スウォッチと「A BATHING APE」がコラボウォッチを発売。金・銀・銅のオリンピックをイメージした文字盤にカモ柄ベルトがオシャレ [738130642]
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ヴィヴィアンのスウォッチも高くなったしこれもワンチャン…ないか
ジャップラじゃオワコンだけどアメリカとかじゃまだ普通に人気あんだよな
志村けんのせいでクソダサイメージが定着して終わった。
15年以上止まったままほったらかしといた
スウォッチ・アイロニー・ホイーリングを
ついこないだはじめて自分で電池交換したら息を吹き返したよ
ついでに同じくほったらかしだった
セイコーのパーペチュアルカレンダー(パペカレ)も
これふつうのクオーツより電池も設定も手間がかかるんだけど
これもはじめて自分でやり遂げて生命吹き返した
こうして腕時計を再生させたところ気分が乗っちゃって
ついでに初めての機械式でセイコー5(ファイヴ)ひとつ買っちゃった
スマートフォンやらスマートウォッチやら全盛なのに
なーに時代遅れなことやってんだろねケンモジさん
志村がどうとか知らないけれど
自意識過剰な奴よりはスウォッチ楽しんでるよ
腕時計でもって流行やら知識やら誇るのもいいけど
どうせなら腕時計におのれの人生を重ね合わせつつ
その人に固有の物語があったっていいじゃない
スウォッチやセイコーパペカレ付けながら
3号館あたりを中心にウロウロしてる
ひとりのど文系学生だったんだ俺っち
一生グランドセイコーもロレックスやオメガも
ましてやパテックフィリップなんてのも買えなくたっていいや
シチズン…シチズンを買ったことはまだないけれど
たしかにいい名前だよね
令和もグーグルのDoodleも批判しないと
時はわれら「市民」のもの
われらに固有の暦を権威や権力には渡さない
渡すなら古典物理ではなく量子の方へ
神の子にして人の子のたった数年の「真理」の言行録が
真理はひとつしかないはずなのにしかし4つも「福音書」がある
そんな量子力学的な時をわれわれひとりびとりが生きてるんだからね
思ってたより良かった
ヴィトンと村上隆のやつより100倍良いわ
スウォッチ・クロノグラフと
おいらのスウォッチ・アイロニー・ホイーリングって
なにが違うんだろか
アイロニー…スウォッチというとプラスチッキーな時計だけど
iron-y…つまりメタルバンドのしっかりしたのを出したんだね
当時大学生の俺っち「あ、かっこいいな」って
それでスウォッチ・アイロニーひとつ買った
ところが当時は知らなかった
まさに時代が世界が「皮肉irony」全盛へと向かっていたことに
>>31
この人は他にも手広くやってるから大金持ちやぞ いいよ、俺はこんな時代をどこまでも錯誤的に生きてやるから
誰からも忘れられ蔑まれたってね
山田太一「男たちの旅路」の鶴田浩二のように
エイプとか大学生が無理してお金出して買ってるんだろうなw
くそださ
牧瀬里穂…好きだったなあ
クリスマス・エクスプレスにゆうちょに
そしてもちろん稲垣吾郎との「ヒューヒューだよ」に
ダサいの哲学
少なくともマーチ以上のど文系大学生なら学ばないと
ダサいと資本主義
ダサいのにダサくなくなってまたダサくなって1周回ってダサくなくなって
資本の論理と自意識過剰と
「1周回って」みたいな愚にもつかない物の言い方を
「理想の時代」を生きた人は誰も口にしなかった
「理想の時代」はしかしやがて
大阪万博と三島自決とあさま山荘事件と第1次オイルショックとを経て
「虚構の時代」そして「不可能性の時代」へと移った
そして2020年
「中止だ中止」…コロナがそんな洗練された戯れや
9.11テロやリスカ的な超現実的の無意味を暴いた
「戯れの反対は真面目ではない。『現実』だ」(ジグムント・フロイト)
スウォッチ…それはセイコーによる「クオーツショック」を受けて
スイス時計業界が生き残りを図って編み出した花
しかしそれはあだ花だった
スイス時計業界は廉価クオーツ時計の普及多売より
高級機械式時計を中東や中国の新興成金に売り付ける方が稼げると気が付いた
ご存知だろうけどスウォッチはSwiss Watchの略なのよ
そしてセイコーのパペカレもあだ花だった
セイコーパペカレを普及させてしまうと
グランドセイコーが売れなくなってしまう
そしてまた時代はまもなくクオーツの精確性と10年電池以上のもの
つまり電波時計とソーラー式充電とを編み出した
スウォッチもセイコーパペカレも
時代の狭間で消えゆく運命だった
そんな消えゆく運命のあだ花ふたつを
ケンモジなる俺は購買入手していたのだった
ましてやスマホスマウォが全盛の2020年に
秒針を止められないセイコー5をわざわざ買ってしまった俺は
つまりどこまで「正しい時」からズレてしまう人間だった
量子的な「時」に真理真実を求める俺は
どうしても「正しい時」なるものを捉えられない
♪どこまーでも、どこまーでも、果てしない空ー
信じている限り、夢は終わらないー
気が付いたらおっさんになってて
気が付いたら嫌儲なる場末に漂着してた
故・高倉健はさすがと言えばさすがだ
(ちなみに故・松方弘樹は一般的な高倉健像に異議を唱えていたが)
高倉は志村けんのコントに哀しみを読み取った
そして映画「鉄道員(ぽっぽや)」への出演を直訴し志村も応えた
高倉の感性は正しい
志村なる存在はセクハラ批判では片が付かない
その志村は「鉄道員」を例外として
かたくなに映画やドラマへの出演依頼を断り続けた
しかし古希を迎えおのれの転機の必要を悟り
山田洋次の映画にその転機を賭けた
賭けたのに死んでしまった…ご存知コロナに蝕まれて
あだ花スウォッチ…志村はあだ花ではない
エイプなる原宿系もまたあだ花だったとして
