トップページ⇒philo
11コメント9KB

ロック哲学

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@1周年NGNG
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/zowie/1994.htm
こういうのは哲学的にはまともなんでしょうか?
0002ウィトNGNG
nonsenseも甚だしい。
0003名無しさん@1周年NGNG
まともではありません。
(ジョン・ロックの哲学と勘違いして見て損した。)
>ジル・ドゥルーズは、『差異と反復』のなかで次のように語っている、
>― 「仮面の背後には、したがってまたもや仮面があり、だからもっと
>隠れたものでさえ、はてしなく、またもやひとつの隠し場所なのである。
>何かの、あるいは誰かの仮面を剥がして正体を暴くというのは、錯覚に
>ほかならない」(財津理訳)。
 大体この手のナンセンスな主張が70年代後半からはやった「ポスト・
 モダニズム」と言う退廃した精神表現の典型でしょう。
 「仮面を剥がして正体を暴くのというのは錯覚」だって?
 それでは仮面vs正体、錯覚vs洞察という言葉の意味自体が無くなり、
 およそ何かを主張することもできなくなる。にも拘らず、本まで出すと
 はドゥールーズって馬鹿じゃない?
0004名無しさん@1周年NGNG
坂部恵の『仮面の解釈学』とかもインチキなの?
0005名無しさん@1周年NGNG
uge
0006名無しさん@1周年NGNG
まあ、おちつけって。
哲学史的には、哲学プロパー内部で常に支配的である
プラトニズムへの批判なんだし、
政治的にはスターリン主義マルクス主義への批判なんですよ。>↑のドゥルーズの転載文
単純にいって、石頭批判ですよ。テーゼそれ自体への批判。
なんか一瞬正しいと思ったテーぜがところ変われば最悪な意味を発するってこと、よくあるっしょ?
プラトニズムとかって、そういう現象、
認めたがらないわけ。正しいものは正しいって言って聞かない。
石頭って言葉それ自体に酔っているから、ところかまわず同じ事を主張するけど、
ところ変わればある表象がまるで異なる意味や、反対の事柄を主張しているかに
受け止められてしまうことに気づきもしない。光っているものは光っている、というわけだ。

まあ、なんかそういうわけにもみれてね。ドゥルーズの言うことはこんなふうならわかるんじゃあないか?
君にはこんなことは自明だろ?そう、だからもっと高く飛べばいいさ。
少なくとも、ドゥルーズはそんじょそこいらの活動家よりは繊細な手つきで人の話を聞こうとする姿勢を
述べていたとは思うんだよ。
00073NGNG
>6
 つまり、ドゥールーズは論理的な哲学者ではなく、モラリストだとでも
 おっしゃりたいのでしょうか?
 「正しいものは正しいと言って聞かない。」のは単に独断論ということで、
 別にプラトニズムということでもなく、逆にプラトニズムとはそういう事で
 も無いでしょう。
 私がポストモダニズムに感じる胡散臭さは単にフランス人特有のふざけた
 物言い(彼らはウィットと呼ぶのだろうが)のせいだけではない。
 権威主義的なドグマが嫌いなのは皆同じです。それが何故「人間の消滅」
(フーコー)、「差異の戯れ」(デリダ)などと斜に構えて言うことになるのか。
 それは小ブル特有の知性の脆弱さを示している。「敵」(実際彼らは何を敵に
 しているのか?)に対して正面的なアンチをぶつけるのでもなく、自分もその
 一員であるインテリ階級の中でアリバイ作りをしているだけのように見えます。
 確かにデリダなどに比べればフーコーやドゥールーズは誠実だとは思いますが、
 そこにある同質のトーンには紛れも無く彼らの階級的状況が反映されている。
 いずれにせよ、フランスならぬ日本でのポストモダニズム騒ぎは、昔太宰治が
 名づけた「洋行帰り」そのままであり、似非インテリ達の前近代性を示す茶番
 でしかないでしょう。「まあ、あなた。今最先端の『器官なき身体』も読んで
 ないざぁますの?」「やっぱり、知的なエスプリを本当に理解するには、原語
 で読めなくちゃね。」エトセトラ、エトセトラ。
0008>3NGNG
ルサマンチンチン
00096NGNG
3さん。:
つまり、ドゥールーズは論理的な哲学者ではなく、モラリストだとでも
 おっしゃりたいのでしょうか?
 「正しいものは正しいと言って聞かない。」のは単に独断論ということで、
 別にプラトニズムということでもなく、逆にプラトニズムとはそういう事で
 も無いでしょう。

6で参考までに書いた事柄は例としてよくなかったことは認めるよ。
あれは、ドゥルーズが形式的に述べた事柄の一例のつもりだったんです。
だから、他の話題にも変換可能だと思ってください。いいたかったことは、ドゥルーズは
しばしば機能とか機械とか生気とか力といった物質と物質との関係によて生じうる作用
に関心を払っていました。プラトンがあれか、それかこれなのかどっちだ本物は?といい、
ヘーゲルがその問いに対しまあいずれその両方を乗り越え、包摂するものがそそりたつさと高をくくったとして、
ドゥルーズはいや問題はそれら両項の間で働く決定的な何かだろうといったんじゃないかな。
そのような何か決定的な間(あいだ)として、
とりわけ、ヒュームからは想像や空想や生気(これはベルクソンといった方がいいね)を、ニーチェからは力を
論じていたと思うんだ。
 あいだと機能と作用と力、これが決定的に重要なんだと思うよ。どれもこれも手でつかめず、目で見えないが、
きちんと働くから。まあ、そう怒ったり、あせったりしないでさ、確かに5での言い方は悪かったよ。あやまる。ごめんなさい。
0010名無しさん@1周年NGNG
>7
ポストモダンの主張がドグマ化したのは彼らの主張のせい、
と言うよりも、世の中が圧倒的にそれを受け入れてしまっ
たからでしょう。相対主義の絶対化、とか、民主主義の
腐敗とか。まさに世の中全体がプチブル化してしまった
ことの当然の結果ですな。だからポストモダンはそれ自体
を批判する前に、まずそれを受け入れてドグマ化した社会
の方を批判することが必要なのでは? 誰もこの現象から
例外的に免れている人などいないでしょう。

>6
プラトニズム=石頭(な奴)
という図式は何となく分かるけど、いまさら(ドゥルー
ズの)こんな批判に同調したって何も始まらないと思うけ
ど。上でも書いたとおり、ポストモダンがプチブル化した
社会を代表している思想だとすれば、あなたの意見は単に
その現状を維持させようとするだけのもの。いつからか、
この保革の立場が入れ替わってしまったという現状に早く
気付かなくては。
あなたも結局、ポストモダン=プラトニストになるよ。
00116NGNG
ポストモダン・ぷらとにスト?
ポストモダンの哲学は固定的、定型的な内容をもってないからポストモダンであり、
プラトニズムでない。それはつねに否定的にしか記述できない。「あれでない、これでない・・・」
だいたい、局所的にミクロにものをみて場合次第で位置を変え、姿を変えるから、
あなたが10においてなさったアドバイスは意味をなさない。
相手次第でその態度やしぐさを変えることで、逆手に取ったりして、効果において同じことをなすまでだから。
そう、私はあなたと同じことを、ちょうど私のようなものをみて、言うだろうように。私たち、仲良しね!
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています