「逝ってよし!!」を哲学しよう!
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0001名無しさん@そうだ選挙に行こう。
NGNG何かしら哲学を感じる方々、議論しましょう。
0002考える名無しさん
NGNG0003考える名無しさん
NGNG0004考える名無しさん
NGNG0005考える名無しさん
NGNG0006名無しさん@そうだ選挙にいこう
NGNG0007考える名無しさん
NGNG0008考える名無しさん
NGNG0009考える名無しさん
NGNG0010考える名無しさん
NGNG0011考える名無しさん
NGNG0012考える名無しさん
NGNG0013考える名無しさん
NGNG0014考える名無しさん
NGNG0015考える名無しさん
NGNG0016考える名無しさん
NGNG全て俺の自作自演だ
0017名無しさん@そうだ選挙にいこう
NGNG0018考える名無しさん
NGNGせつない感じ。何か冷たいことば。
例えば「さむい」「うざい」「きつい」などは日常的になったが
皆が使うようになったころは聞くたびにせつなくなった。
ようは高飛車な精神が好むことば。
高飛車とはいっても誰向きかを考えれば・・しかし重要なポイント。
これらのことばに共通するのは聞き手に不快な刺激を与える
目論見があるということ。
あまり考えないタイプの強がりで優越感競争が好きな連中を巻き込んで流行る。
例えば社会学系のタレント宮台の高飛車はこういうものだ。
総じて80年代に遊んでたタイプはこの手の高飛車を好む。
当時のメディアや商業戦略は極端に優越感を煽り、差別を促していた。
その影響を受けこの手の高飛車を精神構造に持ってしまっている連中。
小学生段階では身体的なちょっかいを出す悪ガキが幅を利かす。
その後は精神的にちょっかいを出す上述のような高飛車な精神を持った
タイプが幅を利かす。
これらはいずれも成長が早い。
身体的ちょっかいを出すタイプはヤンキーになりやすい。
彼らはだいたい15才で成人してしまう。
精神的にちょっかいを出すタイプはナンパで遊ぶタイプになりやすい。
彼らは18〜20才で成人する。
その他の未熟なタイプは永遠に成熟しないクズかまたは中年以降成熟する
タイプなど様々。
酷いことを平気で言う高飛車な連中は僕は嫌いだ。
せつなくなってしまう。
このスレッドもそういう高飛車な発言に満ちている。
これはいったいなんなのだろう。
しばしば見かけるこの現象は?
0019考えない名無しさん
NGNG・・・っていうか、決め台詞にもならん。
人間、誰だって何時でも死ねるんだから。
つまり・・・この言葉発した奴は、「誰かが言った言葉を猿真似しか出来ない奴」と
思いっきり見下そう!!
しかし・・・これって哲学か?思いっきり語学レベルのスレだぞ?
0020名無しさん@そうだ選挙にいこう
NGNG0021考える名無しさん
NGNG人を見下す前にもう少し考えようよー。
さびしいよ。
決め台詞にならんというけどそれは事実認識が間違ってます。
決め台詞になってるじゃん。そこんとこから出発しないと。
皮相的な辞書的な意味を考察の基礎にするなんて初歩的なミスです。
こういうスレッドこそ哲学できるじゃん。
誰かの意見の解釈や文献学は厳密には哲学ではないワケだし。
0022名無しさん@1周年
NGNGバカだね。
語学的にもその解釈は間違っとるよ。「逝ってよし!」というのは字句通りには
「俺にかまうな、おまえ逝っていいぞ」、という意味であり、真の意味は
「早く死ね」という意味です。
だから単に「死ね」と言うよりも、突き放したような冷淡さと少し古めかしい
言葉使いによるユーモアが皮肉を生んで、「逝ってよし!」の方が印象が強くなる
のは間違いない。さらにコピペという手法が現代のダイナミックな資本主義社会
の画一商品の大量生産・大量消費の運動とあいまって、DJによるサンプリング、
またポップアートの画一性の反復のような社会批評的異化作用を生んでいる。
というわけで「逝ってよし!」万歳。 「おまえは逝ってよし!!」
0023鯡
NGNGhttp://cactus.aist-nara.ac.jp/lab/activity/benkyo-kai/Conversation/abstract/hanae-k/shiryou.html
0024考える名無しさん
NGNG『複製技術の時代における芸術作品』読め。
002524
NGNGさびしいなら俺と付き合ってくれ。
0026名無しさん@1周年
NGNG0027煤
NGNGこれも少し考えて見ましょうか。面白そうだし。
オマエモナーにしてもそうなんですが、このような2chジャーゴンは、議論
を操作する為の一種の「言語装置」と考えるべきだと思います。
「逝く」という言葉は「死ぬ」と捉えることも可能ですが、この場合の
「死ぬ」という言葉は、生物学的な死ではなく、もう少し象徴的な意味をも
もつでしょう。つまり、これは、自分たちが共有する領域の、更に向こうの世界へ旅立つ
ということ。「萌えるゴミは彼岸の住人」とよく言いますが(笑)、この彼岸
も同様の意味に取られます。
ここで「逝ってよし」は、自分たちの属する世界の外へ行け、という「排除
の論理」が骨格になっていると理解されます。自分たちの属する世界に
とって不可知の外部を措定することは、図らずも同時に自分たちの世界を、その境界
を確定するという意味に於いて、措定するという事をも意味します。ここで
働く排除の論理は、故に、自分たちの属する世界を保守する論理であるという
ことも出来ます。つまり、「逝ってよし」とは、向けられた対象を排除する
と共に、発言者の世界観を保守する為の言語装置であるというわけです。
0028煤
NGNGの前提となっており、これは、一般的な形而上学的階層的二項対立の構造を
持っているといえます。
ここで、この言語装置のスタビリティにメタ的なチェックを入れておくことは必要
だと思います。つまり、発言者がこの言語装置を用いることによる実効性の確認
ですね。
……排除の論理はの骨格は、現前に想定される存在の否定です。つまり、自分の
領域の外を「創りだし」そこに追い遣ることによって、領域内での存在を否定す
る。しかし、そこに作り出される領域の外は、根源的にはその存在の内部に潜在
していたものです。つまり、自分の領域を内部、その外を外部とするなら、措定
された外部は、結局は、「内部の内部」にあったといえます。排除された存在
の逝きつくところは、結局、内部の内部から生み出されたもの。そして、外部を
排除することにより立ち現われると考えられる純粋なる内部は、排除された外部
の否定としてのみ措定され、故に、内部は外部を常に持ち込んで、その差異を
決定不可能なまま生み出しつづけます…と、どこかで聞いたような議論が展開
されていますが(苦笑)、実際、否定による自己の世界観の保守は、無限運動
であることを免れず、結局、その境界は決定不可能であると考えてよいと思います。
0029煤
NGNG排除された「外部のもの」から常に脅かされる不安定な内部世界を現出させる
事になり、その結論は永遠に遅延させられることになると思われます。
「逝ってよし」を用いた人間は、これを使うことによって排除しようとした
世界から常に脅かされ、そのイデアルな境界の構築の為に、不断の格闘を
強いられることになるでしょう。それは、決して成就することのない、無限の
闘争であると言えます。
0030名無しさん@そうだ選挙にいこう
NGNG0031名無しさん@1周年
NGNG0032名無しさん@1周年
NGNG0033考える名無しさん
NGNG>一般的な形而上学的階層的二項対立の構造を持っているといえます。
何故言語学的ではなく、形而上学的なの?
>自分の領域の外を「創りだし」そこに追い遣ることによって、領域内での存在
>を否定する。しかし、そこに作り出される領域の外は、根源的にはその存在の
>内部に潜在していたものです。そこに作り出される領域の外は、根源的にはそ
>の存在の内部に潜在していたものです。
根源的って何?何でそうなるの?
>決して成就することのない、無限の闘争であると言えます。
じゃあどうすれば良いと言うの?その原因は何?排除せざるを得ない理由が
あるのではないの?
0034煤
NGNG「逝ってよし」という語りかけに、発話者の、現前の存在に対する
否定を想定しているからです。
>根源的って何?
根源的という言葉遣いが悪かったでしょうか。つまりもともと自分の
領域にあると認識された者に対する否定行為の説明です。
>じゃあどうすれば良いと言うの?その原因は何?
排除せざるを得ない理由があるのではないの?
……これに関しては26〜28のカキコを読むようにとしか
言いようがありませんね(笑)。
33の書き込みは、私の記述に対して何が不服なのか大変不明瞭です。
それは殆ど貴君の読解不足に起因していると思います。攻撃的な論争
は歓迎ですが、無駄な揚げ足取りは、哲学以前の問題です。
貴君は言語学的解釈に拘っているようですが、それならあなたの
考えを披露すべきなのでは?哲学には正解はありません。
多面的な解釈が存在する方が学問的として健全です。
0035(゚д゚)ハァ
NGNGつーか言語学も知らなそう(藁
哲学に関しては言わずもがな
0036煤
NGNG33の記述は「逝ってよし」という言語装置そのものの存在意義を問うことを
私に要求しているようですね。しかし、私は、この言語装置は用いられた時点
で、その存在意義を自明と考えました。何故ならこの言語装置の適用自体が
発話者の抜き差しならぬ衝動を示していると考えるからです。その衝動を成立
させる条件は発話者の数だけあり、実際の文脈に即して解釈するのが適当でしょう。
例えば、私たちは存在しますね(いや、別に疑ってかかったって結構ですが/笑)。
何故存在するのか。どのように存在するのか。このような問いは哲学的に大変
重要です。でも何故存在しなければならないのか、という問いは、自己遡及的で
なければならず(他人にそれを問う事は偽倫理学的で大変危険です)、その答え
は、自分たちで出さなくてはならないものです。33の問いは、何故「逝ってよし」
が用いられなくてはならないのか、という意味を含んでおり、これは、哲学的な
問いとは思えません(「排除せざるを得ない理由があるのではないの?」という
問いには、まさにそういう含意が認められます)。私は、故に、21さんと同様の
立場をとるわけです。
>決め台詞にならんというけどそれは事実認識が間違ってます。
>決め台詞になってるじゃん。そこんとこから出発しないと。
0037煤
NGNGこの言語装置によって、どのように形而上学的に行為化されるのか、という所に
哲学的興味の焦点を当てたわけです。無論これは哲学的視点の一つのあり方でしか
なく、唯一無二の正解ではありません。27〜29の書き込みは、Jackey(笑)デリダ
の考えを借りて、その否定衝動が無限ループに陥る過程を示したものです。即ち
その衝動は境界が完全に設定され得ないが為に無限のタスクと化し、発話者へ反射
する、ということ。その何時までも延長され続ける衝動に対して「じゃあどうすれば
良いと言うの?」(>33)という問いは無意味です。これも、発話者がそれぞれ
考えなくてはならない問題だからです。私の言及は、「この言語装置の使い捨てが
基本的に不可能である」ということの指摘に他ならず、そこに一つの哲学的重要性
を見出している、ということの表徴です。
003833
NGNG私の乱暴な突っ込みに対して丁寧なレスを有り難うございます。
私がネット上で発言を始めたのは極く最近(2ヶ月位)であり、まず2ch
を試し台にしてみたのですが、なかなか馴れなかった一つの理由は下記のよ
うな独特の表現形式です。
1.「氏ね」「基地外」「ドキュソ」「電波」、「厨房」そして「逝ってよ
し」等のスラング(隠語的、換字的、侮蔑的表現)
2.…(笑)、…(藁)、…(ワラ、…(爆)等の自己の発言に付けるト書き
3.発言の意図や根拠が理解しにくい短いレスの連続
4.驚くほどの差別的、嘲笑的、攻撃的な発言の多さ
