続き

勿論、どのような組織も、部外者が自分たちの会議に入り込んで、情報を外に流すことに良い顔はしないだろう。
しかし、我々は個人のプライバシーを暴露して危害を加えるような無分別な自由を主張しているのではない。
公的な組織の当然の情報公開と、公的な事柄についての当然な報道の自由を主張しているのである。
神の使役を任された指導者は公人であり、諸教団、諸団体は公的な立場であることを忘れてはいけない。
そして日本に暮す全てのクリスチャンの代弁者としてキリスト教言論がある。
天から与えられた権威はクリスチャン全体のためのものである。
したがって日本のキリスト教界は、教会行政、経理状況、宣教戦略など様々な公的な決定に関わる
全ての情報を日本全国の全てのクリスチャンに隠すことなく知らせる義務と責任がある。

更に、我々は、日本教界の閉鎖性が、日本の宣教を難しくしている一つの要因であることを無視してはいけない。
果たして、教会に一度も来た事が無い人が、外からは覗くことができない不透明で得体の知れない教会に
通いたいと思うだろうか。日本の教会がマスコミの取材を拒否し続け、中の様子をまったく見せないなら、
その密室で不正が行われていると疑うのは当然ではないだろうか。
実際、そのような体質のせいで、99%の国民がキリスト教に無関心になり、変な誤解を持つようになったのである。
キリスト教言論は、そのような無関心と誤解から教界を守る義務がある。
その責務を果たすには、キリスト教界自らが言論に対して正直でなければならない。

健全な言論の自由があってこそ、キリスト教界の健全な成長が可能になる。
キリスト教界が開放的で透明になり、自らが健全であることを証明しているなら、
自然と多くの人々が親しみを持って教会を訪れるようになるだろう。
したがって、日本教界の指導者は積極的に言論の前に姿を現し、諸教団、諸団体は、
全国のクリスチャンの代弁者である言論の前で正直に姿を現すべきである。
日本のキリスト教界の時代錯誤的な不透明で閉鎖的体質を悔い改めない限り、
日本のキリスト教は衰退の道を歩み続けるだろう。
自らを悔い改められない者が他人に悔い改めを勧めることはできない。