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「知」に関する優越感や劣等感

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0001名無しさん@1周年 NGNG
って、何なんでしょうか?
0002名無しさん@1周年 NGNG
るさんちまん
0003代理いぬ NGNG
「○○について肯定的であるか否かが自分の社会的立場にとってどのような利益をもたらすか?」
という要素(あるいは無意識の)が、社会ゲームに対して必要以上に支配的になってくると、
当人達をも心底騙してしまうような、無意味な価値観が形成される。
この場合、当人達が対象に対してどのような理解を得ているかは問題ではなく、
否定、肯定のいずれを選択すれば、
社会的優位を得られるかといった点だけが重要視される。
特に、マイノリティを指向する傾向があるように思われる。

例:
・そふぃーのせかいよみました?
・ゆずっていいよね〜。
・どらくえせぶんつまんねーよ!

日本人って、この手の力に支配されやすいような。
0004シンプルいずべすと NGNG
>3もっとわかりやすくかいせつしてください。
0005名無しさん NGNG
>3

そんなこといったって誰でもそうなのでは?ただ日本人は其の傾向が
若干強いためだけではないだろうかな?ん?つーかさぁアタマあんのか、オマエ。
だいたいハンでようななんて書くな、アホdamey。
00065 NGNG
× そんなこといったって誰でもそうなのでは?

○ そんなこといったって何処の民族でもそうなのでは?


んで、
       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
Λ_Λ  | 倭人の自虐論を煽る在日さんおとなしく       |
( ´∀`)< 既知朝鮮へお帰りください              |
( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐<
 ( ゚Д゚) < こういう奴が既知朝鮮から密航してくる       |
 /つつ  |               ろくなことがねぇしな。     |
       \____________________/
     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
      | 日本人拉致なんか起こさないで下さいよ(ワラワラ     |
(-_-)< またもや2Chから犯罪者が!?             |
(∩∩)  \_____________________/
0007微熱症患者 NGNG
知っているということに優越感を抱き、知らないということに劣等感を抱く
のは、知っているということがそれ自体でよいことであるという暗黙の了解
があるからではないでしょうか?
0008名無しさん@そうだ選挙にいこう NGNG
小室哲也はクズとかね。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=compose&key=967891366

0009考える名無しさん NGNG
・e・<知ってることはそんなにエライのか?この御時世、ネット検索でぼんって出るデータをひけらかしたところで
    エライのはコンピューター様でございますからね〜。
    量的な知に還元されないような「思考」の可能性をさぐりことが哲学なんだろうけど
    爆発的な知の集積やその配列を瞬時にこなせるこの時代性をふまえつつ、
    その上で「考えること」の可能性を模索するってのは
    生半可じゃできないだろうね。
0010代理いぬ NGNG
>7
>知っているということに優越感を抱き、
>知らないということに劣等感を抱くのは、
>知っているということがそれ自体でよいことであるという
>暗黙の了解があるからではないでしょうか?

それって鋭いよな。
良い知識にしろ、悪い知識にしろ、
なんでも知っているほうが"良い"気がするよな。
"知る"という行為、あるいは"知っている"という状態が、
斯くも良いことだと思われているのはなぜだろう。
単に情報の多いほうが、生活に有利だと考えられているせいかな?

しかし、それでも「知らなきゃよかった」なんてこともあるんだから、
人間の生活って複雑なもんだな。

>8
>爆発的な知の集積やその配列を瞬時にこなせるこの時代性をふまえつつ、

いや、その集積や配列を"人間らしく"こなせるところに、
我々人間の価値はある。
もしかして、それこそがものを考えるということの本質なのかもしれない。
こればっかりは、コンピュータ様にはまだまだゆずらないよ。

>5
>アホdamey。

dameyってなんだ?気になる!
0011フィロゾファッカー NGNG
>9
>この御時世、ネット検索でぼんって出るデータをひけらかしたところで
>エライのはコンピューター様でございますからね〜。
コンピューターはあくまで整理してるだけで知識は人がネットに還元したものじゃない?
だから、多くの者が知識を共有できることとなっただけでしょ。
知識の独占はいけないってことかな・・・


このスレで語られる「知る」は
プラグマティズム以降の哲学の知識観と同じものとして扱ってよろしいのでしょうか?
    
0012考える名無しさん NGNG
優越感に浸る、それは知識とは関係ありません。
0013名無しさん@1周年 NGNG
       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
Λ_Λ  | ケッ、倭人は島でコメでもつくってりゃいいんだ |
( ´∀`)<                       |
( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐<
 ( ゚Д゚) < 都知事の石原とかいうアホは            |
 /つつ  | 防災訓練で軍事パレードやらかしたらしいぞ。     |
       \____________________/
     
0014微熱症患者 NGNG
>>10
>"知る"という行為、あるいは"知っている"という状態が、
>斯くも良いことだと思われているのはなぜだろう。
>単に情報の多いほうが、生活に有利だと考えられているせいかな?

これは思いつきなのですが、知っていることはよいことだというえ価値観には
ものをもっていることはよいことだという価値観や生きているということはよ
いことだという価値観と似ています。
いずれも、個別の具体的な内容に踏み入らずに大雑把に考えれば、選択肢が増
えたり、より多くの可能性があるという特徴を持っています。
可能性があるということを(現にその可能性が実現しているかどうかを抜きに
しても)一般によいことだとみなす傾向が私達にあって、それゆえに知識をも
つことがよいことだと考えられるのでしょう。
(他方、可能性などという掴みどころのないものではなくて現実にどうである
かのほうが大事だ、という考え方もあります。「知ったかぶりばかりして全然
動かない奴はいらない」「使い道のないものは持っていても仕方ないから捨て
てしまっても同じだ」「悲嘆に暮れる人生ならいっそ死んだほうがマシ」など
という判断に見られる価値観です)


0015考える名無しさん NGNG
・e・<要するに「知的財産」を「所有」することにおける優越という先入見ね。
    でも哲学で求められるのは、単に所有することじゃなくて、よりよく運用することね。形式的に言うと。
    う〜ん何か経済学っぽいハナシだな。
0016名無しさん@1周年 NGNG
よく「所有」する事さえ、よく運用する事では
0017微熱症患者 NGNG
>>15
>要するに「知的財産」を「所有」することにおける優越という先入見ね。
  
そうです。私が言いたかったのは、まさにそのこと。

>でも哲学で求められるのは、単に所有することじゃなくて、よりよく運用することね。形式的に言うと。
>う〜ん何か経済学っぽいハナシだな。

もし「知識」の概念を(あるいは14で私が述べたように「生命」の概念を)「所有」の概念に同化
できるのなら、経済理論を哲学に応用できるかもしれません。というか、すでに経済のアナロジー
で経済以外の事象について語る人はをわれとよく見かけます。
ただし、財貨の運用の目的の設定は狭義の経済学の領域外なので、そこで再び哲学を持ち出さざる
を得ないでしょう。
安直に、財貨の再生産、利殖が目的だと設定するなら、「知識を運用して、さらに知識を獲得する
のがいいことだ」とか「生命の究極的目的は自己の遺伝子をもった子孫を増殖させることである」
という思想になってしまいます。別にこれらの思想が悪いとか間違っているとかいうことではない
のですが、非常に通俗的なものの見方なので、ちょっとつまらないと思うわけです。

0018考える名無しさん NGNG
ナレッジ・マネジメントとかいう考え方はあるな
0019考える名無しさん NGNG
・e・<徹夜明けでアタマがぶっとぶ前に短いレス。
    運用ってゆうか、むしろ「流通」って概念のほうがオモシロイかな。
    サイバースペースを飛び交うデジタル化された情報の流動性や相互共有性。
    それにともなう知的主張の自己言及性や自己責任性といった倫理的問題、とかなんとか。
    やば・・アタマぶっとびそう。
0020考える名無しさん NGNG
・e・<加えて同一の知的傾向を共有する者同士による党派性の問題ってゆう
    政治的脈絡の話しも出てくるかな。マジョリティやマイノリティの位置づけの問題とか。
    こっちのほうが優越感や劣等感の文脈に近いかな。

    まあ、いろいろアナロジーしてみても仕方ないか。
0021考える名無しさん NGNG
アナロジーOK、OK。
0022考える名無しさん NGNG
知ってるということは良い事なのか?
生きるという事に価値をみいだすなら、その理屈は部分社会
によってはそう言い切れないんでは?
知に関して優越感を感じる人間は同時に劣等感にも遭遇していると
思う。 優越感と劣等感は表裏一体だから、優越感を片方で感じな
がら、ある場面では、劣等感にも苦しむ。

生きるということが苦しく感じるのは、もし物質的に恵まれている
なら、自我が自然に逆らうからと思う。
優越感及び劣等感ほど自我をあらわすものはないんではないだろうか?

よって知っているという事それ事体では良いこととは必ずしも
言い切れない。(私見でごめんなさ〜い)
それに対して優越感を感じるのも回り回ると自分を苦しませる
結果になりそう。
0023考える名無しさん NGNG
普通、「普通」って言ってしまいますが、自身に潔癖であろうとすれば、
優越感なんてケツの穴のちっこい思いなんて抱かないのでは?
0024ジーク NGNG
「知識」に対しての劣等感や優越感は必要無い。
15が言っての通り、知識は何かに生かしてこそ知識だし、
そこから自己の考えを引き出す根本となるものでしかない。
「知識」を頭の良い悪いの判断基準にしたがるのは、せいぜいオタクかどっか偏った教育を受けた人でしかない。
知識をそのまま語っても、その人はその知識のマイク役でしかないのでは・・・・?

0025考える名無しさん NGNG
・e・<中学や高校で習う古典や社会の教養は何にいかされるんだろうね?
    ってアヲリぶちかまします。
0026代理いぬ NGNG
>14
>可能性があるということを(現にその可能性が実現しているかどうかを抜きに
>しても)一般によいことだとみなす傾向が私達にあって、それゆえに知識をも
>つことがよいことだと考えられるのでしょう。

うーん、なるほどなあ〜。

貨幣というある種の"SIGN"に過ぎないものが、
やがて(元々の意味とは)独立で、いびつな価値を備えたように、
「知に関する優越感」も、そもそもの意味とは遊離した、
宙に浮いた価値観なんでしょう。

そうしてそこに、"ひけらかし"なる行為も成立するっ…と。(^_^;

>24
>知識をそのまま語っても、その人はその知識のマイク役でしかないのでは・・・・?

ところが、それはちょっと違うぞ。
君のは確かに正論なんだが、そういった知識の"ひけらかし"が、
注目を集めるのに効果的であるという現実がある。
知識のご披露に対して、「すごいなあ〜」と感じてしまうことは、
理屈ではどうしようもあるまい?
0027名無しさん@1周年 NGNG
なるほど。知識って金銭に似てるね。
ただ持ってても自慢用にしか使えない
0028考える名無しさん NGNG
そんじゃあ、例えば、必死こいて「知」を基に何かを引き出そうともがいてる人を見て、
単に金持ってるだけの人を見るような「すげー」とか思いつつも軽蔑したような目で見ちゃう人、
そういう人と接してゆくにはどうしたら良いんでしょう?
「いかに使うか」よりも「どんだけ持ってるか」にいつも目が行っちゃう人、ってことかしら。
上手いこと言えん。
002928 NGNG
↑
って書いて、そう見られてしまう自分がまだまだ甘いのか・・・、って反省した。
0030プロミス@40代 NGNG
別れたよ、ジャンボとが荒らすなこのやろう。
0031考える名無しさん NGNG
「ジャンボとが」って何?
0032考える名無しさん NGNG
あぎゃぁー
0033考える名無しさん NGNG
・e・<コピペは知の在り方のひとつなんでしょうか?
0034考える名無しさん NGNG
>33
複製技術時代の芸術
0035考える名無しさん NGNG
ああ、全ては成され尽くした!
後は何を択んで、如何組み合わせるかのみ・・・。
0036名無しさん@そうだ選挙にいこう NGNG
・e・<コピペの組み合わせの妙すか?
0037考える名無しさん NGNG
単なる組み合わせの問題なんだったら、
組み合わせるパーツを多く持ってる方が、
そりゃぁ組み合わせの数も増えるってね。
0038ジーク NGNG
>26
ううん・・・。お手上げ。反論の余地無し。
確かに「知識」をひけらかしている人を見れば、誰だって(例えそれがマニア関係であっても)「すげぇ(ある意味)こいつ・・・」
と思ってしまうことは明白だろう。
だけど、「優越感、劣等感」の事としての物の見方をすると、ちょっと話が違ってくる。
では・・・ここで上スレの流れで、「知識」を金銭に例えてみよう。
27も言っての通り、「金銭は使ってこそ初めて価値の存在する物」であり、自分も「金銭は使わねば只の紙と合金に過ぎない」と思う。
これで考えていくと、24で言った流れに繋がる。
だから・・・・優越感、劣等感は・・・・って、ここまで書いて思ったけど、内容変わってねぇ・・・・。
まあ・・・・結論言うと・・・結局は「知識を有している人を見て羨ましいと思うか」あと、「有している知識を使って何かを見出す人を羨ましいと思うか」の2点じゃないかな?
後者は・・・よっぽど物の見方が鋭い人にしか理解されないかもしれないが・・・。
0039考える名無しさん NGNG
>38
 「知識を有している人を見て羨ましいと思うか」あと、
 「有している知識を使って何かを見出す人を羨ましいと思うか」の2点

って、それは解ってるけども、何故羨ましく思うかって話。
羨ましく思うだけならまだしも、それが反感になって出てくるのは何故?
0040考える名無しさん NGNG
如何なる差異にも価値は生まれるから?
0041名無しさん NGNG
でも例えばさあ、クラシック音楽以外は音楽じゃない!と思っている人たちに、
ポップス音楽についてのもの凄い薀蓄を披露しても、彼らはそれに関心するだろうか?
つまり、どんな知識でもOKというわけではなく、自分が価値を置いている事柄に
ついて博識である人を「すげー」と思うんだろうってこと。
0042コテハン使わない人 NGNG
ちょっと話がズレるけどさ。知識にも質があるんじゃないかな。量の問題
じゃなくてね。
俺、科学者のはしくれなんだけど、いわゆるトンデモ科学者とか、わけのわからん
科学マニアの言い分を見ると、やたらに過剰な知識を持ってるんだよね。でも、
名前や理論はよく知ってても、その内容をほんとに理解してるようには見えない
わけ。まあ、科学や数学の分野では知識だけで議論しててもすぐ底が割れるわけだ
けど、世の中には中途半端な知識をたくさん身に付けてるだけで「凄い人」とか
見なされちゃうような事も多いんだろうね。
ポストモダニストなんかも、その典型例かな...。
0043考える名無しさん NGNG
>41
>自分が価値を置いている事柄

ってのは解るけども、例えば「哲学」ってのに対して無条件に反応する人って居る訳じゃないですか。
その事柄に関して知ってても、知らなくても。
0044ジーク NGNG
>39
反感になって出てくる理由・・・・やっぱり、劣等感から出てくるもの・・・・か?
0045考える名無しさん NGNG
ここももうこれで終わっちゃうのかしらん?
0046考える名無しさん NGNG
結局話が回って元戻っちゃいました。
0047名無しさん@そうだ選挙にいこう NGNG
・e・<まあでもたかが哲学なんぞで知の優越を誇るなんて
    ちゃんちゃらおかしいよね。
    共通貨幣的な単位に変換できて、流通可能なもの、応用可能なものへと
    変容しうることが知の必要条件だとすると
    ひきこもって本読んだり、学会やゼミという局在化された領域でしか通用しない知なんて
    いわば閉じたモナドみたいなもんかな。そういうモナドがどれだけ複数化しようが
    巨視的にみれば何も起きてないのと同じなわけね。
    
0048>47 NGNG
>共通貨幣的な単位に変換できて、流通可能なもの、
>応用可能なものへと 変容しうることが知の必要条件

うーん、例えばそういう知にはどういうものがあるんでしょうか。
0049考える名無しさん NGNG
おれも大学関係者だけど、現在さまざまな学科でタコツボ的に
行なわれている個別の研究なんてくだらないものが多いよ。
世間が見えてないね。(むろん世間の方こそそういうことに
関心を持っていない、という非難も可能だが。)

>共通貨幣的な単位に変換できて、流通可能なもの、応用可能なもの
っていうのは重要な指摘だな。研究そのものが自己目的化
して、くだらないマイナー事項を積み重ねていくだけの
自称“研究”って、読んでいても自意識の過剰が鼻につい
て読むに耐えない。
それが他者に向かってどう開いてゆくのかという展望が
なければ、外部世界とリンクするような研究内容とはな
らないだろう。“知”はもともとそんなものではあって
はいけないと思うよ。
0050名無しさん@1周年 NGNG
優越感を「『自分は今、社会的に優位な立場にいる』という確信」として、
劣等感をその裏返しだとする。
たくさんの「知」をもつ人は、
何にせよ他人から「教わる」必要がない。
だから他人に依存する必要もより少なくて独立性、自立性が高いし、
他人からは「能力が高い」として尊敬される。
(近所のおばちゃんから
「あの人、どんなことでも知ってるし、すごいわ」とか、
上司から「君は何についても話せて、すごいね」とか)
平たく言えば、
知っていれば、評価が上がり、そしてそれが自信につながる。
その自信を脅かす(=自分より物知りな)人に対しては劣等感を感じるし、
逆に自信を深めてくれる人に対しては優越感を感じる。

もっとも、ここで言う「評価」はあくまで全人的な評価の一部でしかない、
ということに気づいておく必要はある。でもホワイトカラーの多くは他人
からの評価だけで社会的生命が左右されるから、それがすべてと勘違いする
人が増えるのもしかたないのかもしれない。
0051考えが甘い名無しさん NGNG
「臨床の知」ってどうでしょうか?
0052考える名無しさん NGNG
基本的に「知」って個人的なものじゃないの?
オナニーみたいな。
勿論、それに対する評価ってのは他がやってくれるだろうけども、
本人にしてみれば、常に「いや、まだまだ私は甘いっす。」みたいな意識を持ってんじゃないの?
そこで、他からの評価で優越感とか持っちゃうってのは、何だかねぇ。
0053フィロゾファッカー NGNG
哲学的にさ「知」って新しい知識を得ることが素晴らしいって感じじゃないの?
既存の知の所持の評価ってどんな感じだっけな・・・
0054考える名無しさん NGNG
話違うけども、無知の強さってのはあるよなぁ・・・。
005550 NGNG
「知」が個人的なもの、というのは賛成します。
それはきっと自分の頭の中の世界を、より明確に、くっきりと
(大森的に言えば細密画的に)描こうとする作業なのでしょう。
…というか、ややこしいのでここでは独断で「知」をそういう
ふうに定義づけておくことにします。

でも、その知への欲求の動機となると個人的とは限らない。
「知ろう」という意志のきっかけは、
純粋に自分の内部から生じることもあれば
(「なんで自分は生まれてきたんだろう」とか)
他の人の言動に触発されて生じる場合もあるし
(「あの人みたいに、物事を語れたらいいなあ…よし、もっと
勉強しよう!」とか)
他の人のためだけに始まることもあるでしょう。
(「恥かくのは嫌だから勉強しよう」とか…これが一番多いかも)

