>>33 亀レスですが
>ニサルガダッタ・マハラジさんはどういう風に真理を悟ったのですか?
大長文だけど本の冒頭から引用してみます(「マルティ」はニサルガの若い頃の名前)。

■『私は在る』序盤の「ニサルガダッタ・マハラジとは誰か?」より
幼少期、青年期、結婚、そして子供達 ― マルティは中年期を迎えるまで、大した
出来事もない、ごく普通の単調な生活を送った。後に続く聖者としての将来への何の
兆候もないままに。この時期の彼の友人の一人、ヤシュヴァントロ・バーグカールは、
ヒンドゥー教の一派であるナヴナート・サンプラダヤの霊的グル、シュリー・シッダラ
メシュヴァール・マハラジの信奉者だった。ある晩、バーグカールはマルティを彼の
グル、シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジのもとへ連れていった。そして
その夜こそが、彼の人生の転機となったのだ。グルは彼にマントラと瞑想の指導をした。
修練しはじめたばかりの頃、彼は幻覚を見たり、超越状態に入ることさえあった。
そして、何かが彼のなかで爆発した。普遍的意識の誕生とも言える永遠なる生命の
感覚を得て、小さな店主というマルティのアイデンティティは消え去り、シュリー・
ニサルガダッタが生まれたのだ。
 [中略]
光り輝く体験の後、シュリー・ニサルガダッタ・マハラジはそのような二重の人生を
生きはじめたのだった。彼は店を経営したが、もはや利益を追求する商人ではなかった。
後に、彼は家庭と仕事を放棄し、一人の托鉢僧となってさまざまなインド中の聖地を
巡礼してまわった。永遠の生命の探求のために余生を送ろうと、ヒマラヤへの道を
裸足で歩いた。だが、すぐに彼はそのような探求の無意味さを理解し、踵を返して
家へと帰り着いたのだった。彼の理解した永遠の生命とは、見いだされるものではなく、
すでに彼が手にしていたものだったのだ。「私は身体だ」という観念を超え、
彼は無上の至福と平和を得た。彼は真我を実現したのだ。