「について語る」について語る
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0001名無しさん@1周年
NGNG喋るということは単に音声を発するということではなく、文字を書くということも単に紙にシミを作ることではありません。
では、いかにして指示言及という事態が可能なのでしょうか?
また、指示言及が特定の事物や事象への指示言及であり、他のものについて指示言及するわけではないのは、どうしてでしょうか?
私にはそれが不思議でなりません。
どうか、皆さんのご意見をきかせて下さい。
0002名無しさん@1周年
NGNG>文字を書くということも単に紙にシミをつくることではありません
えっ、そうじゃないんですか?
0003名無しさん@1周年
NGNG指ね
00041
NGNG確かに「言葉とは単なる音声や文字の羅列に過ぎない。指示とは幻想である」と主張する人はいます。
しかし私にはこのような主張は私には問題からの逃避であるように思われます。
ちょうど認識論の分野での独我論と同様に、論理的には整合的であっても、我々の基本的な世界了解の実態を全く反映していない空論だと思うからです。
00052
NGNGフッサール的な志向性とかを考えてるんですかね
00061
NGNGフッサールや現象学について私はほとんど知りません。
ですが、1で述べた疑問と同様に思考の志向性について疑問を提示できるかもしれません。
すなわち、私達は心に単にイメージを思い浮かべるだけでなく何事かについて考えることができるが、いかにして思考が思考対象を志向するという事態が可能なのか、と。
観念、概念、思念、表象、印象その他何でもいいのですが、私達が物事を考えるときに心に現れるものは、常に何事かを志向しており、また通常の場合はその志向性は特定の何事かに向けられており別のものに向けられてはいません。
これはどうしてなのか、と問いを立てることができるでしょう。
その際、「思考の志向とは幻想であり、単に意識の流れがあるだけだ」と答えるのでは、やはり問題から逃げているように思います。
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