Christian Todayと救世軍山谷真少佐のガチンコ対決3
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0324知り合い
2006/11/20(月) 11:47:22ID:CAgm+Wamhttp://www.christiantoday.co.jp/template/news_view.htm?code=ed&id=53
数年前から政府機関や独立行政法人などの情報公開法が施行され、基本的に国益や
個人のプライバシーに関わる情報以外なら、誰でも開示請求を行うことができるようになった。
国は国民に対して行政活動の内容を説明する責務があり、国民は知る権利がある。
それは国民主権の理念に基づく近現代社会の常識である。
それに加えて、健康な社会を保つために、言論の自由が保障されるべきであることは言うまでもない。
健全な言論があってこそ健全な社会が成り立つのである。
現在、日本のキリスト教界には、一般の信徒が自分の属する教団や
宣教団体の情報を自由に見ることができるシステムはあるだろうか。
あるいは、特定の教団教派に縛られずに教界全体のニュースを自由に
報じることができる媒体に対してどのくらい正直に取材に応じてくれるだろうか。
残念ながら、いまだに多くのキリスト教団体が外部に対して情報を公開していないのが現状である。
このような閉鎖性は、影響力が大きい主要な団体であるほど強い傾向がある。
日本のキリスト教界が外部に対して口を閉ざし、閉鎖的になっているのは、自らを世俗と切り離し、
外部とのコミュニケーションを断絶してしまうことが権威であると誤解していることに一因がある。
そのような態度は、世俗的な「権威主義」であって本当の「権威」ではない。
教会団体が、公的な権威を守るという言い訳の下で、無条件に「取材お断り」と言うのは、
決して自分たちの権威を守ることではない。情報開示のシステムもなく、
自由に報じることも禁じられ、一方的な機関誌または取材が限られたメディアに頼るしかない
情報弱者の一般信徒と大多数の外部の人間は、一体どのようにしてその組織を信頼したら良いのか。
「信仰」という名で盲目的に信じることを強要するなら、それは、まさしく権力乱用であり、暴虐でしかない。
だれも覗くことができない、密室の会議によって運営される教団と、
閉鎖された「クレムリン」の中で密かに政策を決定していた旧ソ連と何が違うだろうか。
誰にも批判されない権力が集中するところには、必ず腐敗がある。
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