へんてこな感覚
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0001じゃく
NGNGこういう現象をなんていうのでしょうか?専門用語があるのでしょうか?
0002貴方が感じているのは>1
NGNG0003天然八歩
NGNG現象があつかわれています。
漱石の「道」の主人公が同じ現象に悩んでいたのです。
0004じゃく
NGNGなるほど「記号と意味の乖離」といういわれ方をするのですか。
ところで、こういう現象は音だけのときにも起こるのですが、それも同様ですか?
「音声と意味の乖離」ってとこかな。
たとえば「テレビ、テレビ、テレビ、テレビ、」といってると初めての感覚があらわれたりします。
>3
ありがとうございます。土居健郎、読んでみます。
0005坊や哲
NGNG0006名無しさん
NGNG同じ画像を繰り返しズリネタにすると勃たなくなる(^^;
のと同じ種類の現象だろう。
例えば日の丸を凝視した後で白い面を見ると緑色の●が見えるけど、
この残像というのも、網膜上の赤感受細胞が疲れてしまって、
白色光の中の赤成分を弱く感じてしまうせいで起きる現象だ。
脳内の神経細胞のレベルで見ることができたら、
意味感覚の鈍麻も、似たような原理で起きてるんじゃないかな。
0007名無しさん
NGNG0008あき
NGNGだから「ヤマ、ヤマ…」って10回もくり返すと、もうあの地上から高く盛り
上がったものの姿はどっかにいってしまって、「ヤマ」っていう音だけが口
から出ている…。そんなあやふやな、あいまいな約束ごとの上に全てがなり
たってる人間の世界ってとても変ですよね。その不思議さに驚いているって
言ったらいけないかなあ。
0009くちびるから蝶
NGNG四本足で物を書く台のことを「つくえ」と呼ぶ必然性があるのなら、
どんな言語でも「tsukue」と呼ばなくちゃならない。
意味と言葉のつながりって、それぞれの言語の約束事みたいなものです。
0010じゃく
NGNGでは擬音や擬態から来てる言葉の場合はこの現象はあり得ないと言うこと?
「べろ」とか「ピンポン」とかさ。
0011>10
NGNG理解することは決してできないでしょう。これが9さんの書いてた「意味と言葉
のつながりって、それぞれの言語の約束事みたいなものです」ということでしょう。
>では擬音や擬態から来てる言葉の場合はこの現象はあり得ないと言うこと?
このようにじゃくさんは書いていますが、本当に「この現象はあり得ない」と
思いますか?わたしゃ「べろ」という語をじっと見ていたり自分の口で反復し
続けるとやはり「なぜ『べろ』なんて語で『舌』という意味になるんだろう」
と感じますよ。「ピンポン」は擬音語出身ですから、モノが発する音を
日本語の音体系で引き写して表現したという説得力らしきのはあるように
感じます。でもその擬音語を又の名を卓球という競技名を意味する記号として
用いるのは、これまた言語における約束事です。擬音語に由来する語なので
日本語に限らず他言語と共通している可能性は、他の語(「つくえ」など)
よりずっと高いでしょう。
0012ぜんっぜんっ関係ないけど
NGNGこいつはめしを食いたがってるのだって思って「まんま=ごはん」
と解釈したのが日本の人で、この子は母親を呼んでるんだって
思って「まま=ママ」となったのが欧米人っていうのは間違っ
てるの?
0013>12
NGNGちなみに「母(はは)」は古代日本語では「ぱぱ」と半濁音で発音されて
いたと考えられています。mもpもどちらも発音が一番簡単な唇音の子音
です。
0014餌彦
NGNGオレもそれは言語の恣意性を覆す証拠になるんじゃないかと思う。
日本語だけじゃなく他の言語にも似たような現象が見られるって
のを何かの本でよんだことがあるよ。
「まま」たしか日本語にもあったと思う。「乳母」みたいな意味で。
0015補足
NGNGぐらいだけどね。
でも、もしチョムスキーが言うように「言語は生物学的能力」であるなら
ちょっとぐらい恣意的で無い場合があったほうが説得力あるよね。
0016名無しさん
NGNG0017名無しさん
NGNG発音に比べて文字は慣習で成り立っていく要素が少ないので、
いざ意識的に文字の姿・形を観察すると、
1の言う“へんてこな感覚”になるのではないか。
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