そう考えれば、自分の内部からの衝動で始まった探求の末に
手に入れた知こそが哲学的、ということになるのかもしれない。
そこには優越感も劣等感も存在しないでしょう。

でも世間一般の知といえば、おそらく「知は力なり」の知。
それを振り回し、「おれは誰よりもよくこの世界の今と未来が
見えているんだ。おれに全部任しといたらいいんだよ」と周囲
にプレッシャーをかけ、認めさせるがための知。
そんな「知」は、決して個人的ではありえないのではないかと。
そもそも、優越感と劣等感という感情からして、他との比較を
前提としているのでしょうから。
0056考える名無しさん NGNG
>55
 「知は力なり」というF。ベーコンの言葉は当時の神学者の傲慢な知
 に対抗するために、自然への畏敬とそれとの一体化への導き手として
 人間の実証的知性を称揚するために言われたのであり、自らが権力を
 振るって自然的・無知な他者を支配するための手段とせよなどという
 馬鹿な考えではない。そのような考えこそ批判されていたのです。
0057考えてるって思ってるのは自分だけの名無しさん NGNG
知と権力の関係ってあるの?
0058考える名無しさん NGNG
恥毛は力なり
0059考える名無しさん NGNG
あげ
006050=55 NGNG
>56
ああ、どうも失礼しました。学校出てから本読まなくなって、
「知は力なり」の出典を忘れてました。なるほど、そういう
ことなら意味は通りませんね。

となると、1さんが「知」という言葉をどういう意味で使って
いるのかということが、ここで問題になってきますね。
個人的な「知」、あくまで自己の内部から出た欲求に基づいて
探求し、獲得した知であれば、自分より博識な人に対する尊敬
の念こそ生まれても、優越感や劣等感など生じようはずもない。
でも「知=知識」であり、頭に蓄積された情報の多寡であると
するなら、その「知」をたくさん持つ人が、持っていない人を
支配するという構造はこの現実社会のそこかしこで見ることが
できます。そしてそういう図式の中では、いくらでも優越感や
劣等感が発生する。55の発言は、その程度の意味だったんで
すが。
0061名無しさん@そうだ選挙にいこう NGNG
・e・<知が個人的なもの?う〜ん、そうだろうか。
    知とは限りなく政治的なものではないかしらん。
    知りたいということ、学問への欲求、果たしてその背後に
    あままままままり〜ィにもッ!人間的な動機が隠れていないと言いきれるだろうか?
    ボクは最近恐ろしいね。
    それは、哲学をやることの言わば“大義名分”の裏側に
    あまりにも卑しく、ドロドロした事情がありはしないか、ってことを自覚することがね。
    ニーチェの哲学が、自分の知への欲求の動機を自己言及的に自覚することだったとしたら、
    彼のやったことは、なるほど「健全な人間悟性」には耐えれないものだったに違いないね。
  
0062実は所々顔を見せてた1 NGNG
>60
 1さんが「知」という言葉をどういう意味で使っているのかということが、ここで問題になってきますね。

てな訳で、私は60さんの言われた前者の意味で「知」って言葉を使うんですが、
このお題目で立てたそもそもの原因ってのが、
後者の意味で「知」を認識、って言っても、多分、無意識に、
しちゃう人と何とも上手いこといかんという、何ともしょぼい話なんですよ。
その場は「未だ偏差値至上主義に侵されてんじゃないの?」とか言ってお茶を濁しましたが・・・。
0063考える名無しさん NGNG
ん?
話がしょぼ過ぎて、終わっちゃったのかな?
0064考える名無しさん NGNG
偏差値至上主義というのは確かにひとつの原因としてあり得ますね。
あれって数が問題ですから。
例えば、歴史だったら年号多く覚えてる方が良いと。
その結果としての偏差値によるヒエラルキー構造ですしね。
0065名無しさん@1周年 NGNG
ひろく「知識」と捉えられてる意味での『知』なら、
「自分が『知』ってること」は、
自分以外の人に確認してもらわないと意味を成さない、ですよね。

