Christian Todayと救世軍山谷真少佐のガチンコ対決8
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2006/12/13(水) 08:19:30ID:m5y7GLwo来年はもしかするとKFCは店仕舞いということもあるわけで、
それはひとえに私たちが自分を裂いて、神の召しに応じることができるか
どうかにかかっているのです。
そろそろ忠臣蔵の時期でありますが、昼行灯と揶揄された大石内蔵助も
当初300人いた家臣たちを、志のない者はあえて去らせ、絞り込んで
ついに四十七士としたわけ。ギデオンの物語にも通じる逸話であり、
烏合の衆では大事はならない。KFCではもしかすると一人もいなくなる
かも知れませんが・・・汗。
かくして来年のスローガンは「自分を注ぎ出す」こと。
どこまで主の召しに応えることができるでありましょうか?
・・・・・・
と某牧師さんがプログに書かれていたが、
こういう説教に感動した純粋な若者が
嬉々として無賃労働に献身していく姿が 統一などに見られるのだが
カルト問題との関連でどう考えられているのだろうか
自分たちだけはよいのであろうか
そこに驕りはないのだろうか。
また某牧師さんは
「単に自分の祝福や問題解決や励ましを求めて集会するのであれば、
これは本末転倒。」と手厳しいが、
私はそうは思わないな。
逆に苦や悩みでぎりぎりのところで きづいたら教会に出会った。
祈っていたということに 喜びを感じる。
純粋さも過ぎると「罪」なのではないだろうか
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