カントのコペルニクス的転回
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001hehehe
NGNGカントのコペルニクス的転回を述べよ。
0002名無しさん
NGNG「我々はこれまで、我々の認識はすべて対象に従って規定されねばならぬと考えていた。
しかし、我々がかような対象に関して何事かをア・プリオリに概念によって規定し、
こうして我々の認識を拡張しようとする試みは、かかる前提のもとではすべてついえ去ったのである。
そこで今度は、対象が我々の認識に従って規定されなければならないという風に規定したら、
形而上学のいろいろな課題がもっとうまく解決されはしないかどうかを、一つ試してみたらどうだろう。
形而上学では、ア・プリオリな認識、つまり対象が我々に与えられる前に対象について何事かを決定するような認識の可能が
要求されている。ところが今述べた想定はすでにそれだけで、かかる認識の可能ともずっとよく一致するのである。
この事情はコペルニクスの主要な思想とまったく同じことになる」
0003名無しさん
NGNGせめて天野の訳にしろ!
0004名無しさん
NGNG天体の運動の説明がなかなかうまく運ばなかったので、今度は天体を静止させ、その周囲を
観察者に回らせたらもっとうまく説明できはしないかと思ってみたわけだ。ところで、
形而上学においても、対象の直観に関してはこれと同じような仕方を試みることができる。
もし直観が対処の性質に従って規定されねばならないとすると、私はこの性質についてどうして
ア・プリオリに、何事かを知りうるのかわからなくなる。これとは反対に、(感覚の対象としての)
対象が、我々の直観能力の性質に従って規定されるというのなら、私には直ちにこのことの可能がよくわかるのである。
しかし、このような直観が認識になるというのだと、私は直観に止まっているわけに行かない。そこで私は表象としての
これらの著観を、対象としての何かあるものに関係させ、対象をこのような表象によって規定せねばならない。
そうすると私は、対象の規定に関して二通りの仕方だけを想定することができる。」
0005名無しさん@1周年
NGNG観念論は、いまだ猛威を振るっています。勝利の進撃はとまりません。
>対象が、我々の直観能力の性質に従って規定される
経験論・唯物論は、いつも敗北をします。
0006名無しさん@1周年
NGNG0007考える名無しさん
NGNG0008考える名無しさん
NGNGどうよ。あれって、カント解釈としてはインチキかい?
0009名無しさん@1周年
NGNGうっわっ、あからさまにいかがわしそう(^^;;
概容を教えていただけません?<8さん
0010考える名無しさん
NGNG「我々の認識はすべて対象(物自体)に従って規定されねばならぬ」
ということだろ。もちろん、
それって本来のカントの主張とは逆だよねん。
詳しくは『トランスクリティーク』読んでくれい。
ちなみに、カントのどこをどういうふうに読めば
そういう解釈が出てくるのか
俺の方が聞きたいところだ。
0011>>柄谷
NGNGだったら唯物論と同じじゃないか!カントなんか持ち出す必要ない。
はじめから堂々と唯物論を主張すればいいだろう。そもそも素朴実在論のどこが悪いんだ。
いちいち自分は新カント派だの現象学だのも知ってるんだぞ、というポ−ズを取る必要なんかない。
0012考える名無しさん
NGNG素朴だから(笑)
0013考える名無しさん
NGNG解こうとしてしまう理性の働きを批判し
人間がある対象を知るということは
人間がその対象に従うのではなくて
人間にその対象が従うという視点の変換をせよ
ってなことでは?
0014考える名無しさん
NGNG観念論的な妄想ドッキュンの話しが出来るってことをお忘れなく。
でも何を持って「素朴」というか謎だよね〜。
0015>12
NGNGはハッタリ屋のようにみえます。
観念論と唯物論を「止揚」したより高い立場に立っているフリをしているひとに聞きたいのですが、
人間が誕生する前には宇宙は存在しなかったのか?
という「素朴」な問いに答えますか。
0016名無しさん@1周年
NGNGしていた、というアドルノの批判がある。
物自体と唯物論との近接性から、さらに
素朴実在論に話をもっていくのは、ちょっと
性急すぎる。もう少し慎重に議論しないと。
0017>16
NGNGこれを認めると哲学者には「素朴実在論」として嘲笑されます。
どんなに「慎重に議論」しても、「自然が意識とは別に存在すること」
は証明できないし、また否定することもできないと思います。
我々はどちらかの立場を勝手に選ぶことしかできない。
0018>17
NGNGところを見せつければよい。気分次第で太陽がいきなり西
から上がってくるとかな。どうだ!
一方、肯定的な証明は「原理的に」不可能。なにかが存在
しないことを証明できないのと同じようなもんだ。
0019>18
NGNGあなたが宇宙の存在を認めるか認めないかを尋ねているのです。
認めない場合は人間の意識が存在しない時代には世界は存在しなかったことになります。
すると恐竜の化石はどこから出てきたのでしょうか。神様が創ったのですか。
0020考える名無しさん
NGNGわけわかんないこというなよ。
モノ(経験的事物)は最初からあるに決まっている。
カントの場合、モノを認識するための主観的形式がアプリオリか否か、
という問題だろ。『純粋理性批判』読んだの?
あんたの不毛な議論より、
俺は16のアドルノの話が詳しく聞きたいね。
0021名無しさん@1周年
NGNG非常に難しい議論ですけれども、要するに、
アプリオリな形式が、経験的な世界に影響を
与えるのか、それとも経験的な世界からは
まったく切り離されているのか、その点に
おいてカントは一貫していないという批判です。
「カントは極度に形式的な類比によってまったく
秘密裡に英知的性格を物自体と同一視している。
そのさい、英知的性格が「ひとつの」物自体、
おのおのの人格のうちなる物自体、つまり内官の
諸現象の未知の原因であるのか、それとも、カント
がしばしば言っているように、「物自体」なるもの、
つまり、すべての物自体と同一であってフィヒテの
絶対的自我のようなものであるのかを、彼はまったく
説明していないのである。」
002221
NGNG働きかけを行なうとすれば、それは現象世界
の契機となり、現象世界の諸規定に、したが
って因果性に服従することになろう。伝統的
論理学者カントは、同一の概念が因果性に服
従しかつ服従しないということを容認しては
ならない。しかし、英知的性格がもはや切り
離されていないとすれば、それはもはや英知
的ではなく、むしろ、カント的二元論の趣旨
からすれば、感性界と混交されることになり、
これまた自己矛盾に陥る。カントが英知的性
格の教えをもっと詳細に述べなければならな
いと感じる場合、彼は一方では、この性格を
時間における行為、つまり当の性格にまった
く帰属しえない経験的なものに基づかせざる
をえないし、他方では、英知的性格が巻き込
まれている心理学をないがしろにせざるをえ
ないのである」(『否定弁証法』351頁)
正直、わたしも理解が追いつかないところが
あります。長い引用すみませんでした。
0023考える名無しさん
NGNGむむ・難しいね。感性と悟性の亀裂はよく指摘されるポイントだけど、
ここでいわれている「英知的性格」が精確に何を意味しているのか、
前後の文脈を読んでみないとわからないな。
いずれにせよ、長い引用ごくろうさまです。サンキュ。
0024らちお君
NGNG天使の話だねぇ。
「精確に」なんて言おうとするもんなら、
それこそ、ドツボだろうねぇ。
0025>24
NGNG0026考える名無しさん
NGNG0027考える名無しさん
NGNG■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています