01年に解任されたアームストロング氏に代わりドーマン新会長がATTの経営を引継いだ。
しかし、長距離専門通信業者は収入の約40%をベビーベルなどの地域通信会社に支払うなど、
経営環境が改善される見通しは無かった。

ドーマン会長がATTの経営を引継いだ時点では、ATTの時価総額は400億ドル弱だったが、
長距離通信分野でのATTのシェア・料金の双方の下落は止まらず、ATTの時価総額の減少は続いた。

この為ドーマン会長はリストラの継続を行ったが、長距離通信事業者は公益インフラ事業であり
装置産業でもあるため、人員や設備投資の削減にも限界があった。
ただ、アームストロング前会長が、目先の資金繰りの苦しさから、長期的見通しを立てずに、
3回目のATT分割を行い、4分割して債務を削減した事が、この時点のATTの助けになった。
低い収益性でも何とか資金繰りが付けられたのは、アームストロング時代の債務削減政策のお陰だった。

しかし先の見えない経営状態では株価は下落する一方で、02年4月には株価5ドル割れの危機が生じ、
5株を1株に併合してムーディーズがジャンク債スレスレの格付けとなるのを何とか防いだ。

年に売上げが7%から10%下落する状態が続き、株式アナリストからも「ATTの今の経営陣は、
過去の遺産を食い潰しているだけだ!」と批判された。業積発表の席上では経済記者から、
「果たして独立した企業として生き残れるのか?」と質問が浴びせられる事態であった。

しかし、業積好調なベビーベルにも“ATT”と言う企業ブランドだけは評価され、
“ATT”ブランド欲しさにATTの実質的救済合併計画は、ベビーベル各社で生き続けた。