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世界一の幸せ者は

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0001名無しさん@1周年NGNG
そう思い込んでる精神病患者だ!!って真理ですか?
もしそうなら、俺もそうなりたい。
0002名無しさん@1周年NGNG
って思いこんでいる君は相当の幸せ者だなぁ。 ┐(´Д`)┌
おめでたい…、もとい、おめでとう!!
0003名無しさん@1周年NGNG
てゆうか誰が誰をどうやって「世界一の幸せ者である」って決定するの?
0004名無しさん@1周年NGNG
自分自身で、だろ。
0005フィロゾファッカーNGNG
麻薬や覚せい剤を使用すれば可能じゃないでしょうか?
0006名無しさん@1周年NGNG
1です。
幸せとは他人に決めてもらうものじゃない
周りがどう見ようと、キチガイだと言われようと
本人が幸せと感じていれば、それが究極の幸せだと思うのですが‥。

いったい、真の幸せとは何なんでしょうか?
哲学板の皆さん教えて下さい。
0007名無しさん@1周年NGNG
「世界一の幸せ者はそう思い込んでいる精神病患者だ」という意見には
言語論的アプローチによる反論が考えられます。
すなわち、我々は「幸せ」という語を単に個人の内面の状態を表す語と
して使用してはいない、という反論です。
この反論に対して、たまたま我々の「幸せ」という語の用法が個人の内
面を唯一の規準とするものでないとしても、それはこの語の通常の用法
が真の幸せを反映していないというだけのことである、という再反論が
想定できます。
再々反論として、「幸せ」という語を越えた真の幸せなどというものが
実在すると考えるのは空虚な形而上学である、と主張できるかもしれま
せん。
どちらの考えがもっともであるかは一概にはいえませんが……。
0008名無しさん@1周年NGNG
1>7さん
「幸せ」と言う言葉の対象が曖昧だから結論が導き出せない
だとしたら、「幸せ」という語を「我々」でなく「個人」に限ってしまえば
「世界一の幸せ者はそう思い込んでいる精神病患者だ」
と言うことになりますか?

00097NGNG
>>8
ご質問の趣旨が今ひとつわかりかねるのですが……。

「幸せ」という語を「我々」ではなく「個人」に限ってしまう、という
ことが、この語の用法について私的な規準を立てることを認めるという
意味でしょうか?
もしそうだとすると、「自分は世界一の幸せ者だ」と思い込んでいる患
者は、その患者の個人方言においては「幸せ者」であることは疑いえな
いとしても、ふつうの意味で「幸せ者」であるかどうかは不明のままで
す。私がそのような患者を目の前にしたら、たぶん「この患者は自分が
幸せだと勘違いしている」とか「この患者は『幸せ』という語を誤用し
ている」と判定することでしょう。
0010名無しさん@1周年NGNG
でも目に触れないように病院に隔離されてるわけだし>9(7)
0011名無しさん@1周年NGNG
もし、「幸せ」が他人に決めてもらうものでないのならば、
「世界一幸せ」という言葉は端的に無意味なのでは?

比較する基準が無いんでしょ?
0012電波猫@幸福論て名のスレッド3つもあるんだNGNG
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=948940545&st=63&to=65&nofirst=true
は適切かと
何でこれ書いたの俺じゃないんだろ、と思いましたよ(笑)
0013>9NGNG
結局、「幸せ」の定義に立ち返ってしまうっちゅうのもなんだから、
やはり、あえて、「幸せ」は主観的な価値判断だと規定して話を進めて
もいいんでないかい?
そういう「幸せ」とは別に、「健全な状態」かどうかという客観的な価値
判断を併用すればいいだけなんでないの?

0014名無しさん@1周年NGNG
幸せだと思う時点で既に幸せではないのです、
本当に幸せな人は自分が幸せだとは感じていません。
0015名無しさん@1周年NGNG
1です。
12さんありがとうございます。適切かつ分かり易いです。

                  ↓
____________________________________________________
63 名前:名無しさん投稿日:2000/05/26(金) 01:36
>ウィトゲンじゃないけど、「幸福」という言葉の使用法を考えてみるとか
「幸福」の文法を考えてみよう。
われわれは「幸福」という語を「幸福感」という語を同義語として使っているだろうか?
たぶん、同義語として使ってはいまい。
では、両者の違いは?
「幸福感」は明らかに個人の心理的状態を表す語だ。
幸福感の原因が脳内麻薬にあるのか、外界からの刺激にあるのかは知らないけど。
他方「幸福」のほうは、個人の心理的状態を表す語ではない。
むしろ、個人のおかれた客観的状況を表す語ではないだろうか?
脳に電極をつながれて、快楽を与え続けられている人が、どれほど幸福感を味わっていても、
われわれは「彼女は今幸福だ」などというだろうか?
逆に「彼女は今不幸だ」と言いたくなるのではないか。
もしそうなら「彼女は自分では幸福だと思っているが、実は不幸だ」という言い方が可能となる。
逆に、幸福の唯一絶対の規準は個人の心理的状態である、と考えるなら、このような言い回しは奇妙なものとなるだろう。
ちょうど「彼は今痛みを感じていると思っているが、実は痛くはない」という言い方が奇妙であるのと同様に。
さて、どちらだろう?

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俺は、後者の方(幸福の唯一絶対の規準は個人の心理的状態である)だと思います。
すべては個人の感じ方次第、あらゆる状況に置いて幸福は成り立つし、また成り立たない。
人それぞれ感じ方が違う以上、真の幸福なんて決められないように思います。
それゆえに、議論しようとすると「幸せ」という言葉の定義になって、そこから進まない。
よって、「世界一の幸せ者はそう思い込んでいる精神病患者だ」が、真理だと思います。
これは、その精神患者の脳の中にある世界でのことだけど、もし俺もそうなれれば
世界一の幸せ者に成ったことになる。俺の脳の中にある世界では。
0016チーフNGNG
他人の幸せに尽くせる人が幸せです。
0017名無しさん@1周年NGNG
非合理だが、面白い。>15

ニーチェの晩年の手紙とか読んだことあります?
たぶん、1氏が望む世界がそこにあるでしょう。
読んでたらすんまそん。
00189NGNG
>>15
>「世界一の幸せ者はそう思い込んでいる精神病患者だ」が、真理だと思います。
>これは、その精神患者の脳の中にある世界でのことだけど、もし俺もそうなれれば
>世界一の幸せ者に成ったことになる。俺の脳の中にある世界では。
「幸福の唯一絶対の規準は個人の心理的状態である」と考えるのなら、
「脳の中にある世界では」という限定句は必要ないでしょう。
逆にこの限定句を必要とするということは、実は個人の心理状態が幸福
の絶対的な規準ではないと暗に認めたことになると思います。
少なくとも、私は自分の脳の中の世界だけで幸福になるより、脳の外の
世界で幸せになりたいと思います。

0019名無しさん@1周年NGNG
1>9さん
>「幸福の唯一絶対の規準は個人の心理的状態である」と考えるのなら、
>「脳の中にある世界では」という限定句は必要ないでしょう。
>逆にこの限定句を必要とするということは、実は個人の心理状態が幸福
>の絶対的な規準ではないと暗に認めたことになると思います。

個人の心理状態というのは、その人の脳がどう感じてるか。
ということじゃないでしょうか。
ですから、「脳の中にある世界では」と書いたのは
限定句としてじゃなく同意語のつもりで使いました。

>少なくとも、私は自分の脳の中の世界だけで幸福になるより、脳の外の
>世界で幸せになりたいと思います。

「9さんが脳の外の世界で幸せになるイコール、9さんの脳の中の世界で幸せになる」です。
もし、9さんが求める幸せをすべて手に入れたとして、それが現実の世界でおこってるのか
9さんの、脳の中だけでおこってることか、自分自身では判断できないはずです。
判断できないなら、内と外を分けることは無意味だと思います。


0020フィロゾファッカーNGNG
だからさあそう思うんなら
麻薬でも覚せい剤でもやればいいじゃん。
で、きれたらすぐ次のをうつの。
自分の脳の中では一生快楽で苦痛を感じないよ。
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