5.荒らし、煽り、キリ番取り等の出没
日常世界(少なくとも私の関わってきた世界)では決して現れないこれらの
表現に初めて出会えば、多分誰もが感じるであろう違和感にも少しずつ馴れ
て来ましたが、2chではそれが文化のように定着している事が何故なのか
という疑問は未だに解けません。そんな中でこのスレが立てられ、煤さんの
まとまった主張に出会ったので、2ch風に突っ込んで見た次第です。
003933
NGNGさて、インターネットによる議論は勿論歴史が浅く、可能性と危険性も未知
ですが、2chは匿名性を最大限に許容し、かつ間口の広さから一つの先端
を走っていると思います。それはバーチャルながら公共空間を大きく広げて
おり、実際のアクセス数もYahooを除けばトップクラスでしょう。にも拘ら
ず、上記のような極めて特異な場の雰囲気が形成されている理由は何かとい
う事は、ネット一般に言える部分と2ch特有の部分とがあると思われます
が、単に言語装置的・形而上学的な「排除の論理」の解明だけで済むものな
のか。年代的にはかなり「逝っている」私などはどうしてもネット世代が持
つ精神的な未熟さを感じてしまう。多様なコミュニケーション手段を持ちな
がら実際のコミュニケーション内容は皮相で相互反発的だと見えるのは、哲
学的というよりはむしろ社会的な問題だと思う。それはデリダ流ポストモダ
ニズム的な解釈によってではなく、ポストモダニズム現象自体にも共通する
精神の脆弱化・自己閉塞化の現れではないのか。他者との真の共同性ではな
く、知的な優劣を含めて弱いものが(徒党を組んで)更に弱い者に対する差
別によって自己の存在を確認する偽りの共同性こそが排除の論理ではないの
か。それは一般的なことかも知れないが、この20年来の日本の若い世代に
特に顕著な現象でしょう(例:いじめ、暴力、引き篭もり等)。
そんな思いから、その点に関してどの程度の問題意識をもっておられるのか
と、以前の質問をした訳です。つまり、私の問いは単に哲学的・形而上学的
な問いではなく、「発話者の否定衝動の顕現」がどこから来るのかという心
理学的・社会学的な問いだった訳です。(実際、「逝ってよし」的な発言で
は上記の意図が伝わる筈も無いでしょう。)また、論争などと言う不毛な意
図などは元より無く、開かれた対話こそが重要と考える次第です。
0040煤
NGNGまず御理解頂きたいことは、私たちの議論は、射程とする問題圏が最初から異な
っているということです。私の記述はあくまで「逝ってよし」という言語装置そ
のものの理論的側面を扱っており、33さんはこれを、一つの文化的表徴として社
会学的に扱おうとしておられる。2つの議論は垂直的に相互関係(私の記述の方が
基礎レヴェルです)を持つべきものであり、その接続点を追求することは論理的
に可能ですが、2つを突き合わせて問題意識の深度を比較することは最初から意味
を持ち得ないと思います。このままメタレヴェルの議論を継続することにはやや
躊躇を覚えますが、まぁ少し整理していきましょう。
私は、所謂2chジャーゴンと呼ばれるものの殆どは、斯様な仮想空間内に於ける
議論の流れを操作する「含意無き道具である」と認識しています。これを2chと
いう特殊な空間内で醸成された文化として有評であるという立場は否定しません
が、少なくとも、これを社会学的な議論の入口にすることには少々無理があると
思います。このスレで問われていることはあくまで哲学議論であって、その上の
階層の議論を要請している訳ではないからです。私がこの言語装置を排除装置と
指摘するに止め、その衝動を不問にしたのはその為です。それは、別のレヴェル
で語られなくてはならない。33さんのポストモダニズム云々に対する批判は、こ
の部分に関して混乱が見られると思います。
0041煤
NGNGこのスレでその議論を継続することの是非はともかくとして、私自身興味のある
問題ですし。
……2chの持つ閉鎖性は、御指摘の通り「匿名」性を最大限に許容した「議論」
そのものにあると思います。ただ、その匿名性故に2chを社会的な秕糠の巣窟と
トップダウン的に位置付けることは困難と思います。2ch参加者の年齢層や社会
的地位といった客観データが揃わないと精密な議論は不可能だからです。同様の
意味から2chの議論のあり方がネット世代の精神的未熟さの射影であるかどうか
も議論の余地のある問題だと考えています。それらはこの空間の匿名性を考慮し
て初めて考察の対象となり得ます。
私たちは、実生活に於いて、自分自身を足掛かりとして他人を認識します。当た
り前ですね。ここでラカン的に自己の認識を他者の鏡像と捉えるならば、相互の
コミュニケーションは、それぞれに主体他者間で自己遡及的に際限なく反復され
る認識行動と位置付けることが出来ます。
一方で2chのような匿名世界を考えると、コミュニケーションの足掛かりとなる
他者が極めて虚弱である。誰が書いたのか分からないテキストのみがその支点
になっているから。いきおいここでの他者の認識は、今まで情報として蓄積さ
れた自己を反復させるしかない。ここで、匿名のサイバースペースが自己の内部
空間の延長という本質を持つことが分かります。自己の内面に道徳的な桎梏を課
すことは原理的に困難です。故にこれが、この世界での道徳感欠如の発端になっ
ていると私は考えています。
0042煤
NGNG当然最もランクの高いものとなります。つまり、顕在的も潜在的にも支配者の
立場にあるということです。道徳的な桎梏の存在しない支配者としての自己。
自分の意に適わない人間を容赦なく排撃する図式には、この暴君としての自己
の存在が大きく関わってきていると私は考えます。閉鎖的なジャーゴンも同様
に理解できますね。これは他者が自己の持つ範囲と大きく重なることを即物的
に示す一つの確証であるわけです。苛烈な割には保守的な議論が多いのは結局
主体が主体として確かな安定性を求めているからだと思います。これが33さんの議論の要
件のうち心理学の領野に於ける私なりの理解です。仮に、ネット世代の精神的
未熟を想定するなら、他者の認識の希薄さから来る道徳的な破錠性こそがその
根源といえますか。確かに33さん御指摘のいじめ・引き篭もり等は、この図式
で同根の現象として括ることが出来そうですね。
ただ、このような保守・排除の衝動は誰もが潜在的に持っているものだと思う
んです。2ch議論は、たまたまその非自律的な剥き出しの自己を突出させる契
機を内在させる構造を持っていた。そういうことなのではないでしょうか。
2chの問題性を指摘することは重要ですが、結局それは潜在的に自分に反映され
る問題でもあると思います。
0043考える名無しさん
NGNG(この場合は「逝ってよし」)を使うことに意味があると。ネットは人間関係としては
緩やかな繋がりなので、直接の人間関係で阻害された人が参加する余地はあるけど、
そこでもやはり協調性に欠けて阻害、排斥されると。最後には、現実の社会で支配的な
直接の人間関係では阻害・排斥される側の人間がネットでは阻害・排斥する側にまわることもあると。
で、ネットがあるからネット世代が未熟で阻害・排斥されるのか、従来の社会であれば
阻害・排斥された人がネットでは無事阻害・排斥する側に立ち強者としてのプライドを勝ち取り
実社会に向かって立ち直る機会を得ているとするのか、その辺りはどうでしょう?
0044煤
NGNG33さんなんですか(文脈からはそう思えますが)。
こちらとしては質問反論その他いろいろあるんですが、誰が誰だ
かいちいちアイデンティファイできないので困ります。出来る事
なら固定HNを付けてもらえません?
0045煤
NGNG>要約すると、2chに所属していることを示すために正しい文脈でジャーゴン
(この場合は「逝ってよし」)を使うことに意味があると。
違います。2chのような匿名議論の場を自己の内面の延長として捉えるならば、
ここでの他者も自分の延長という形で認識される訳でしょう。そういう幻想の
中で、他者が自己と同一の世界観をもち得る一つの確証として、内向きなジャ
ーゴンの使用が認められるといっているんです。それは2chに所属といった社会
制度的な認識とは異なるものです。
>ネットは人間関係としては 緩やかな繋がりなので、直接の人間関係で阻害さ
れた人が参加する余地はあるけど……
私はそんなことは言っていません。というより、このような先走った記述には
釘を刺しておいた筈です。
>ただ、その匿名性故に2chを社会的な秕糠の巣窟と トップダウン的に位置付
けることは困難と思います。2ch参加者の年齢層や社会的地位といった客観デ
ータが揃わないと精密な議論は不可能だからです。
43(=33?)さんは、どうしてもネット空間を社会的弱者の逃げ場として捉え
たいようですが、これに就いては客観的な確証があるんでしょうか。2chひとつ
とっても匿名世界ですから、全くデータがとれない訳でしょう?この前提は、
正確な議論をする為にもっと厳密にチェックされるべきです。私自身、2chに集
まる年代層社会層を何度か想定しながら、その修正を迫られることが度々なので
こういった紋切り型の前提には全幅の信頼が寄せられないんです。そう言う訳で、
あなたの主観に過度に依存した論議を私は望みません。それはあなたにとっては
確実であっても、客観性に乏しく狭隘な議論に変わりがないからです。
0046煤
NGNG>で、ネットがあるから…
以降の文章もその論理的意義を感じることが困難です。私自身こういった匿名
サイバースペース自体に、道徳観欠落自己中心的パーソナリティを創り上げる
素地があると考えています。2chの現状は確かに集まってきている年代層社会層
の在り方を反映しているとは思われますが、斯様な素地を考慮した時、それを、
局所性の社会問題として捉えることには疑問を感じます。自己肯定・保守として
のナルシシズムはどの世代にも等し並に当て嵌まるものでしょう。そこから来る
(であろう)意に添わない他者への容赦ない排除の衝動は、2chに来る人間に突出
しているのでしょうが、結局このような匿名公共空間の特性として、どの世代層
社会層に対しても回避し得ない問題だと思うのです。あなたは、御自分の指摘した
問題に対して第三者の視点で議論されていますが(>年代的にはかなり「逝ってい
る」私など…(39)等々の記述から、それは明白です)これはあなたにも(勿論
私にも)潜在的に突き付けられた問題といえるのではないでしょうか。
>従来の社会であれば阻害・排斥された人がネットでは……
という議論は、少なくとも私に振るべきものではありません。私はあなたの
鏡像ではありませんから(笑)、あなたの希望に沿った記述は出来ません。
これはあなた御自身が・あ・な・た・の・責・任・で・展開してください。但し
あなたの引く図式の前提が客観データに依拠したものとして説得的に提示し直せ
ない限り、私も、このスレに来ているだろう幾人かのオブザーバーも、決して
納得しないでしょうが。
0047考える名無しさん
NGNG0048>
NGNG004933
NGNG>煤さん
43は別の方です。私はオリジナルの発言番号で主格を表現する事
で同一スレ内では固定HNと同等だと思っています。
あと、来たばかりでご意見を読み切れていないので、改めてレスし
ます。新しい言説空間でそれ自体を論じるというのは、展開次第で
は盛り上がりそうですしね。
0051煤
NGNG>私はオリジナルの発言番号で主格を表現する事 で同一スレ内では
固定HNと同等だと思っています。
了解です。勿論それでよいですよ。48が…なんかえらく化けてるん
ですが…(^^;;
>18は…哲学と印象表記の境目という感じですかね。もう少し直感的な記述
を改めれば面白い考えになると思います。私の記述はあくまでサンプルです。
私の文章は確かに晦渋だと思いますが、きちんとした含意を以って書いてい
ます。分からない事があったら質問して下さい。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
NGNGこれらの言葉はギャグにも、
哲学にもなりうる。
まさに言葉の新しい可能性と哲学の豊穣さを
象徴するキーワードだ。
ビバ!「逝ってよし!!」
「厨房!!」万歳!
「氏ね!!」永遠なれ!
0053名無しさん@1周年
NGNGセクースセクース
マターリマターリ
セクースセクース
マターリマターリ
セクースセクース
マターリマターリ
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005433
NGNG1.匿名性の功罪
肯定面:実際の個人的事情に捕われずに普遍的な個人として自由な言論が
可能となる。
普段は言えない事を表現する事でカタルシスが計れる。
否定面:仮装(仮想)する事で現実の自己および世界から遊離する危険性
がある。
普段は抑圧された不合理な感情のはけ口となる。
2.他者との出会いとかりそめ性
ネット上で多くの他者と出会える反面、どこの誰とも知らない希薄さから
画面に写される文字映像相手のモノローグにもなり得る。
(マルチメディア化すればまた変わると思いますが)
3.情報の共有・公開性
コピーのたやすさ、迅速性は情報スピードと量を圧倒的に増大させるが、
事実情報の信憑性についてはより注意深さが必要となる。
4.議論の場とルール
普遍的な事柄に関しては発言者の個人情報はまったく不要であり、哲学的
対話・議論などにはネットは優れた媒体だと言える。無論独自の作法や
ルールが自然にできて行くのではないかと。
従って、「意に添わない他者への容赦ない排除の衝動」は部分的にあり得ますが、
ネット本来の可能性はむしろそれとは逆の「公共性」にあると思います。また、
「サイバースペース」(バーチャル空間)というのも正確な定義と分析が必要で
あり、必ずしも完全に仮想的ではなくあくまで現実の延長と捉えるべきでしょう。
実際、「逝ってよし」とはどこに逝けと言うのだろう。「あの世」「現実世界」
「他のサイト」等あり得ますが、ネットは世界に広がった境の無い空間とも言え
るので、少なくとも「公共の場から去れ」とは(荒らしを除いて)矛盾している
と思う。
その辺については如何でしょうか?
0055名無しさん@1周年
NGNG0056煤
NGNG…まず、のっけから申し訳無いんですが、あなたの行論自体に内在する矛盾を
指摘していきます。33さんご指摘のネットに於ける「公共性に見出される可能
性」はそれ自体ごもっともだと思います。但し、これはネット環境の可能的な
部分、つまり潜在的にもつ一般的可能性への言及に過ぎず、実際問題として人
に利用された場合の局面が綺麗に欠落しているのではないでしょうか。私たち
は、2chにおけるモラルの欠如をジャーゴンの使用という観点から話し合おうと
している筈です。それなら、サイバースペースを媒体とした利用者自体に注目
しなくてはなりません。ジャーゴンはそれ自体、人によって用いられることを
表層的な本態としますから、これ自体を切り口にする事は適性と思います。た
だし33さんの述べられた一般的定義は、あくまでスタティックな前提であり、
実際的なネット環境でのモラル問題と不整合が出るのは当然です。
>少なくとも「公共の場から去れ」とは(荒らしを除いて)矛盾している
矛盾と捉えられるのは、議論の途中で扱う問題が混乱してしまったからです。
そこで提案なんですが、取り合えず33さんの責任で2chの倫理を前面から取り
上げたスレを作ってみたら如何でしょうか。2chジャーゴン、しかも「逝って
よし」に限定した議論ではこういうものはなかなか扱いにくいでしょうし。
そこで改めて33さんが中心になってご自分の意見を述べられたら良いと思い
ます。ひょっとしたら「2chにおける主体について」の1さんは33さんかもしれ
ませんが、もう少しストレートな方がベターです。それを2chの面々が受け入れ
るかどうかは勿論別ですが。鋭敏なご意見期待しています。
005733
NGNGご意見ありがとうございます。ご提案についてはもう少し2ch全般の現状調
査(笑)を行ってから検討したいと思います。因みに「2chにおける主体につ
いて」を立てているのは別の方です。(タイトルはとても刺激的ですが。)
2chは以前と比べてメジャー化してますます面白くなっているのではという
印象を持っています。
0058名無しさん@1周年
NGNG0059名無しさん@1周年
NGNG0060名無しさん@1周年
NGNG0061考える名無しさん
NGNG006261
NGNG0063平成の暇人
NGNG煤さんってこういうのすきなんだなあ。
もうおまえもなースレッドはなくなっちゃたね。まああってもかきこまないけど。
とりあえず、あげとくね。
0064考える名無しさん
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