これは実話です。 N市大石病院


ある病院の玄関のわきで、一歳になるかならないかの赤ん坊が泣いていた。驚いた
院長夫人は慌てて家の中で肌着を着替えさせようとしたところ、一通の手紙と五枚
の千円札が入っていた。手紙には「親愛なる大石先生、この子をよろしくお願いい
たします。おろかな母より」とあった。

その日から大石先生夫妻の子供として育てられることになった。ちょうど夫妻には
同じ年の男の子「真太郎君」がいました。彼は「辰男君」と呼ばれ、二人は一緒に
愛情を持って育てられます。ところが二人の成長のペースに違いが現れ始め、三歳
の時の検診で辰男君は耳が不自由であったため、知力の発達が困難であった。

小学に入るころには二人の差は歴然とし、真太郎君は聡明な子として周囲の注目を
集めていた。一方、辰男君は入学と同時に特殊学級へ入ることになる。何事にも勝
ち気な真太郎君は、どこまでも我を通し、腹が立つとよく辰男君をいじめた。辰男
君は相変わらず言葉が出せず、ただとても働き好きで、家事をいつも手伝っていた。

小学三年生の時、運動会でトラック一周の徒競走で、最初に出場した真太郎君は、
七人のうち二番目を走っていたが、先頭の子供が転倒したため一等賞になった。や
がて辰男君の番がきて走った。この日はどうしたことか辰男君は二番目を走ってい
た。その時先頭の子が転び、大歓声の中、誰もが辰男君の一等を信じた。ところが
彼は転んでいる子を抱き起こし、肩に担ぐようにして歩き、最下位でゴール。

さて、二人の違いは、さらにはっきりとして、真太郎君は優秀な大学を出て医者に、
辰男君は就職することができず、大学病院の雑務に精を出し、皿洗いから排便の始
末まで、どんなことでも喜んで行い、入院患者から看護婦さんにいたるまで「辰ちゃ
ん、辰ちゃん」と慕われ、愛され、真太郎君とは別の意味で病院にとっては掛け替
えのない存在となっていった。

三二歳の十一月、風の強い夜、手術が思うようにいかなかった真太郎君が酒を飲ん
で泥酔し、眠ったままストーブを蹴飛ばしたのが原因で、大石病院が火事となった。
火がようやく収まった翌朝、重病人をはじめ四人の患者が死体で発見される。大き
な火事で死者の数が少なかったのは、外科病棟の重病人のほとんどが、炎の中、一
人の男性によって、次々と外へ運び出されていたことが分かった。実はその男性と
は、翌朝、池の中で死体となって発見された辰男君であった。彼はついに最後まで
言葉を発することはなかったが、残った人たちに掛け替えのない何か尊いものの存
在を、生命の純粋性をもって教えてくれている。いまでも辰男君の墓は大石病院の
玄関脇に建っている。まだ一歳だった辰男君が捨てられていたその場所に・・・。