志村はダサくなどない
ブランド料込でこの値段とか中身は激安中華クオーツだな
やっすいセイコームーブですらないだろこれ
スウォッチダサい…ハミルトンダサい…ETAぽんはダサい…勝手に語れや
腕時計を語り過ぎるもの、「時」を語れず
ベルクソンも、ハイデガーも、「時」を語ろうとしてうまくいかず
「あんだって?神さまだって?とんでもねぇ…あたしゃ神さまだぁよ」(志村けん)
「だいじょうぶだぁ」(志村けん)
この感性はあまりに異常だ
志村に比べれば松本も内村もあまりに「ダサい」
まちがいなく2020年は画期だ
志村が、コロナで、死んだ
志村の死に比べれば
肥大化した商業主義五輪の「中止だ中止」なんて取るに足らない
そんなもの必然なのだから
画期は正しくは劃期と書く
それ以前以後で時代が明確に分かれるの意
こんなことまで説明しなければいけないのが
おっさんだらけなはずだが実は若い奴らだらけの今の嫌儲
ピケティのあれは特段「劃期」な論ではないが
しかしピケティが強調した第2次大戦終結後50年ほどが
「あだ花」的に恵まれた時代だったことは
強調してしすぎることはない
恵まれた時代の「あだ花」スウォッチ
しかし今では露骨な資本主義下の高級機械式路線
ヴェトナム戦争取材を頂点とするメディアの栄光の50年
しかしその「ファクト/トゥルース」は
「中間medium/media」なんてものはないということ
「あだ花」だ
セイコー5(ファイヴ)を買い支えませふ
もちろん精工舎も例外なく高級路線を売り付け生き残らんとする
しかしセイコー5に良心を見て取って間違いはない
スポーツを例外としてセイコー5は途上国向け…だが
今のジャップがセイコー5に似つかわしくないとでも?
間もなくセイコー5スポーツのみならず
逆輸入ではなく正規販売となるだろうよ
「上か、下か」…「ミディアム/メディア」なんてものはない
スウォッチスレごときでもはや半分が俺のレスか
こないだのカシオG-SHOCKスレで同じようなこと書いたら
嫌儲詩人などと言われたのだが
「ポエム」なる語がほとんどギャグなように
2020年の現代は詩などあまりにありふれている
「こだわり」のラーメン屋、「勇気と感動」のスポーツ、そして
「ウラジミール」と呼びかけるジャップ国のおかしなおかしら
アドルノはアウシュビッツ以後に詩は野蛮だと言った
そして2020年の現実と言えば野蛮の世界的な跋扈だ
秒針を止められずだからいつまでも時を精確に合わせられない
セイコー5(ファイヴ)万歳(マンセー)!
セイコー5とはひとつのあまりに嫌儲的な実存なのだ
(ポエットならぬポエマーより)
「動きすぎてはいけない」(千葉雅也)…ここでは
千葉の主旨を損ねないようにしつつ少し改変して
「つながりすぎてはいけない」としよう
スマートウォッチもスマートフォンも「つながりすぎる」
アップルウォッチやガーミンがあるのに
G-SHOCKだの機械式だのの腕時計してるの草
…グーグルのあの標語を思い出すね
「Don't be evil」
現代の「下っぱ」は
おまえさんから「邪悪」を想起せざるを得ないのよ
グーグルさん
グーグルさんも林檎さんも
どんなにリベラルにポリコレっても
どーしても「下っぱ」なおいらは「evil」を見ちゃうの君たちに
東電OL冤罪のゴビンダ
ネパールから日本にやって来てなにより驚嘆感心したこと
ニッポンジンみな電車で本を読んでいた
ゴビンダところが殺人の罪でサツにパクられ有罪となって
10数年ものあいだを牢屋で過ごした
支援者の支えあって無実を晴らしてやっとこさゴビンダシャバに出た
ところが90年代末から2010年代にスリップしたゴビンダ驚いた
今では誰もニッポンジン本を読んでいない
ケータイでゲームやってる
「出来る/可能性/possibility」…それは果たして
本当に主体的な営為なのか
むしろスマホ、スマウォの「つながることが-できる」に
引っ張られていると言えるのではないか
ゴビンダが感心した90年代末(97年前後)に
新聞や雑誌は過去最高の部数を誇り
そして誰もが腕時計をしていた
しかし、Windows98、iモード…99年の頃には
人々はゴビンダの理想からどんどん離れていく
つながれないことからつながりを想像、希求した時代から
簡単につながれることからつながりに苛立つ時代へ
インターネットの登場によって
世界中の誰もが自由に民主的になれる…90年代末の頃は
ほんとうにそう信じられていた
2020年の今からすれば
あまりにナイーヴでおめでたい考えとしか思えないのだけれど
そんなあの頃に「邪悪になるな」を引っさげて
ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogleを始めたんだとサ
「スマウォあるのに腕時計とか草」…マウントもいいが
それがナイーヴでおめでたいねとならなきゃいいのだけれど
腕時計と本…もしかしたらこれが
バランス最も取れていたのかもしれぬ
そんなこと
当時はあまりにあたりまえすぎて分からなかった学生のおいら
気が付いたらこんなとこに居る(´・ω・`)
「時計じかけのオレンジA Clockwork Orange」
悲惨な最期…ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱付き」op.125
いわゆる「第九」が流れて
(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ベルリン・フィルハーモニー・管弦楽団)
https://youtu.be/JOaI93Ob2B4 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています