人は死んだらどうなるのか
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0001松浦武司
NGNG中央大学文学部哲学科卒業、26才です。
さてこのたびは、論文をここにひとつ掲載させていただくことにしました。
【1】人は死んだらどうなるか
【2】物質とは別に霊魂は存在するか
という内容のものです。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3608/
ご意見・ご感想・異議等ありましたら、よろしくお願いします。
0002名無しさん@1周年
NGNG0003フィロゾファッカー
NGNG心がどのように変化するかについて全く触れられてない気がします。
・・・で、2Chで二回目、Yahooで1回問題提起してるけど
なんか流行り?
このままだとまた同じことの繰り返しだから
できれば、さらに私的な意見を付け加えたほうがいいと思うよ。
読ませて終わりじゃあないよね?
0004フィロゾファッカー
NGNGYahoo掲示板
http://messages1.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&board=1835546&tid=kfcjaaa4kbf4a4omada4k&sid=1835546&mid=1
万物は心を有する
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=963980819
0005名無しさん@1周年
NGNG>以上の考察をまとめると、すべての細胞は心をもった生物
>であり、多細胞生物というのは細胞の社会である、という
>ことが言えます。
>だから共同体や国家というのも、一つの生きものであると
>かんがえていいとおもいます。したがって、共同体や国家
>も、やはり心をもっています。>心をもたない物が集まると、なぜ心が出てくるのでしょう
>か。無い物はいくら足しても有るようにはなりません。ゼ
>ロはいくら足してもゼロなのです。したがって結論をいう
>と、人は死んだら分子レベルにまで解体して、心を有する
>分子たちとして生きつづける、というのが死後の問題への
>答えです。
>�@わたしたちもわたしたちを取り巻く物質もすべて同じく
>原子分子の集まりにすぎない。
>�Aしかるに原子分子の塊であるわたしたちに心がある。
>�Bゆえに、わたしたちをとりまく物質にも同じく心がある
>と考えたほうが考えやすい。(共通点のあるものにはアナ
>ロジーが働きやすいから)
この「心」って一体なに?
0006名無しさん@1周年
NGNGアメーバは、エサを与えてやれば喜んで食いついていくし、有害な物質を流してやれば、痛がって逃げていきます。このように生物は一般に、
生命活動を促進するものに快楽を感じ、その活動を阻止するものに苦痛を感じます。「快」を求め「苦」を避けることをつうじて、生物はその
生存を確保しているのです。そのように、快苦を感ずる能力は生命活動にとって必要不可欠なものであり、心がなければ生きていけません。心
が物を生かしているのであるから、「心を有する物」を「生物」と定義し、「快苦を感ずる能力」を「心」と定義することができます。
0007毒
NGNG>定義し、「快苦を感ずる能力」を「心」と定義することができます。
>快は、快さ、心地好さ、喜び、楽しさ、などです。
>苦は、苦しさ、心地悪さ、悲しさ、つらさ、などです。
では「快さ、心地好さ」は何なのか?と聞きたいところですけど、それはともかく、
そもそも、あるモノが「快」を感じている、ゆえにそのモノは「心」を持っている、
「心」がそのモノの中に存在する、という_認識_は、我々にとって如何にして可
能なんでしょうか? 例えば私が、貴方の頬っ面をひっぱたけば、あなたは痛がっ
て顔をしかめ涙を流すでしょう。それを観察することで、私は貴方が「苦」を感じ
ていると認識することができる。あるいは、貴方の脳みそに電極突っ込んで、頬っ
面をひっぱたいた時の反応を記録し、それでもって「苦」を定義することもできる。
いずれにしろ、「心」の_存在_とは、元々認識されたモノが表す反応以上の何物
でもないわけです。外部からは、そういう形でしか心の存在を認識することが出来
ない。死体の場合は、頬っ面をひっぱたいても反応はない。だからその死体は「苦」
を感じていない、「心」が無いと言える。瞳孔が開いてる、脈が無い、等々、基本
的には皆同じことです。原始人なら、その人が冷たくなって動かなければ「心」が
無い=死んだ、と認識するでしょう。まず、あなたはこういう形で、「心」という
もの(というかモノが表すある状態)を_具体的_に知っているわけです。
それとは別に、貴方は石などの無生物にも「心」があると言う。この「心」の存在
はしかし、明らかに「心」があると分かっている生きた人間における存在認識とは
違い、単に猛々しい妄想をふくらませての抽象化と、人間の例からの粗雑なアナロ
ジー(類推)のみから結論付けられている。これでは前近代の「トリカブトは目に
似てるから目の薬になる」的な非合理的解釈学と何も変わらないように思われます。
0008名無しさん@1周年
NGNG心があるからこそ苦に立ち向かい
心があるからこそ快にのみ溺れない
他の生物は、本能で生存してるに過ぎない。心などない。
0009名無しさん@1周年
NGNG「もし、幽霊がいると仮定して・・」スレのレス34を参照して
ください。まだ疑問が残るのなら、ここで質問をどうぞ。
(あなたの論文は見てません。すみません。)
0010名無しさん@1周年
NGNG多いので
>したがって結論をいうと、人は死んだら分子レベルにまで解体して、心を有す
>る分子たちとして生きつづける、というのが死後の問題への答えです。
という箇所のみについてコメントします。
一言で言えば、この答えは私には全く満足できるものではありません。
分子の心(もしそのようなものがあるとして)は人の心とは同一では
ありません。人が生きている時の分子の心が人の死後もそのまま存続
するとしても、死んだあと人の心がどうなるのかについて全く示唆を
与えてくれません。
私が死んだら、私の記憶や知識はどうなるのでしょうか?
ばらばらになって存続するのでしょうか?
では、ばらばらになっても依然として記憶で有り続け、知識で有り続
けるのでしょうか?
蟻の行列を蹴散らしても一匹一匹の蟻は残ります。
しかし、個別の蟻を指して「行列はこの蟻のなかに依然として存続する」
と主張するのはナンセンスでしょう。
0011松浦武司
NGNGまとまりのない文章、すみませんでした。ご意見を参考にさせていただいて加筆修正させていただきました。
0012松浦武司
NGNGたとえばアメーバは食物を与えてやれば喜んで食いついて
行くし、有害物質を流してやれば痛がって逃げて行きます。
そこには快苦の「感情」があり、またそこには生存にとっ
て有益なものか有害なものかを知り分ける「知性」があり、
またアメーバは体力を消耗して疲れて休みたいときでも休
まず「意志」の力でエサを探しに泳ぎまわることでしょう。
そのように、アメーバにも「知」「情」「意」全般が揃っ
ており、この知情意能力のことをわたしは心と呼びます。
0013松浦武司
NGNGわたしたちもそれをとりまく物質もすべて同じ原子分子のかたまり
であり、その割り合いと組み合わせが異なるにすぎません。であれば
わたしたちと同様、物質にも心は有ると考えたほうが無いと考える
よりも自然だと思います。わたしたちはエントロピー減少に快を感じ、
物質はエントロピー増大に快を感じる、というだけの違いがあるすぎ
ないとおもいます。
0014松浦武司
NGNG本能といわれているのは快不快原則のことだとおもいますが、
快も不快も心の状態を表す言葉です。したがって他の生物にも
心はあるということになります。
0015松浦武司
NGNG分子はわたしの一部であるから、分子はわたしです。
0016松浦武司
NGNG空間の中に肉体と幽霊と両方とも入っているのかもしれませんよ。
0017フィロゾファッカー
NGNGYahoo掲示板から引っ張ってきました。
>心が無い→心が有る
>は考えにくいと考えてると思います。
>さて、酸素原子2つが酸素分子1つに反応した時、
>心は本質的に前後で同等なのでしょうか?
>仮に同等だとしたら、同じ構成をしたものの心は同じ性質と言えるのでしょう
>か?だとしたら、人と同じ成分のものは人と同等の心を有すると言えてしまいます。
>また、仮に異質だとしたらその変化は何によって与えられたのでしょう?
>単純に考えるならば分子結合ですよね 。
>物質間の結合すなわち組成によって心が新たに生じるなら、素粒子レベルまで心を持ち込む必要はないはずです。
ちょっと答えてみてください。
0018名無しさん@1周年
NGNG本体の私に、手の切り離された指((私)が「見捨てないでね」と訴えかけてきたのです、
テレパシーです。
ということにはならなくて、たんに転げ落ちてました。
このことは、もっと簡単に気づかれることと思います。日々新陳代謝しているために
皮膚細胞は死んでは生まれているからです。死んだ皮膚は転げ落ちていきます。それらは
死ぬ直前に何かを訴えかけてくるでしょうか?それらは、たとえ皮膚に過ぎなかったにせよ、
細胞には違いないのです。なんとなれば、生きたまま細胞を取り出して本体から切り離してみればいいわけで
どうせ何も訴えかけてはこないでしょう。言葉が話せない、他他、解釈の対象となるような何かを発しないからねえ。
仮に発したにせよ、受け取り側はその訴えに正確に対応する受け応えをするために必要な解釈鍵をもっているのかどうかわからないさま。
というぎもんはどうでしょうか?
0019フィロゾファッカー
NGNG0020松浦武司
NGNG>さて、酸素原子2つが酸素分子1つに反応した時、
>心は本質的に前後で同等なのでしょうか?