自分だけが『知』ってる、なんてことは意味を成さないと思うんです。
他人の介在があってはじめて『知』は成立すると思うんです。

そういう用法での『知』なら
自分の『知』に優越感感じたり劣等感感じたりって
ある種の自意識過剰に思えます。
他人に構って欲しいという。

***

「自分にとって絶対」なことが
自分の外でも絶対として通用するなんてわからないです。
通用するかもしれないし、しないかもしれない。それだけでしかない。

自分内考察の過程と結果のすべての営みをさして『知』といってるのか
自分の外で不特定多数の了解を得た事項の集合を『知』といってるのか。
言葉の用法にコンセンサスが成立しないと
それ以上は堂々巡りで終わってしまいそうです。

でもスレッド見て考えたりするのは楽しいです。
0066考える名無しさん NGNG
 「知」というのはその人の能力の一部。どんな仕事だって知らなかったら何もできない。知ってたら知ってるだけいい仕事ができる。科学知識もそう。知ってたらそれは具体的な発明や技術になる。「知」は人間のみがなし得る高度な能力だから、それに対して優越感や劣等感が生じるのは当然だとおもう。運動能力や筋力にさえ、優越感、劣等感はあるのだから。

 「知ることそのものに意味がある」ような、哲学や、理学系科学、おたく知識なんかは、「そもそもなんで知ってることの方がいいんだ?」っていう疑問になってしまうけど、これはその価値が認められる人にだけ通じる優越感ということだと思う。
0067考える名無しさん NGNG
名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/09/27(水) 22:02
ついでにこれも見て、みんなで上野を軽蔑しよう。
http://wwwhs.cias.osakafu-u.ac.jp/~ksaito/essay29.html

9 名前: >8 投稿日: 2000/09/28(木) 09:16
日本では右より左翼のほうが権威主義的なのは常識だろ?
0068考える名無しさん NGNG
脳みその真っ白な板に色々書き込んでいって、
頭の中を知識で埋め尽くして、
日々のさまざまな事象を、
出来事の因果関係を、
その知識の中だけで理解しようとする。

当たり前といえば当たり前のことだけど、
でも、あまりたくさんの知識が書きこまれると、
新しい因果関係の方程式を書く余地が
頭の中から失われて、
出来事の理解が一面的になりはしないか?
すでに持っている因果関係の方程式に当てはめることにばかり
熱中して、自由な発想ができなくなるのではないか?
そんなことを考えて、勉強するのをやめたことがあった。

もっとも、こんな方向に考えが向いてしまったら、
成長を捨てることしかできなくなる。
もう立ち止まることしかできなくなる。

それをわかってても、どうしようもなかったなあ…。

誰か、「テアイテトス」のスレでも立ててくんなさい(笑)
006960 NGNG
ふと思った。
「知」でもって、世界を説明する。
この「説明」を、誰に対してするのか?
口に出して説明したら、説明された人との間に
ある種の力関係が必然的に生まれてくるだろう。
非常に分かりやすい形で。

一方、口に出さずに、
自分自身に対してだけ説明することもある。
でも「分かった!」って思った瞬間、
ある種の爽快感といっしょに、
優越感が発生することは
あるかもしれない。
「へっ、おめーは全然分かってないなあ!
俺はもうここまできたぜ!!」
ってな感じで。

本当はそれも、お山の大将でしかないんだろうけど、
そのときにそこまで自覚するのは難しいよね。。

1さんのいうのは、とすると、この「お山の大将性」を自覚している
人とそうでない人との間の衝突ということになるのでしょうか?
ならば、多分解決不可能でしょう。あきらめた方がいいかと。
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