ライバル 岩井小百合さん:3(それから)

 元アイドル歌手<23歳>
 「人気って台風みたいなものだと思う」。岩井小百合は視線を遠くへやった。
 「自分で努力してもどうにもならない。どこへ行くかも分からない。波が来てる時は、もみくちゃ。去るのはあっという間で……」
 「潮が引くと、台風が来ていたことすら信じられない」ともいった。
 デビューの翌1984年3月、絶頂期の岩井はトレードマークのポニーテールを切った。マネジャーと事務所社長の了解を取らなかった。
 アイドルであり続けるために、大人の引いた設計図通り振る舞う。それができなかった。
 「子供扱い、人形扱いされるのがいやになったんです」
 ささやかな抵抗だった。設計図の規格から細部がはずれ始めたのかもしれない。人気は急速に後退していった。
 「周りに人がいなくなるんですよ」マネジャーの山村武(48)がいう。
 「レコード会社の宣伝マンや雑誌の記者ら20人以上が小百合と一緒に移動していた。それが1人抜け2人抜け、最後はぼくだけ」
 テレビはキー局の仕事が減り、地方での出演が多くなる。親しかったディレクターが、名前を呼び間違えるようになった。
 この年、岩井にかわってアイドルの座についたのはレコード大賞最優秀新人賞の岡田有希子である。
 86年、岩井は高校3年になった。始業式があった4月8日。東京の四谷に近いビルの7階から、18歳の少女が飛び降りて死んだ。トップ・アイドルであり続けた岡田だった。
 岩井は夕方、自宅のテレビでそれを知る。「なぜ」。わからなかった。
 「芸能界は上がれば上がるほど、孤独になっていく。目標を達成してしまった不安感が、有希子ちゃんにあったとは思う」
 彼女に対しては複雑な気持ちがある。岡田は同じ堀越高校の1年先輩で、岩井が下っていった坂を、風のように駆けあがった。
岩井はこの年、1枚のシングルレコードも出していない。ころがり落ちる苦しさを、大学へ進学することでまぎらわせようとしていた。
 自分は飛び降りられるほどの頂点にも立っていない。
 「まだ死ねない」芸能界への執着が、岩井の中で増幅されていった。(敬称略)