物の組成が変われば心も違ってくるのは当然ですが、
ところで「本質的に」とはどういう本質でしょうか。
0021松浦武司
NGNG他人も物質も、ブラックボックスであるという点では変わりないと
おもいます。中に心があるかどうかすらも分からない。
0022フィロゾファッカー
NGNGさあ?
んじゃ俺の心は組成によって構成されるんなら
組成を崩した状態になったら、心もなくなってもいいんじゃないの?
0023松浦武司
NGNG原子の組成は残りますし、原子の組成を崩しても素粒子の組成は
残りますし、素粒子の組成を崩してもクオークの組成は残りますし、
クオークの組成を崩してもサブクオークの組成が残るでしょう。
したがって、心はなくなりません。
0024毒
NGNG>であればわたしたちと同様、物質にも心は有ると考えた
>ほうが無いと考えるよりも自然だと思います。
結局、ただ考えるだけでしょう? 石にも人間にもあると貴方が考え
るものを、一般的な語である「心」という言葉で呼ぶことに、「自然
だ」以上の意義なり有用性はないんですか?「石に心がある」と考え
たら、一体どうなるんです? 例えば、人間と同じ心(理性)がある
存在(宇宙人なり何なり)には、それに対しても人間と同じ権利を認
めるべきである、と言う人達がいます。しかし、この心は、当然貴方
の言う「心」とは別物です(まさか石にまで人権を認めるわけにはい
かないでしょう)。あるいは、人間と、その他高等動物、下等動物に
おける意識活動を複雑さに関して段階的に分類するのにも、それなり
の有用性があるでしょう。その点、貴方の「心」という概念は、一体
どういう科学なり倫理学なりの理論に要されるものなんです? それ
ともただ考えてるだけですか?
0025名無しさん@1周年
NGNG考えられている、ということではないのかな?
だからことさらに物質と精神を分離して考えることが
おかしいというか…。
つまり、精神は物質の働きであって、物質とは別の何か
ということではない、と思う。
物質にも心が宿るという言い方はおかしい。
人間以外の物質系においてもコミュニケーションは存在するのを
逆手にとって、人間におけるコミュニケーションを
思考や精神とみなしているのではないかな。
0026名無しさん@1周年
NGNG物質間のコミュニケーションがなくなった状態を
生物において「死んだ」と表現しているに過ぎない
……と思う。
0027松浦武司
NGNG「石に心はない」なんてそんな馬鹿な話があるか。そんな奇妙な話を
信じてたら、正常な神経のもちぬしならば頭が七つに割れるよ。
頭がイカレてつかいものにならなくなるよ。
したがって、わたしの説はありとあらゆる学問に資するオールマイティ
理論です。
0028松浦武司
NGNGつまり、死とは高次の生から低次の生への移行であるというわけだ。
002925&26
NGNG低次という感じは個人的にはしないな。
単に別のフェーズに移行してるという感じ。階層感はない。
私は「石に人間のコミュニケーションで多用するような"心"と
いう言葉をことさらに関連付ける必要はない」と思うな。
鉱物としての環境とのコミュニケーションは当然あると
思うけれども。
003025&26
NGNG「心」という単語の意味を拡大しすぎている、と思う。
0031松浦武司
NGNG物質はエントロピー増大に快を感じるのに対して、生物はエントロピー
減少に快を感じる。快感を感ずる方向が逆になっているだけで、快を
感ずる心があることには変わりはないとおもう。ぼくはべつに心という
言葉の範囲を広げてはいないとおもうよ。
0032名無しさん@1周年
NGNGう〜ん、生物以外の物質系に志向性が存在するということですか?
それはちょっと無理がある話のような(笑)
0033毛抜き
NGNG特定物質間の活動パターンの対応規則がきちんと
働いている状態を指していっている訳で、
べつに志向性は含まれないんです。
もちろんコミュニケーションという言葉の一般的意味に
志向性の視点がふくまれているのは知っています。
だから、私の言葉の使い方もわるいな、とは思います。
0034毛抜き
NGNGとあったので、「志向性」という言い方はやめます。
合目的的性と言い換えます。
0035松浦武司
NGNG笑う前にわたしの書いた論文を読んでください。万物に心が有ること
ぐらい当たり前じゃん。どうしてこんな明らかなことがみんな分から
ないのですか?
0036名無しさん@1周年
NGNGまともな論察の対象にならない。まじれす失礼。
0037電波猫
NGNG万物は心を有する
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=963980819
スレッドでの反論に答えたらどうですか?
>毛抜き
今読んでいる『分析哲学の現在』所収の信原幸弘「意識と機能主義」を読むと
分析の方にも(別の意味?)志向性という言葉は使われているようです。
もっとも彼の言っている心はクオリア(感覚質)の方近いんじゃないでしょうかね。
ちなみに上記論文は、
クオリアが物質から生まれてくるとは信じられない。そこでクオリアは存在しない(可能性がある)事を証明しよう
という論文です。萌え萌えだけど難しい。
0038電波猫
NGNGhttp://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=963980819
立てたのは別の人?
0039松浦武司
NGNG>万有は心を有するスレッドでの反論に答えたらどうですか?
ずっと放ったらかしにしてすみません。これからはまじめに参戦したい
と思います。
0040毒
NGNG>そんな奇妙な話を信じてたら、正常な神経のもちぬ
>しならば頭が七つに割れるよ。頭がイカレてつかいものにならなくなるよ。
世間一般の常識からすれば、貴方のように「石に心がある」と言うほうが
「馬鹿」で「奇妙」な電波だと思いますが(汎神論者というのはいますが、
幾ら何でもこんな間抜けた推論から斯様な結論を主張してるわけはないで
しょう)。
>したがって、わたしの説はありとあらゆる学問に資するオール
>マイティ理論です。
もう目茶苦茶な推論ですね。中大の哲学部出たとか言うのウソじゃない?
具体的に一体何を「あらゆる学問に資する」と言うのです? 私には良く
て新興宗教の教義に利用できる程度の代物でしかないと思いますが。あな
たの「論文」とやらは、基本的に妄想と言葉遊びの産物でしかありません。
分類のための分類など意味が無いのです。肝心なのはその分類、概念がど
のような理論(/価値体系)に要されているのか、裏付けられているのか、
です。ただ「石にも心がある」と思いたいだけなら、そう思っていればい
いでしょう。ただ、それでは違うと言われればそれでおしまい。貴方の論
拠は「似てるかどうか」という粗雑な類推のみですので、「似てる」と感
じない人には当然通用しないからです。
0041名無しさん@1周年
NGNG0042フィロゾファッカー
NGNG我々の心を心たらしめるのに組成が不可欠ならば、
素粒子まで心を持ち込んで「考えやすい」は違うだろってこと。
ちゃんと考えれてるじゃん。
0043松浦武司
NGNG他者の心の有無に関することは「似ているかどうか」でしか語れません
でしょ。したがってあなたがわたしの文章を粗雑な類推、といわれる
ことに根拠はありませんよね。
それと、
>世間一般の常識からすれば、貴方のように「石に心がある」と言う
ほうが「馬鹿」で「奇妙」な電波だと思います
やけに確信に満ちた言葉づかいですが、あなたは常識が往々にして誤り
であることを知らないのですか?哲学とは常識批判なのですよ。
0044松浦武司
NGNG>功利主義(utilitarianism)ですか?
わたしは何主義者でもありません。
0045毛抜き
NGNGというわけで読んでいるのですが、ちょっと頭が痛い。
あなたは結論からうける印象を観察に適用するという癖
があるようだ。
ランダムに抜き出して質問します。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3608/geodiary.html
>弱肉強食のこの世の中にあっては、からだが小さいと
>捕食者に食べられてしまいかねないからです
毒蝶とかはどうなるのでしょう。
>役割分担をキチンと決めて、それぞれの細胞が、
>それぞれの仕事を果たすこと
>によって生きている、単細胞生物であり
胃壁の細胞は単細胞生物ですか? ニューロンは単細胞生物
ですか? 赤血球はどのように栄養補給したり分裂したり
するのでしょう?
>気持ちのもちようでガンが治ったり、治らなかったりするのは、
>こうした集団力学による
これが本当ならノーベル医学賞をもらえるような……(笑)。
0046毛抜き
NGNG情動と理性のあいだにあるようなものです。
理性というのは、したいことがあってそれを行動によって
実現できることです。
いわゆる心というのは、このプロセスの実行以前や実行後
に発生する行為にたいする精神状況のことと言っていいと思う。
万物に心があるのなら、その万物とやらが
どのような目的をもち、その目的を実現するために
行為を調整しているかを説明できないといけないのではと思う。
心の存在にとって、主体が行動の調節をできることは必須条件
だと思う。行動を調節できないものによる行動は、ふつう
本能とみなされて、心とは関係ないと思われる。
人間は心をもっていると考えられているが、それは不断に呼吸
を行っているからではない。
0047名無しさん@1周年
NGNGだから、そんな単純な「似ているかどうか」だけなら、小学生の感想文でも
もっとましなこと書くよ。
>やけに確信に満ちた言葉づかいですが、あなたは常識が往々にして誤り
>であることを知らないのですか?哲学とは常識批判なのですよ。
単なる非常識な妄想を「哲学」だなどと思いこんでる電波を批判するのも哲学
の役目ですね。
0048毛抜き
NGNGありません。今日は気分がわるいから、ウィルスを見逃してやろう
という白血球はないわけですから。
0049毛抜き
NGNG0050松浦武司
NGNG>毒蝶とかはどうなるのでしょう。
おそらく毒蝶も捕食されないための戦略でしょう。
>胃壁の細胞は単細胞生物ですか? ニューロンは単細胞生物
ですか?
はい。わたしの文脈の中ではそうです。
>赤血球はどのように栄養補給したり分裂したりするのでしょう?
赤血球が栄養補給したり分裂したりするという話は聞いたことないです。
赤血球の仕事は酸素を運ぶことです。また栄養補給は、血管細胞たちが、
栄養分を溶かし込んだ「血漿」という黄色い汁を、細胞にまで送りこむ
ことによって、おこなわれます。
>>気持ちのもちようでガンが治ったり、治らなかったりするのは、
>>こうした集団力学による
>
>これが本当ならノーベル医学賞をもらえるような……(笑)。
いや、いくら気持ちを強く持ってもガンに勝てないことはありますよ。
>46(毛抜きさん)
物質は快という目的を実現するために己の行動を調節するのです。
>で、細胞や組織の活動は自立的に行動を調節しているわけでは
ありません。今日は気分がわるいから、ウィルスを見逃してやろう
という白血球はないわけですから。
でも白血球はウイルスという標的を的確にとらえるために、触手を出す
方向性を自律的に調節しています。
0051松浦武司
NGNG>だから、そんな単純な「似ているかどうか」だけなら、小学生の感想
文でももっとましなこと書くよ。
ウソこけ!ならばぼくよりもマシな文章をきみが書いてみろよ。(きみ
がぼくよりもマシな文章を書けるとはぼくにはとても思えんがな。)
>単なる非常識な妄想を「哲学」だなどと思いこんでる電波を批判する
のも哲学の役目ですね。
きみは常識批判と単なる非常識の区別もつかないわけだ。
0052名無しさん@1周年
NGNG松浦氏の信念は強固であり、氏の理論はあらゆる批判に対して一定の受け答えができ
るように構成されています。従って、誰が何と言おうとも氏は決して自分の意見を変
えないであろうことは容易に想像できます。
そこで、私は松浦氏に問いかけたいのです。あなたは、一体何のために論文を公開し
他人の意見を聴こうと考えるのですか? もしあなたの理論が完全なものであるなら
ば、そんな事をする必要はないでしょうに。
私見では、他人の意見を聴くということは、その意見によって自分の意見を修正・改
訂・発展させる余地があるという構えを示すことです。しかし、あなたのレスは自説
を繰り返すか、批判の意図をはぐらかすか、逆に相手を非難するかのいずれかで、あ
なたの理論を改めようとする意図は感じられません。
0053名無しさん@1周年
NGNGだめ板の人、反応するんかなあ。
0054松浦武司
NGNGのですか?
わたしは、小児分裂病上がりです。家族環境によって思考をはぐらかさ
れつづけ煙に巻かれつづけた結果、イカレて使い物にならなくなってし
まった頭脳を、鍛え直すために、大学では哲学・宗教・心理学・精神医
学・精神分析学等を、猛勉強してきました。宗教遍歴も長いですし、宗
教から心理的に決別するためにも、勉強をしつづけてきました。そうし
た行きがかり上、死後と霊魂の問題を、ここでとりあげさせていただい
たわけです。
思考過程障害のリハビリのために、この場を借りて、死後を練習問題と
して取り上げ、論じ合わせていただこうと思ったのは、そういう経緯か
らです。
0055フィロゾファッカー
NGNGもし心が快苦を感じる能力、生きる能力であるとするなら
自己犠牲はどういう扱いになるのですか?
0056すねさま
NGNGやりとりが冷たいです。
人はもっと温かみをもっているように思いますが。
もちろん無理をするのはNGですが。
0057フィロゾファッカー
NGNGみんな飽きてるのでしょう。
00589
NGNGあなたの論文を読みました。大変勉強された事がよく分かります。内容について
は全てを一遍に言う事はできないので、いくつかの質問をします。
【質問1】何故、あなたは「人は死んだらどうなるか」に関心があるのですか。
つまり、たとえば「生き物が死んだらどうなるか」という関心では
なく、人にこだわるのは何故ですか。
【質問2】「「心を有する物」を「生物」と定義し、「快苦を感ずる能力」を
「心」と定義することができます。」としながら後の方では
すべての物質に心があると主張しているが、では生物と無生物の
区別はどうなるのかな。
【質問3】「心をもたない物が集まると、なぜ心が出てくるのでしょうか。
無い物はいくら足しても有るようにはなりません。ゼロはいくら
足してもゼロなのです。したがって結論をいうと、人は死んだら
分子レベルにまで解体して、心を有する分子たちとして生きつづ
ける、というのが死後の問題への答えになります。」
これは論拠が逆なのではないか。「死んだ後も心を分子に託して
生き続け(たい)」ために、「心は全ての物質に存在する。 」
という前提を作った、と言うのが心理的な真相ではないのかな。
【質問3】「わたしは、魂の存在は、超越者は内在できないという決まりに
反するがゆえに、99.9%無い、とおもっています。」 と言う
事は、魂(肉体を離れた心?)は無いが心(石を含めた物質に宿る
心?)は在るという事になり、これはひどく曖昧ですね。
超越と内在という対立は、その真理としての主体と客体との対立、
つまり「誰」かが心を持つのか、それとも「何か」に心が在るだけ
なのか、という区別では?。
総じて「死後の生」という、言葉として既に矛盾している事柄にこだわるのは、
論理的な問題ではなく、心理的な問題だという事に気づいて、宗教に走らないよう
に忠告します。
00599=58
NGNG2番目の【質問3】は【質問4】の誤りです。
0060松浦武司
NGNGもし心が快苦を感じる能力、生きる能力であるとするなら
自己犠牲はどういう扱いになるのですか?
多細胞生物個体の生を維持するための細胞のアトポーシスも自己犠牲ですよね。
自己犠牲は、より高次の生が生きるためのものであり、より高次の生の快楽追求
がサブレベルの生の快楽追求よりも優先されたということでしょう。
0061松浦武司
NGNG>今までのを読んでましたが、ちょっと寂しい気がしますね。やりとり
が冷たいです。人はもっと温かみをもっているように思いますが。
わたしの不徳の致すところでした。お詫び申し上げます。
>47の名無しさん
ぞんさいな言葉、申し訳ありませんでした。せっかく時間を割いてカキ
コしてくださったのに、いまおもえば失礼千万な物言いでした。お詫び
申しあげます。
0062松浦武司
NGNG>質問1
「人は」にこだわっているわけではありません。だけど一応わたしも、人類という
内輪の中で生きてますから、そこらへんを配慮して「人は」としておきました。
>質問2
言葉上、万物が生物ということになります。無生物は存在しないことになります。
>質問3
そうじゃないんです。わたしは昔から物から心が生ずるという常識的唯物論をずっ
と信じて生きてきましたが、なぜ物から全く異なる心が出てくるのか、という違和
感をどうしても否めなかったために、それについて考えずにおれなかったのです。
それでよく考えた結果、アニミズムに到達したのです。
>質問4
超越というのは世界を超え出ているということです。内在というのは世界の内部に
存在しているということです。
>宗教に走らないように忠告します。
わたしはすでに宗教遍歴は長いです。宗教から心理的に決別するために勉強して
ああいう文章を書いたのです。
(あの長い文章ができあがるまでには、込み入った諸事情と複雑ないきさつがある
のですが、それについて説明しようと思ったら本が1冊書けてしまうぐらいの分量
になるので、ここではそれについて述べることはしません。)
0063フィロゾファッカー
NGNG戦争における特攻隊などは個人より高次な心が優先されたと言えるかもしれません。
では、明らかに社会より低次な場合はどうでしょうか?
子供の為に命を捨ててまでも守ろうとする行為(人間以外にも見られます)は
一体何の心なのでしょう?
0064フィロゾファッカー
NGNG>なぜ物から全く異なる心が出てくるのか、という違和
>感をどうしても否めなかったために、それについて考えずにおれなかったのです。
>それでよく考えた結果、アニミズムに到達したのです。
しかし、松浦さんのアニミズムであっても
全く違う心から我々の心が形成されるのは疑問を持つのではないでしょうか?
そのポイントが組成にあるなら
より微量な粒子に心を持ち込まなくても、
ある一定以上の組成をもつ我々だから心があると考えてもよろしいのでは?(むしろ自然では?)
0065松浦武司
NGNG>では、明らかに社会より低次な場合はどうでしょうか?
子供の為に命を捨ててまでも守ろうとする行為(人間以外にも見られ
ます)は一体何の心なのでしょう?
子供は社会の宝物です。だから親が子のために命を捨てるのも、高次の
生命への献身だといえるとおもいます。「ゆりかごを動かす母の手はや
がて世界を動かす」といわれるとおりです。
>全く違う心から我々の心が形成されるのは疑問を持つのではないでし
ょうか?
個人心理から集団心理が生ずることはそんなに不思議なことですか?
わたしは、人間が二人以上いれば、そこに人間関係が生まれ、いろいろ
な感情が生じてくるということは、ごく当たり前のことであって、べつ
に不思議なこととはおもいませんけど。
0066名無しさん@1周年
NGNG>生命への献身だといえるとおもいます。「ゆりかごを動かす母の手はや
>がて世界を動かす」といわれるとおりです。
・e・< 抽象的な概念を具体的なモノと取り違える、手続き転倒バカ論理発見!
0067松浦武司
NGNG!
え?どこに?誰の論理?どうして?訳分からんです。
0068フィロゾファッカー
NGNGではもしここに二人の人間が一緒にいたら
その「二人分の人間」を意味するある何かAというものと
そのAというものの心ができるということですか?
僕には全く実感できませんが?
00699
NGNG質問への回答ありがとうございます。大分事情が分りました。
それで、下記に論点を絞って私の議論を進めたいと思います。
因みに小生は(哲学的)唯物論の立場を採ります。
>物から心が生ずるという常識的唯物論をずっと信じて生きてきましたが、
>なぜ物から全く異なる心が出てくるのか、という違和感をどうしても
>否めなかった。それでよく考えた結果、アニミズムに到達したのです。
アニミズムも宗教的意識、表象の一種(最も原初的な形態)ですが、
すべての存在は生きているという、生命感覚であり、より反省的な
「心の存在/非存在」の意識とは少し異なると思います。
結局、「心」というものをどう考えるか、どう定義するかでしょう。
さしあたり、心を「感じる能力」とすると、「石にも心がある」か
どうかは直接検証不可能です。何故なら「私は石ではない」からです。
そもそも「私に心があるか?」という疑問を持たないと、「石にも心が
あるか?」という疑問を自然に持つことはできないでしょう。そして
次に「心って一体何?」という「心の本質」に対する疑問が浮かぶで
しょう。「心が何かは分かりきっており、石にもそれがあるのだ。」
という主張は(道徳的な意味ではなく、思考的な意味での)反省が
足りないと思います。
たとえば、中世いらいの西欧哲学ではその事をめぐって長い思索と
論争が続いてきました。例えば中世スコラ哲学では心は唯一不可分
であり、物質は無限分割可能なのだから、両者はまったく異なる
本性の存在である、という事が言われ、近世のデカルトも基本的
にはそれを踏襲しつつ、さらに「心(観念)は広がりをもたないが、
実体(物質)は広がりを持つ」として空間性の有無を両者の区別と
して立てました。
と言う事で、「物が心と全く異なる」かどうかは論者の心の定義次第
であり、正しい定義=概念が問われているのだと思います。いかがで
しょう?
0070松浦武司
NGNGはい。二人が一緒に居るとき集団心理Aが生じています。
そしてその二人が離れると集団心理Aは消えます。それはちょうどミミ
ズを真ん中でちょんぎるとニ匹になって生きつづけるのと同じことです。
その集団心理Aが実感されないとすれば、それはその集団の凝集性が低
いからです。
0071松浦武司
NGNG>アニミズムも宗教的意識、表象の一種(最も原初的な形態)ですが、
すべての存在は生きているという、生命感覚であり、より反省的な「心
の存在/非存在」の意識とは少し異なると思います。
たしかにわたしは、ピアジェの言うような生まれつきのアニミストでは
ありませんから、わたしのアニミズムは感覚的なものではなく反省的な
ものです。
>論者の心の定義次第
心とは「快苦を感ずる能力」のことです。心とは何かをつきつめて考え
たことのない人たちはそれぞれバラバラの定義をするでしょうが、ちゃ
んとつきつめて考えたことのある人ならばみな、心が「快苦を感ずる能
力」であるという結論にいたるはずです。
007252
NGNG>心とは「快苦を感ずる能力」のことです。
それはもう聞きました。私は論理的に問いかけているのです。
つまり、あなたは「すべての存在者は生きており、心を持つ。」と言い、
「心とは快苦を感ずる能力のことである。」と主張する。
私は「それは心の直接的定義であり、本質に迫っていない。」と言う。
何故なら、まさに根拠が示されていないからです。つまり、何故心がそのような
ものなのか、非−心との本質的な区別は何なのか、心をまさに心とするものは
何なのか、といった事が示されていない。「すべては心だ。」と言えば、
それ以外のものが無い以上、心とは何なのかが分からなくなるでしょう。
あなたの論法だと、「快苦を感ずる能力を持たない」存在者はあり得ないという
ことになり、快苦とは何かすら理解できなくなる。石が運動するのも快楽、
アメーバが運動するのも快楽、国家が戦争するのも快楽、すべてそうなる。
物事を区別する事が反省的な認識の始まりだと言う事は、ヘーゲルも言って
います。
007372
NGNG正: 名前:9
他スレへのレスのが残っていました。スミマセン。
(またやってしまった。いい加減に固定ハンを使おうかな。)
0074匿名
NGNG0075名無しさん@1周年
NGNG武司は卒論何について書いたの?
0076松浦武司
NGNG考えてみればたしかにそのとおりでした。しっかり反省し考えなおしたい
とおもいます。
0077松浦武司
NGNG中大は演習二つで卒論一本分に代えられるので、卒論は書きませんで
した。
0078>>78
NGNG>そしてその二人が離れると集団心理Aは消えます。それはちょうどミミ
>ズを真ん中でちょんぎるとニ匹になって生きつづけるのと同じことです。
私はフィロゾファッカー氏とは別人ですが、ちょっと気になったので質問します。
「二人が一緒にいる」「離れる」というのは相当曖昧な言い方です。
ミミズのたとえから類推すると物理的に離れると集団心理が消えるという考えだと
思いますが、電話などの通信手段を介してコミュニケーションをとっていても集団
心理は発生/存続しないものでしょうか?
0079フィロゾファッカー
NGNG0080松浦武司
NGNG>電話などの通信手段を介してコミュニケーションをとっていても集団心理は
発生/存続しないものでしょうか?
電話回線を通じて物理的につながっているから、集団心理が発生存続しうるのだと
おもいます。物理的に何のつながりもないもの同士のあいだには集団心理はありえ
ないとおもいます。
0081松浦武司
NGNG誰かと長いあいだ行動を共にしていると情も沸いてきます。相手の幸せ
を願う心も起きてきます。相手の幸せがそのまま自分の幸せ、という一
体感情も生まれてきます。こういうのを集団心理と言ってもいいのでは
ないでしょうか。
0082微熱症患者
NGNG人が心をもつのと同じ仕方で、人の集団が心をもつわけではなく、たまたま集団のふ
るまいのなかに擬人的に語ることができるようなものがあるので、そのふるまいの背
景として「集団心理」を仮想するのだと考えるわけです。
このような考えは私の集団に対する感情移入能力の欠如を示しているのかもしれませ
んが……。
それはともかく、「集団心理」の発生/存続/消滅のメカニズムについての松浦氏の
説明はとのような「物理的なつながり」が集団心理の成立に寄与し、どのようなもの
が寄与しないのかを区別できなければかなり空虚な理論になると思います。
私の部屋の電話から出ている回線は私の知人の家の電話にも、また全く私の知らない
人の家の電話にもつながっています。どちらの「物理的なつながり」も同じであり、
特に回線の構造や組成に違いがあるわけではありません。にもかかわらず一方に集団
心理が発生し、他方に発生しないのはどういうわけでしょうか?
0083松浦武司
NGNG団心理はあるのだとおもいます。その詳しいメカニズムはよく分からな
いにしても、コミュニケーションのあるところにはじめて情が移るとい
うことはあるのだとおもいます。
0084フィロゾファッカー
NGNG0085鈴木
NGNG全てのものが心を持つとして感情はすべて心を有する個体それぞれによって違うと思うんです。誰かと長いあいだ行動を共にしていると情も沸いてきます。
>相手の幸せ
>を願う心も起きてきます。相手の幸せがそのまま自分の幸せ、という一
>体感情も生まれてきます。こういうのを集団心理と言ってもいいのでは
>ないでしょうか。
たとえば個体Aが「こいつとはいたくない」と思いながら集団に属し、同じ集団に個体Bが「ああ、この人幸せになってほしーなー」と思いながらいるとき、この集団に集団心理は存在するといえるのですか?
一方が快、もう一方が不快を示すとき集団心理は存在するんでしょうか。それとも「そういう集団心理である」と言ってしまえるんでしょうか。
人間以外のもので考えていただいても結構です。ま、「嫌だ」と思いながら一緒にいるというような上っ面な行為は人間くらいしかしないことなのかも。私は人間なのでわかりませんが。
81で感情という単語を使ってらしたので気になって書かせていただいたんですが。「心」と「感情」は同じ意味ですか?
心とは「快苦を〜〜」と定義されていますが、「快苦」は感情ですか?
「快」なので「したい」、「苦」であるから「したくない」という欲求のようなものが感情という言葉には含まれるように感じるのですが。
それは「快苦」に追随するものとしてあるのでしょうか、「快苦」そのものなんでしょうか、「心」ですか?
何をかいているかいまいちわからなくなってきたのでこの辺でやめます。
すいません、論文は読ませていただいてないです(汗)。
0086松浦武司
NGNGなんらかの物質的な手段の関与なしにはコミュニケーションは成り立た
ないとわたしはおもいます。言葉は発声器官が必要ですし、ノンバーバ
ルコミュニケーションには身振り手振りが必要ですし。
0087松浦武司
NGNG鈴木さんの話ではAとBとではコミュニケーションがうまく行っていない
ような感じですから、集団心理による統制がうまくとれていないという
ことになるかとおもいます。
あと、心は感情だけでなくて、ふつうは知情意の三領域で考えられると
おもいます。
それから、快苦も感情だし、したいとかしたくないとかという欲望も、
感情であるとおもいます。
0088鈴木
NGNG>ことになるかとおもいます。
すいません、よく意味がつかめないんです。そもそも集団心理は存在するんですか?しないんですか?
この言い方だと何らかの、元になる「集団心理」があって、それから発展したまたその集団の個性的な集団意識が創り出される、という風に読めるのですが。
ゾウリムシは食いたいから食うんですか?
横紋筋は動かんといかんと思って動くんです?
ああそうだった、「心」と「感情」は等しいんですか。この問が先ですね。
フィロゾファッカーさんへのレスよんで思ったんすけど。
言葉を発するのに必要な発声器官も「心」を持っているということは、それも集団心理に含まれるんですか?含まれないのかな…?
あ、コミュニケーションしてないものは関係ないのか。
0089松浦武司
NGNGするんですか?しないんですか?
存在します。しかしAとBの二人によって構成される集団の凝集度・親密
度は低いようですから、集団心理は希薄であるといえましょう。
>ゾウリムシは食いたいから食うんですか?
>横紋筋は動かんといかんと思って動くんです?
はい、食いたいから食っているのだし、動きたいから動いているのだと
おもいます。
>発声器官も「心」を持っているということは、それも集団心理に含ま
れるんですか?
発声器官を構成する細胞たちの集団心理が、発声器官の統制のとれた動
きを可能ならしめているのだと思います。
0090フィロゾファッカー
NGNG>食いたいから食っているのだし、動きたいから動いているのだと
おもいます。
>惰性に身をゆだねることには快が伴います。
と、結果と原因が逆になってるのではないでしょうか?
何かが起きた場合、それは全て何らかの物質の心と説明してる気がします。
では人が死ぬのは死にたいから死ぬのですか?
という質問はどうでしょう?
0091松浦武司
NGNG生命にとって基本的に快というのは生存を利する方向に働くものであり、
その反対方向への動きには不快が伴いますから、人はふつうは嫌々死ん
でいくものです。エントロピー減少系がエントロピー増大則に抗し切れ
なくなって死ぬわけですから、生きたい気持ちに逆らって死んでいくの
がふつうのケースだろうとおもいます。
0092微熱症患者
NGNG集団心理の発生/存続にとって本質的なのはコミュニケーションの存在であり、
コミュニケーションが成立するためには物理的な手段が必要である、ということ
だと思うのですが、そうすると集団心理にとって個々の人の心に「物理的なつな
がり」があることは必要条件であって、十分条件とまでは言えないということに
なるのでしょうか?
もしそうだとすると、一つレベルを下げると次のようにも言えるのではありませ
んか? すなわち、「私たち人間が心を持っているのは、人体を構成する分子が
持っている心が物理的につながりを持つことを前提としている。しかし、これは
人が心をもつための必要条件であって、十分条件ではない。よって、人間と同じ
物理的素材から構成された物体であっても必ずしも心を持つとは限らない」と。
しかしこう言ってしまうと「万有は心を有する」スレッド冒頭のテーゼが崩れて
しまうことになります。
では、こう考えるべきでしょうか? 「下位の心から上位の心が構成される仕方
にはある程度の類似性があるが、どの階層においても全く同じメカニズムである
とは限らない。原子や分子の心から人間やその他の物体の心が構成されるために
はそれらが単に物理的につながっているというだけで十分だが、さらに上位の心
である集団心理が発生するためには物理的なつながりだけでなく、コミュニケー
ションの成立が必要となるのだ」と。
すると、人体組織を国家組織にたとえるようなアナロジーにも制限が加えられる
ことになります。
さて、どちらなのでしょう?
0093鈴木
NGNGきを可能ならしめているのだと思います。
「発声器官を構成する細胞たちの集団」ではなく、「発声器官を構成する細胞たちと発声している本人、それを聞いている人、その人の聴神経群及びその他」というかなり大きな集団についてのことだったんですが。
まあ、「発声器官を構成する細胞たち」が「発声している本人」から独立した思考を別に持っているということになってしまいますが。
こうなってくると細胞の集まりである人間そのものの個体の集団心理及び思考が説明できないことになってきそうです。
0094松浦武司
NGNGコミュニケーションのあるところに集団心理はあるわけですが、コミュ
ニケーションといってもその親密度・凝集度の高低はピンからキリまで
あります。すべてのものが物理的につながっているのである以上、すべ
てのものは親密度の高低の差こそあれ、なんらかのコミュニケーション
は互いにし合っており、したがって万物に心は遍在しているということ
になるとおもいます。
0095松浦武司
NGNGたしかに発声器官の意志だけでは発生はできませんね。脳による命令を
受けてはじめて発声は行われるわけですから。
0096鈴木
NGNG「個体としての人間の思考」は伝えようとは思いこそすれ、脳に「発声器官に声を出すよう命令をしてくれ」という命令をしている意識はない訳ですから。
「発声器官群」も「発声器官群」で脳に命令されたからといって従う義務はないんですよ。生命維持には全く関係ない、コミュニケーションという分野においてですから。
>松浦さん
答えたいただけることだけでも十分嬉しいのですが、一応全ての疑問に触れていただきたいのですが。
お時間がある時で結構ですので。
0097松浦武司
NGNG>まあ、「発声器官を構成する細胞たち」が「発声している本人」から
独立した思考を別に持っているということになってしまいますが。
はい。そうなります。
>こうなってくると細胞の集まりである人間そのものの個体の集団心理
及び思考が説明できないことになってきそうです。
発声器官は個体の集団心理に従属しながらも相対的に独立しているとい
うことです。
>「脳の思考」と「個体としての人間の思考」は別に存在するんですか
?
いえ、別には存在しません。個体全体の心を総括しているのが脳である
からです。
0098名無しさん@1周年
NGNG0099鈴木
NGNG0100微熱症患者
NGNGご回答ありがとうございます。
ご回答の趣旨を私なりにパラフレーズしてみました。誤解があれば指摘して下さい。
1.すべてのものは他のものと物理的につながっている。そして物理的につながってい
るものどうしには必ずコミュニケーションが成立する。そしてコミュニケーションが
成立する場には必ず集団心理が生じる。従って、すべてのものどうしの間には集団心
理が生じる。
2.しかし、すべての集団心理は全く同じ仕方で生じているわけではない。なぜならば
集団心理の発生条件となるコミュニケーションにはさまざまな親密度・凝集度のもの
があるからである。コミュニケーションの親密度の程度に応じて、集団心理の強さも
違ってくる。
このパラフレーズが正しいとすれば、>>70の
>二人が一緒に居るとき集団心理Aが生じています。
>そしてその二人が離れると集団心理Aは消えます。
には修正が必要となるように思われます。
すなわち、二人が離れたときにも集団心理は消えずに存続しているが、コミュニケー
ションの密度が低下しているために、集団心理の強さも二人が一緒にいるときに比べ
ると非常に弱くなる、と。
さらに話を集団心理から心一般に拡張するとどうなるでしょうか?
「すべてのものは心を有する」という基本主張は若干もとのニュアンスとは違ったも
のになるように思います。つまり、私たち人間のもっている心と他のものがもってい
る心は全く同じ心ではなく、少なくとも程度の差がある、ということになると思うの
です。ちょうど、同じ電話回線を介して物理的につながっているという状況であって
も、知人の間に成立している集団心理とあかの他人の間に成立しているそれとの間に
は天と地ほども違いがあり、後者は日常的な文脈では「集団心理が成立していない」
と言ってもさほど支障がないように、同じ原子や分子から構成されている物体であっ
ても、人間のもっている心と他のもの(たとえば机や椅子)のもっている心の強さに
は大きな違いがあって、後者には「机や椅子は心を持たない」と言ってしまいたくな
るほどかすかな心しかない、ということになると思います。
0101微熱症患者
NGNG先ほどはあえて「程度の差」を強調しましたが、逆に考えるとどうなるでしょうか?
つまり、心の遍在を強調するわけです。
すると、世界は心に満たされていて、心はすべての場所で均一ではなく濃淡の差やむ
ら、よどみのようなものはあるけれども、基本的にはひとつながりのまとまりをなし
ている、というイメージが得られます。ここでは「心」という名詞は一つ二つと数え
られるものを指すのではなく、「水」や「空気」などの名詞と同様に、量についての
み語ることができる(ただし水分子についてその個数を語ることができるのと同様に
心の最小単位がもしあるなら、その単位をもとに数えることは可能かもしれません)
ものになっています。便宜上、「私の心」「あなたの心」という表現を使うことはあ
っても、それは「日本海」「太平洋」という表現が明確に境界づけられた領域を指す
のではないのと同様に、心がそれ自身で個体化の原理を持っているわけではない、と
いうことになるでしょう。
すると、下位の心から上位の心が構成されるという考えも「集団心理」という概念も
心の濃淡を秩序づけ、整理するために我々が考え出しただけであり、本当の心は遍く
物理的世界全体を覆う、ただ一つのものということになると思います。
実を言えば、私はこのような心についての全体論的な見地を受け入れるのにはかなり
抵抗があるのですが、当初極端な還元主義だと思われた思想が突き詰めていけば極端
な全体論に到達するという、その過程を辿ることができただけで満足しています。
0102松浦武司
NGNG>なぜ総括されているんですか?生きるため?
はい、そうです。
個体全体の心を統括しているのが脳であるわけですが、集団内にまとめ役がいた方
が、集団の動きが統制がとれて良いというばあいもありますから、ホモサピエンス
はそういう方針で進化してきたのでしょう。
0103名無しさん@1周年
NGNG9
0104松浦武司
NGNGうございました。おおむねわたしの考えをそのまま伝えてくださってい
るとおもいます。
0105名無しさん@1周年
NGNG0106松浦武司
NGNGアメーバは、エサを与えてやれば喜んで食いついていくし、有害な物質
を流してやれば、痛がって逃げていきます。このように生物は一般に、
生命活動を促進するものに快楽を感じ、その活動を阻止するものに苦痛
を感じます。「快」を求め「苦」を避けることをつうじて、生物はその
生存を確保しているのです。そのように、快苦を感ずる能力は生存に必
要なものであるから、心がなければ生きてはいけません。心が物を生か
しているのであるから、「心を有する物」を「生物」と定義し、「快苦
を感ずる能力」を「心」と定義することができます。
0107名無しさん@1周年
NGNG0108松浦武司
NGNGって、死と定義するわけです。
0109な
NGNGつなげると「快苦を感ずる能力を有する物を生物と定義する」だけど
その快・苦が生命活動を促進するか阻害するかってんだから結局
「生きる能力を有するものを生物と定義する」ってことだ
だから,何も言っていないということなのだな。
0110名無しさん@1周年
NGNG生き返らせることのできない時点 = 心を有しない時点。ならば
「心を有する時点」→「心を有しない時点」への変化を何が決定づけるの?
物体は同じじゃないの?
0111松浦武司
NGNG要は「心=生」ということを言っているわけです。
0112松浦武司
NGNG脳が全体としての機能を果たせなくなった時点が、心に関して有から無
へ転化する時点です。
0113微熱症患者
NGNG私が100で述べた考えに同意されるのなら、もはや「死」について語ることはできない
のではないでしょうか?
生きているということは心を有しているということであり、かつ、すべてのものは程度
の差こそあれ心を有しているということになるのですから。
もし、死という事態があるということを認めるなら、死体には心はないということを認
めることになります。すると、すべてのものは心を持っているという基本テーゼを捨て
る必要があります。また、死体を構成している分子が依然として心を持っているとする
なら、下位の心から上位の心が構成されるというもう一つの基本テーゼも無条件では支
持できないことになるでしょう。
0114110
NGNG脳を持たない単細胞生物類は常に死んでいるということになる。
わからない。
機能を果たせなくなるということは、単なるメカニズムの変化。
追試験の出来ないような、抽象概念の存在は科学的には認められない。
0115松浦武司
NGNGしょう。しかし低次の生の心は相変わらず有りつづけるでしょう。
0116鈴木
NGNG心=生 なんすよね?
すいません、気になったもので。
0117松浦武司
NGNGあります。さらに低次の生へ移行します。
0118フィロゾファッカー
NGNG0119松浦武司
NGNGもっとさらに低次の生へ移行します。
0120110@`114
NGNG「低次の生の心は相変わらず有りつづける」=「limit>∞ 高次の生の心は消える」
消えるとはどういうこと?
エネルギー保存の法則は成り立たないなら、その証明は?
エネルギー保存の法則が成り立つとすれば、何に分離されてゆくの?、その証明は?
0121安慈
NGNGここでも頑張ってたのかいひっひっひ。
0122松浦武司
NGNG消えるというのは単に解体するということです。分子が解体すれば分子
は消えて原子たちになります。
0123110@`114@`120
NGNGというものは、観測できないと言うことになる。
-つまり、存在しない物を対象に対話していると考えても一向に差し支え
が無い無いことになる。
-ひいては、存在していることが証明できても、出来なくても、
命題は崩れることになる。
この矛盾への説明はどうするのか?
0124微熱症患者
NGNGここで「解体」ということばがどのような事態を指すのかが今ひとつよくわかりません。
ふつうは、「ばらばらになること」「物理的なつながりを失うこと」という程度の意味で
すが、その意味では(爆死などの特殊な場合を除けば)人の死と人体の解体は同時ではあ
りません。もし解体することによって心が消えるのだとすれば、人の死は脳死や心臓死な
どではなく、その後に起こる腐敗の過程ということになるでしょう。では、ミイラ化した
死体の場合はどうなるのか、などという疑問も生じます。
また、>>100 >>101で私が述べた考えがもし正しければ(私は正しいとは思いませんが)
すべてのものは程度の差こそあれ物理的につながっているのですから、そもそも解体とい
う事態が生じる余地がありません。たとえ爆死してばらばらになった肉片であっても、地
面や空気、その他の媒介物を通じて他の肉片との何らかのつながりは残っているはずです。
すると、爆死した人は実はまだ生きているのだと結論づけなくてはならないのではないで
しょうか?
無生物(とふつう考えられているもの)に心の存在を認めるという大胆な思想と、人の死
についての常識的な見解を保持することの間には、緊張関係があるように思います。高次
の生の死を低次の生への移行と考えるだけでは、この緊張は調停されず、どうしても疑問
が残ります。
たとえば、一匹のミミズAが二つに「解体」されてBとCに分離した場合、もとのAの心
はどうなったのか、という問いに対して「高次のミミズAの生は死に、低次のミミズBと
Cの心に移行した」という答えでは全く不十分であることは明らかでしょう。AもB,C
もともにミミズであり、一方が高次で他方が低次と言えるかどうかも疑問ですが、それ以
前に問題となるのが、Aの心が移行する前にはBとCには心はなかったのかどうか、とい
う点です。この問題は分子が解体されて原子になる場合にもあてはまります。原子はそれ
自体が低次の心を持っており、高次の心をもつ分子が生きていようが死んでいようが同じ
状態であり続けます。よって「移行」は生じず、単に高次の心が消えただけだと考えられ
ます。
同じことを人の心について言えば次のようになります。人が死んでも人の体を構成してい
た分子は以前と同じく生きて心を持ち続ける。人が死んだからと言って各々の分子の心に
何かが付け加わるわけではない。よって人の心はより低次の分子の心に移行したわけでは
なく、単に消えただけである、と。
0125松浦武司
NGNG他人に心があるかどうかすら証明できません。いわんや物質をや。
0126松浦武司
NGNGまったく微熱症患者さんの仰るとおりだとおもいます。異論はありませ
ん。
0127代理いぬ
NGNGまず、君の考え方が仮に正しいとして、
我々は一体どのような得をするのかね?
ただ解釈があるだけでは、新しい宗教の教義が一つ増えたのと何も違わないぞ。
例えば、社会学なども分析の時点においては一種の教義のようなものだが、
その次の段階では、その方法論によって社会に先んじようとする。
そこにこそ、社会学の価値と実証があるわけだが、
君の理論にはそれがすっぽり抜けているように思える。
もし、君の考え方が一つの教義に過ぎないものだとしたら、
我々は各々の好きな考え方を選べば良いだけであって、
君の言うことに耳を貸す必要はない。
違うかね?
0128松浦武司
NGNG0129微熱症患者
NGNGあの、124で私は意見を提示したかったのではなくて、疑問点を提示したかった
のですが……。
「仰るとおり」などと言われても、議論が発展するわけではありません。
私の疑問に対して回答を示すか、それとも回答を示すことができない(=理論
に不備がある)と認めるか、あるいは私の疑問が誤解に基づくもので答えるま
でもないナンセンスなものだと主張するか、態度をはっきりさせて下さい。
また、>>27で「わたしの説はありとあらゆる学問に資するオールマイティ
理論です。」と大見得を切ったからには、127の批判に対して、この説の
有用性を示すことによって反論しなければならないと思います。「一理あ
る」と認めてしまうことは自説を撤回することに等しいでしょう。
いや、別に撤回してもいいのですが……。
0130松浦武司
NGNGミイラや爆死体は生きているというご説はそのとおりだとおもいます。
それから、高次の生から低次の生への移行はありえず高次の生が消えるだ
けだというご説もそのとおりだとおもいます。
あと、わたしの説はありとあらゆる学問に資するオールマイティ理論であ
るというのは、すくなくとも小児分裂病上がりであるわたしにとってはそ
うなのです。
0131フィロゾファッカー
NGNGるというのは、すくなくとも小児分裂病上がりであるわたしにとってはそ
うなのです。
もし、この理論があなたの世界だけにしか通用しなくていいのなら
ここで紹介する必要性は全く皆無ですよね。
それは同じく共有したいと思ってるのではないですか?
それとも独我論の如く自己満足ですか?
ところで最も低次の生は死なないのですか?
死ぬとしたらどうなるのですか?
死なないとしたらそれは何ですか?
あと高次から低次に移項しようが私の自意識が死ぬ事に変わりはないんですよね?
0132松浦武司
NGNGもちぬしは少なくないとおもうので、そういうひとにとってはどんな学問を学ぶ上
でも役に立つとおもいます。
それから最低次の生はないとわたしは考えます。クオークよりも低次にサブクオー
ク、サブクオークの低次にサブ-サブクオーク………というように無限遡行できると
おもっています。
>あと高次から低次に移項しようが私の自意識が死ぬ事に変わりはないんですよね?
はい、そうです。でも私は形を変えて生きつづけるわけだから、それでいいのでは
ないですか?
0133考える名無しさん
NGNGアレクサンドレイア派?(なんじゃそりゃ) ちょっとオカルト入っているような気もするけど。
0134代理いぬ
NGNG>代理いぬさんのいわれることにも一理あるかもしれないとおもいます。
自分の論文の位置付けについて自覚さえしてもらえれば、
私は別にいいと思いました。
かるーく読んでみたけれど、その主張には決して賛成できないながらも、
だからといって害のある考え方だとも思わないし、
むしろ良く勉強されているせいかおもしろい部分もありました。
なにより、松浦武司さんが自分のために良いと思われているのなら、
私にはそれをとがめる権利はないですからね。
ただ、現状の考え方だけに固執せず、柔軟であることは大事でしょう。
批判を加えてくださる方も多いようなので、耳を傾けてみては。
0135名無しさん@1周年
NGNG神というか、造物主は、
個体の存続については、とんと、興味がないようです。
関心があるのは、個体ではなく、種の存続というか、
生命全体としての存続のみ、のような気がします。
生命全体の中に、共通に引き継がれていく、
遺伝子だけが、いつまでも死なずに、生き続けていくのではないかと。
0136考える名無しさん
NGNG0137名無しさん
NGNG自分では、思っていても、
実際のところは、
そんなには、個々の差は、ないのかもしれない。
0138妄想狂
NGNGならば、きっと、酸素とゆうやつも、
水素とくっついて、水になりたいやつと、
炭素とくっついて、二酸化炭素になりたいやつが、
いるはずである。
てなわけで、水を電気分解した生まれた酸素を
ボンベに詰める。
さて、このボンベを背負って、
深海に向かって行く勇気があなたにはあるか・・・。
0139名無しさん@1周年
NGNG遺伝子というかたちで、個々の人間の中に引き継がれ、
生命が絶滅するまで、生き続ける。
自分の中の、遺伝子を遡れば、
間違いなく、原始創生の生命体に、辿りつくはず。
0140むーぴー
NGNG論文読まさせて頂きました。この楽しい議論にぜひ加わらせて頂きたいと思い、感想など書いてゆきたいと思います。僕は生物関係の研究をしているもので、このスレッドも生物板で発見しました。
正直言わせてもらえば、あまりにも論理展開や定義の立て方、根拠の立て方に問題があり過ぎるのですが(ですから論文としては評価できません)、あまり細かいことにこだわらずに、松浦さんの意を推測しながら読みすすめることにします。
ただ、生物関係の研究をしている者として、間違いの箇所は指摘させていただきます。
多細胞生物、単細胞生物、バクテリア、という言葉の使い方に若干誤解があるようです。バクテリアは単細胞生物ですから、「化学進化・生物進化の歴史」は、
バクテリア → 単細胞生物 → 多細胞生物 を、
原核(単細胞)生物 → 真核(単細胞)生物 → 真核(多細胞)生物
とした方がよいと思います。バクテリアを原核生物としたのは、多少込み入った事情があるのですが、知りたければ教えます。
あと、ミトコンドリア、葉緑体、(厳密には核も)が、もともと原核生物であったことはDNA分析から明らかになったことですが、その他の無数の細胞小器官では、その様な報告はありません。文脈では、細胞小器官の全てが微生物由来である、という誤解を招きやすいと思われます。
あと、生物の定義、こころの定義、それにまつわるエントロピーの話など、専門分野としては放っておけない気持ちなのですが、これはこの論文の核心自体に触れることになるので、今のところは言及しないでおきます。みみず、かまきり、くらげ、癌細胞についても調べ直して再考することをお勧めします。加えて、余計なおせっかいですが、後半部分は物理関係の人にチェックをいれてもらうか、まるごと削除した方がよいと思われます。
0141むーぴー
NGNG> 下位の物質たちが心を有しているからこそ、その集合体にも心が有るのです。
> 逆に、もしも下位の物質たちに心が無いのだったら、どうして「物」から全
>く異なる「心」が出てくるのか、不可解でありましょう。
> 心をもたない物が集まると、なぜ心が出てくるのでしょうか。無い物はいくら
>足しても有るようにはなりません。ゼロはいくら足してもゼロなのです。
一番ひっかかるのは、この理屈です。「集合体」の有す性質を、なぜ「構成物」がもたねばならないのでしょうか? 生物は一種の複雑な機械であるというのが、今の生物学の基本的な考え方ですが、例えば、自動車が「走る」からといって、個々の部品が「走る」性質を持っていることにはならないのではないでしょうか?
> したがって、すべての物質が心を有しているのです。
> わたしたちもわたしたちを取り巻く物質もすべて同じく原子分子のあつまりで
>あり、その割合と組み合わせが異なるにすぎません。であれば、わたしたちと同
>じく物質にも心が有ると考えたほうが、無いと考えるよりも自然なのではないで
>しょうか。
僕は、生物を構成している「物質」よりも、その物質がどのようにつながりあって、生物を構成しているか、ということが重要だと思います。人間は、常に代謝をし、その細胞を構成している物質は常に入れ代わっています。もし物質にこころがあり、そのこころの集合体として人間の心があるとしたら、なぜ、物質の入れ替えが頻繁に行われているのに、こころが同じに保たれるのでしょうか?
物質はこころを表現するための「媒体」である、というのが僕の考えです。CDは、どんな音楽が入っていようと、その物質構成にはほとんど変わりはないでしょう。しかし、書き込まれた「情報」が違うので、違う音楽を奏でます。
素材である物質にこころがあるのではなく、物質どうしのつながり方や、システムからこころは生まれるのではないでしょうか?
0142むーぴー
NGNG> この問いは、人が問い得るかぎりの、あらゆる問いの中でも、もっとも重要な
>問いです。
> というのは、人生は、せいぜい長くて「100年」のあいだです。それにひきか
>え、死後の時間の経過は「永遠」です。
> 永遠の時の流れのなかにあって、人の一生の長さとは、いったい何なのでしょ
>うか。
誰もが一度は身につまされる悩みであると思いますし、これがこの論文の動機だということはよく分かります。しかし、「私」という存在が死んで(消えて)、下位の「分子、原子」というこころ(生物?)になるのなら、やはり「私」は死んだということに変わりはありません。つまり、唯物論と同じ結論ではないかと思うのですが、そうなのでしょうか?
違う点と言えば、物質にこころ(それはエントロピーの法則に従うこと?)があるとし、その価値を見い出した点にあるのかもしれませんが、分子、原子のこころに如何程の価値があるのでしょうか?
> このように、幾層にも積み重ねられた諸階層のうちの、どの階層もすべて、心
>をもった生き物であり、すべての心は、サブレベルの生き物たちの集団心理、下
>位の生物たちの心の合成結果なのです。
> したがって、「地球生態系」←「種社会」←「個体」←「器官」←「組織」←
>「細胞」←「細胞内小器官」←「分子」←「原子」←「素粒子」………、という
>ふうにつぎつぎと、心の原因をおおもとへ辿ってゆくことができます。
この考えでいくと、地球生態系が最も上位の生物ということでよいのでしょうか? それとも、宇宙全体までいくのでしょうか? そして、個体よりも上位の生物は、個体よりも「知」「情」「意」が優れた存在なのでしょうか?
0143むーぴー
NGNG追伸:夢野久作氏の、「ドグラマグラ」は読まれましたか? 脳と心に関して、同じような主張がなされています。
0144松浦武司
NGNG>141
物質が自己組織化した結果、そこに新しい何かが生まれてくるという可能性がある
ことについては重々承知しております。
>142
分子は私の一部であるわけですから、分子は私である、といえなくもないですよね。
そこでわたしは、人は死ねば分子レベルにまで解体して分子たちとして生きつづけ
る、と言ったのです。
>この考えでいくと、地球生態系が最も上位の生物ということでよいのでしょうか?
それとも、宇宙全体までいくのでしょうか?
地球生態系→太陽系→銀河系→銀河集団→宇宙全体 というふうになっています。
>そして、個体よりも上位の生物は、個体よりも「知」「情」「意」が優れた存在な
のでしょうか?
そうではありません。
0145むーぴー
NGNGレスありがとうございます。ところで、僕の全部に対するレスではないようですが、いずれレスしてくれるのでしょうか? 長文ですが、きちんとした議論をするためになるべく答えて欲しいと思うのですが。
>>141
>物質が自己組織化した結果、そこに新しい何かが生まれてくるという可能性がある
>ことについては重々承知しております。
僕は、『下位の物質たちが心を有しているからこそ、その集合体にも心が有るのです。』に対する反論として141を書いたのですが、それには同意する(下位の物質には心がなくてもよい)ということでしょうか?
>>142
>分子は私の一部であるわけですから、分子は私である、といえなくもないですよね。
>そこでわたしは、人は死ねば分子レベルにまで解体して分子たちとして生きつづけ
>る、と言ったのです。
「わたし」とは何か? という極めて哲学的な問いが必要とされると思います。松浦さんは、「わたし=分子」と考えているのでしょうか? 僕はそう考えてはいません。なぜならば、僕の体は常に代謝しており、物質の交換がされているからです。「わたし」とは、物質の交換が生じても保たれるなにか、ということになりましょう。それを、CD上の「情報」として例えたのですが、理解されたでしょうか?
>>そして、個体よりも上位の生物は、個体よりも「知」「情」「意」が優れた存在な
>のでしょうか?
>そうではありません。
「そうではない」と判断される理由はなんでしょうか?
0146松浦武司
NGNG>心が有るのです。』に対する反論として141を書いたのですが、それに
>は同意する(下位の物質には心がなくてもよい)ということでしょう
>か?
はい、その可能性も考えうるということです。
>「そうではない」と判断される理由はなんでしょうか?
たとえば、人類という種社会にはヒト個体の脳のような高度なシステム
をもたないから、知情意機能も低次のヒト個体よりも高度ではない、と
いうことはいえるとおもいます。
0147松浦武司
NGNG>としたら、なぜ、物質の入れ替えが頻繁に行われているのに、こころ
>が同じに保たれるのでしょうか?
> 物質はこころを表現するための「媒体」である、というのが僕の考
>えです。CDは、どんな音楽が入っていようと、その物質構成にはほと
>んど変わりはないでしょう。しかし、書き込まれた「情報」が違うの
>で、違う音楽を奏でます。
> 素材である物質にこころがあるのではなく、物質どうしのつながり
>方や、システムからこころは生まれるのではないでしょうか?
「素材+構造=心」というわけですね。だとしたら、すべての物質階層
が心をもっていてもおかしくないではないですか?例えば物質の最小単
位とされているクオークも内部構造をもっていて、サブクオークすらも
その内部構造をもっていて、というふうに無限に低次のレベルにさかの
ぼることができるかもしれないわけですから。
0148松浦武司
NGNG>脳と心に関して、同じような主張がなされています。
読んだことないです。
0149むーぴー
NGNG>たとえば、人類という種社会にはヒト個体の脳のような高度なシステム
>をもたないから、知情意機能も低次のヒト個体よりも高度ではない、と
>いうことはいえるとおもいます。
ということは、知情意機能の高さは、システムの高度さに比例する、と考えてよいのでしょうか? そうだとしたら、「個体」という高度なものを単位とした「種社会」が、なぜ逆にシステムが低度になってしまうのでしょうか? 「器官-個体」という関係と、「個体-種社会」という関係の相違はなんでしょうか?
0150むーぴー
NGNG>「素材+構造=心」というわけですね。だとしたら、すべての物質階層
>が心をもっていてもおかしくないではないですか?例えば物質の最小単
>位とされているクオークも内部構造をもっていて、サブクオークすらも
>その内部構造をもっていて、というふうに無限に低次のレベルにさかの
>ぼることができるかもしれないわけですから。
松浦さんが、「心」の定義を、「その単体(一つのまとまり)固有の性質」のように受け止めているのなら、どんな存在も心を持っている、としてもよいでしょう。ここで問題にされるべきは、「わたし」という人間の心と、それが分解され、分子の状態になった心は、同じなのか、ということです。過去ログでは、それは違う、というということですよね。だから僕は、やはり死んだ時、「わたし」も消えるのだ、と思います。
CDの例で言うと、CDに書き込まれた音楽の「情報」は、CDを炎で焼き、溶かしてしまえば、永遠に失われます。CDを構成していた物質は残りますが、そこから元の「情報」を復元することは不可能です。
逆に、あるCDの情報を、違うCDに複写したら、この二枚のCDは同じ情報を持っていることになります。また、違う物質構成をしているMDに複写しても、レコードに複写しても、あるいは紙に楽譜として写しても、情報としての変化はありません。
だから「情報」は、それを構成する物質を媒体としなければならないが、媒体が情報を規定するわけではないことがお分かりでしょう。
単純に「心」と「情報」を同じように扱うことはできませんが、人間の「心」を考えた時、「記憶」が大きな役割を果たすことを考えれば、僕のいっていることはあながち的外れではないと思いますが、いかかでしょうか?
0151むーぴー
NGNG1・松浦さんは、今現在も、「人生の空しさ」に対しての解決はついていますか?
2・松浦さんは、今現在も、論文の内容を「根本部分から」見直す必要を感じていませんか?
0152考える名無しさん
NGNG「レスを全部読む」を押すと読めます。
参考までにもう一つ松岡氏が立てたスレが存在します。
それもこれと同等のスレッドなので読むといいと思います。
0153松浦武司
NGNG>と考えてよいのでしょうか? そうだとしたら、「個体」という高度
>なものを単位とした「種社会」が、なぜ逆にシステムが低度になって
>しまうのでしょうか?
単位それ自体は高度でも、単位たちによって構成されるシステムは高度
ではないからです。
>「器官-個体」という関係と、「個体-種社会」という関係の相違はな
>んでしょうか?
難しいですね。何と言ってよいのやら。質問の意図がよく分からないの
で、すこし質問を言い換えていただけないでしょうか。
0154松浦武司
NGNG>僕のいっていることはあながち的外れではないと思いますが、いかか
>でしょうか?
賛成いたします。
0155松浦武司
NGNG>松浦さんは、今現在も、「人生の空しさ」に対しての解決はついてい
>ますか?
すくなくとも自分の人生にかんする限りでいえば、人生は「苦しい」と
は思いますが、「空しい」とはあまり感じません。
>松浦さんは、今現在も、論文の内容を「根本部分から」見直す必要を
>感じていませんか?
はい、いまも万有が心を有すると思っています。
0156くだらん議論をあちこちでたらたらしやがってよぉ
NGNG0157考える名無しさん
NGNG心身問題
0158考える名無しさん
NGNG0159考える名無しさん
NGNG0160考える名無しさん
NGNG同意。
論理でも実験でも証明できない理屈ってのは
もはや宗教でしかないのではないだろうか。
信じるか信じないかっていう問題だもんね。
0161考える名無しさん
NGNG松浦氏だろ?
0162>161
NGNG01632ちゃん哲学板ボエー
NGNG0164考える名無しさん
NGNG0165考える名無しさん
NGNG0166名無しさん@1周年
NGNG灰になるんだと思います。
0167考える名無しさん
NGNG0168考える名無しさん
NGNG0169暇人
NGNG消える
その個体から見ると世界が全て無くなる
0170考える名無しさん
NGNG人間以外のものに心などあるわけがない。高度な脳があってはじめて生まれる。
他の生物は、自我を認識することもできないし、本能のままにいきているだけだ。
0171考える名無しさん
NGNG死=意識の消滅
意識の消滅=時間の消滅
ゆえに、死=時間の消滅
つまり、死んだら、無時間の状態になる。
無時間の状態では当然、時間は流れない。
ここで再び意識が発生したと仮定しよう。
その発生までには時間は流れていない。
とすると、死から意識の再発生までには時間的隔たりはない。
つまり、死から意識の再発生までは所要時間ゼロである。
所要時間ゼロとは「直後」を意味する。
ゆえに、人は死んだら「直後」にまた生きている(意識がある)
ゆえに、人は死なない(死ねない)。
なぜなら、また「直後」に生きているから。
ゆえに、人間は不死である。
0172考える名無しさん
NGNG0173考える名無しさん
NGNGってなんで言えんのよ?
0174考える名無しさん
NGNG局面しか見てないといつまでもその輪から抜け出せない。
だから自分の考えにも矛盾が生じることがある。
(要は裏と表がつながってることが理解できない)
そして哲学とは考えることによって生じるもので、
知識を自慢するものではない。
小局と大局とを同時に考えることが出来れば答えが見えるかも、
一歩離れてみてみれば意外と簡単なのかも?
0175考える名無しさん
NGNG0176考える名無しさん
NGNG宗教にでも凝ってみる?
0177考える名無しさん
NGNG0178考える名無しさん
NGNG脳死と死を混同してんじゃないの?
おれ的には立て分けて認識してるけど
0179考える名無しさん
NGNG実際どの時点で死んでるかは心でみないとわからない。まあ脳死はボディーの活用がメインだから死とは関係ないけどね。
0180考える名無しさん
NGNG人生の時間を数学的に考えると
誕生<自我<死 であり自我はけっして死には辿り着けない
宇宙と人生はその意味で類似している
・・・などと即席で考えてみた。
0181哲人
NGNG0182考える名無しさん
NGNGそして、リセット後、再起動=転生
0183副総統2ちゃん河井
NGNG0184近未来人
NGNGクローン技術で生まれ変わります。
0185考える名無しさん
NGNG0186ぴちお
NGNGどこが違うんだ?
ロボットが動かなくなっても修理すりゃまた動くなぁ
でも、人間は死んだらもうおしまいだなー
んー・・・たぶん人間はロボットよりフクザツにでき
てるから修理すんのが難しいんだろうなー
まー凡人にはロボットの修理も難しいけどなー
あ、ってことは、医者と人間の関係とメカニックとロボット
の関係って似てると思わない?
たぶん医者のテクが上がればメカニックの兄ちゃんがロボット
直すみたいに人間を生き返らせれるようになるかもなぁ
0187考える名無しさん
NGNG0188考える名無しさん
NGNG生まれる前の状態に戻るんです。
不在=無に。
しかし、潜在的な不在は、顕在的な存在より豊かである可能性があるんです。
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