>>337
フィリオクエ(聖霊の二重発出論)で、西方ではキリスト論的集中がなされて
しまい、正統(人としてのキリストに集中する)か異端(神性に合一する神秘
主義)の二者択一になってしまったのは事実です。

しかし、聖霊の独自性を認める東方では、それ以後、霊の息吹のうちに光の神
秘的経験を説く新神学者シメオン(彼は第二の恵み、聖霊のバプテスマを認めて
います)、そして神を本質とエネルギーに区別して神化の可能性を開いたグレゴ
リオス・パラマス、聖霊による神化の極限を生きたサーロフの聖セラフィーム
と、東方には霊的な暗黒時代というものは存在せず、それゆえ宗教改革もなかった
のです。

しかも、西方では時代を追うごとに神学と霊性がばらばらになったわけですが、
東方では常に神学と霊性はひとつだったのです。そして、東方では三位一体の
神を対象にしたあるべきヨハネ的交わりの神秘主義が連綿と続いた訳です。

ぜひ、概説としてオリヴィエクレマンの「東方正教会」(クセジュ文庫)
それから大部ではありますが、V.ロースキィの「キリスト教東方の神秘思想」
また東方とウェスレーの関わりについて「ウェスレーの救済論」(教文館)
を読んで頂きたいと思います。