哲学という病気
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0001馬鹿相応
NGNG0002まさに馬鹿相応
NGNG0003名無し
NGNGまあ、昔(大昔)はそう考えられてたんだから許してあげてよ。
0004名無しさん
NGNG大賛成!
というか、なんで人生論と哲学をごっちゃにしている人がいるのか、
そっちのほうが不思議。
>本来の哲学は価値観の介入しない科学に似た学問である。
これはちょっと疑問。価値中立性は科学の特徴の一つ(ただし、かなり
「建前」っぽい)だが、哲学は価値中立的とは限らないから。
ただし、「思想や宗教、倫理等との区別がつかない馬鹿者ども」に対し
て注意を喚起するためにあえて極論を述べているのだとすれば、それほ
ど的外れでもない。
0005名無しさん
NGNG0006そもそも
NGNG0007名無しさん
NGNG「お嬢ちゃんの暇つぶし」、
これが一番説得力ある答えなんじゃないですかね。きょーびは。
私、自分見ててそう思うんですけどね。
0008名無しさん
NGNG「オヤジの管まき」ってところですかね。
0009名無しさん
NGNG思考停止せずに限界まで考えちゃうからおかしくなっちゃうんで
哲学を知ることでこれが哲学かぁと思考停止できるようになってから
いろんな哲学が氾濫する
0010カルボナーラ
NGNG哲学は学問です。
0011名無し君
NGNGでも、それだけじゃないものもあると思うな。
「哲学研究」と「哲学」は違う気がする。
0012名無しさん
NGNG0013名無しさん
NGNG0014名無しさん
NGNGということは紀元前からある哲学のほうがずっと古い。
0015私も馬鹿相応
NGNG哲学に介入する価値観とは例えばどう言うものなのでしょうか?
おそれいりますがどなたか教えていただけないでしょうか。
0016名無しさん
NGNG0017>10
NGNGもっています。たとえば、経験主義の哲学であれば、世界のすべての
事象を感覚器官を通じて得られる知識によって説明しようと企てます。
そして、感覚的経験によって説明できないような存在者は空虚な形而
上学的フィクションとして退けます。このような方法論をとるという
こと自体がある種の価値観と密接にかかわっています(すべての事柄
には確実な基礎がある、その基礎とは感覚的経験である、感覚的経験
によって得られた知識は不可疑である、それ以外の知識は疑いうる、
などなど)。
これは一つの例であり、他のスタイルの哲学についても同様のことが
いえます。理屈のうえでは方法論は方法論であり、その方法論が示唆
する価値観にコミットするとは限らないのですが……
0018私も馬鹿相応
NGNGこれも価値観ってことになりますよね。
論理的に誤ることなく導かれた答えが絶対に正しいと言うことを、
論理によって証明することはできないということを取りあえずどっかに
置いておかないと話が始まらない。
じゃあ厳密な意味であらゆる価値観から中立と言う事体はあり得るんでしょうか?
0019名無しさん
NGNG0020>19
NGNG0021名無しさん
NGNG0022名無しさん
NGNG0023馬鹿相応
NGNG002417
NGNG論理は価値中立的だと考えます。
ただし、ここてでいう「論理」とは形式論理のことで、いわゆる弁証法
論理は含みません(言わずもがな?)。
しかし、形式論理にもいくつかのバージョンがありますね。
時制論理とか様相論理とか、古典論理を拡張するようなものはいいとして、
直観主義論理とか量子論理とかの代替論理が存在することは事実。
よって論理に関する相対主義を主張する人を論駁するのはなかなか難しい
と思います。
なお、18さんの意見は相対主義的立場の表明というより、論理を基礎づけ
るさらなる原理がないということを言っているだけではないかと思います。
論理に根拠があろうがなかろうが、いずれにせよ私たちは論理によらなけ
れば思考することができないので、その意味で相対主義の主張は誤ってい
ると思います。
0025名無しさん
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