコと酒買ってきて
とお願いした。

健太は単車もないし
運転したかったのか
ラリってたのか
こころよく了解した。


健太にキーを渡し俺は
パワプロ2000年のサクセスを
した。

健太は
下手くそなコールで
走っていった。


気がついたら30分たっていた

なかなか帰ってこなかった


健太のやつ
単車で流してるな
とか思い俺は
チャンプロードを読んでいた

なかなか帰ってこず
ポリに捕まったのかと心配になりだしたころ


「ひろちゃん。健太が…健太が…」

どしたん?おばちゃん


健太のおかんがなんか焦っていた
0327ひろ2010/01/29(金) 10:22:17
ポリにつかまったん?


って聞いたらおばちゃん黙った

あいつ無免許で捕まりやがった

めんどくせーとか

思ったら

おばちゃんは


事故った…
今病院運ばれてるから
ついてきて。



って言われておばちゃんの車に乗った



ばかたれ

俺が単車貸したからか
ラリってたからか


とにかく罪悪感でいっぱいだった
車内は沈黙だった

おばちゃんになんて言えばいいかわからんかった。


ただ泣くのはこらえた


するとおばちゃんが口を開いた


健太なひろちゃんと遊んでから明るくなったんよ。最近じゃ高校行くねんとか言い出してな。



俺は泣きながら吠えた


まだ死んでないねんから
そんなん言わんでえーやん



おばちゃんは黙った。



病院について健太をみた
0328ひろ2010/01/29(金) 10:43:47
健太は目つぶってたわ
こっからあんま覚えてない
でも健太な亡くなったんや

おばちゃんに責められる思ったら俺なんかありがとうって言われたわ

健太のつけてた指輪わしの指にはめた。ちょっと大きかった
でも今でもついとる。

ポリにも捕まったわ 薬物で。
でもすぐ出てこれた。

先輩にヤキいれられる思ったら なんもなかったわ
追悼式した。皆で走った。
族は解散になった。 単車も降りた。 薬もやめた。 学校も通うことにした。


頭悪いけど健太が高校行きたい言うとったから俺必死に勉強した。
私立の一番頭悪いとこしかうけれんかったけど高校うかった。

高校からまじめにするんや。

そういや 健太と約束したんや

いつか女できて18なったら ちゃんと免許とって 一緒に車で将軍塚の夜景いこって

俺、いまの女といってきたで。
健太の分まで生きるから
死んだらまた酒飲もうな。
毎年命日墓参りしてるからな。
初めて俺の女連れていったら女も泣いてくれた

俺まだまだワルガキらしいけど もう薬も喧嘩もやめたから。

俺ももう22歳や。
ほな死んだらまた会おうや。

0329名無しさん@お腹いっぱい。2010/01/29(金) 23:29:41
>>322
やっぱり坊主、教師、弁護士、ホテルマンほど醜い職業はないと分かりました
0330名無しさん@お腹いっぱい。2010/01/30(土) 12:15:25
693 名前:名無しの心子知らず [2008/12/26(金) 13:36:27 ID:ZLuBX3wZ]
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお
いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった〜。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね〜」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
0331名無しさん@お腹いっぱい。2010/02/15(月) 09:10:53
自殺でわないが今から7年数年前の話し
暴走族でふらつきの俺が、付きあったていた彼女に、子供が出来ました。
子供が出来た事をきっかけに俺も真面目に鳶職の仕事に就き
これから3人で子供の将来の話しや希望で幸せがいっぱいでした
子供が3才の頃に、女房が原付バイクで買い物に行った帰りに
ひき逃げ事件にあい、死んでしまいました
数ヶ月経ち犯人が逮捕されました
犯人は、暴力団組員で車は、盗難車のナンバー偽造との事
そして判決は、懲役5年です
俺は、 法律の甘さ 役所仕事の人事裁判 そして自分の無力さを 悔しくて、悲しくて
何時も何時も仇討ちを考え、来る日も来る日も女房の名前を何十回も何百回も口ずさみ
そして犯人を殺し自分も自殺も考えてました
ある日 実家に預けている我子にあいに行くと、パパ ママ死んだんでしょ!て私に聞いてきました
涙を堪え我子を見つめていると、我が子の可愛さ無邪気さで俺も立ち直らなきゃ
それから、無我夢中で働き 子育てに熱中し
子供に釣りや旅行とキャチボールなど、自分には、無かった思い出をいっぱい
いっぱいあげるからね
もう二度とこのような事件がおきない事を願います
生きたくても生きられない無念の死
人生80年です、頑張れば良い事もあります
幸せは、何もしない人には来ない物だと私は思います
みなさん!色々悩み事や絶望感があると思いますが
前向きに、何事も膂力し希望をもって負けずに頑張って下さいね。

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