やたらと専門用語使う似非哲学者は消えろ
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0001アルキビアデス
NGNG知っていることと知らないことを明確に区別した彼こそ、最大の哲学者であります。
自分自身がよく理解していないテクニカルタームを使って、さも知っているかのように他人の学説の受け売りしている方々は、もう一度、自分が何を知っていて、何を知っていないのかを考えましょう。
議論が詰まってくると、テクニカルタームを使って煙に巻こうとする連中がいますが、そいつらは低級なソフィストであると思ってください。
本物の哲学者は最も簡明な言葉で、分かりやすく世界を説明できるものです。
専門用語をやたらと使う似非哲学者は「僕は高尚なことを知っていて、君たちが知らないから議論が成り立たない」といわんばかりですが、彼らは、本当は自分が物事をうまく説明できるほど頭がよくないことを暴かれるのがこわいだけなのです。
いますよね。本質的な質問されると、その質問に答えないで、専門用語使ってそっちの方に注意を引こうとする奴。
実際、そういうやつらが哲学を駄目にしてるんだから!
0002名無しさん
NGNG0003名無しさん
NGNG0004名無しさん
NGNG0005名無しさん
NGNG0006名無しさん
NGNG0007アルキビアデス
NGNG自己陶酔のために使っていると思われる言葉。
分かって使ってるならいいけどさ。
哲学者が議論の場で突っ走るのはやめてほしいのだ。
0008アルキビアデス
NGNG0009アルキビアデス
NGNG小学生相手に哲学語って理解してもらえないと、小学生の未熟さのせいにするだろうけど、小学生相手に哲学の魅力を分かりやすく説明できる人間が真に哲学を理解した哲学者だと思うのだ。
まあ、普通人は哲学やってると思考が複雑化するだけで、自分が突っ走ってることを忘れるからな。
あー、危険だ危険だ。
0010>アルキビアデスさん
NGNG0011名無しさん
NGNG0012アルキビアデス
NGNG何が?
0013代理代理いぬ
NGNG0014凡人
NGNGに出来る限りわかりやすく説明しようと努力しないこ
とは、悲しい事のように思います。 そして、その地点で
知らない無い事は、恥ずかしい事だと思いません。
私は、まだまだ、知識もそこまで、ありませんが、
ただ、ある事に大して、驚きを共に感じられたら
楽しいと言う事を根拠に勉強しています。
哲学は、決して、論点を煙に巻く事だとは、思えません
0015名無しさん
NGNG0016落ち零れ
NGNG0017名無しさん
NGNGふーん。「専門」用語は知らなくても、「一般」用語は知らないとだめなんだ。
じゃあ、義務教育は終えてないとだめなのかなぁ?
日本語学び始めたばかりのドイツの大学出の哲学博士(そんなのいる?)とかは?
ようするに、ここでは幾分かは「日本人」的であることが
暗黙のうちに前提とされていると思うな。
他の前提もあるよ。基地外じゃないとか、ボ毛じゃないとかね。
0018名無しさん
NGNG差別用語なんかよりもこっちの方を言葉狩りしたいと常々思う。
マルクス系ジャーゴンの「矛盾」「歴史」「唯物論」とか、
ニーチェ系ジャーゴンの「ニヒリズム」とか、
サイード系ジャーゴンの「オリエンタリスム」とか。
既存の言葉を読み替えることで新しい概念を主張する奴が多いせいで、
文脈によって概念が全くずれてしまった。
新語を造った方がすっきりしたと思うんだがな。
0019凡人
NGNG一般用語とは、つまり、日常会話で意志通達のための
最低必要な言語力でしょうか? もし、それを知る必要が
無いと考えた時、だめでは、なくなるために、どうしたら
良いのでしょうか? そして、日本人的とは、何を意味
するのですか? 比較対象など出してくれたら嬉しいです。
002017
NGNG「専門」に対して「一般」と言ったのは、一種の皮肉。
「専門」は専門家しか知らないが、
「一般」は多数の人々に共有されていることを前提とする、というほどの意味で使った。
「日本人的」というのもここが日本の掲示板だからそう言ったまでで、
「一般的」でも「常識的」でも、ここの文脈では言い換えてもいいかも。
そんなものを前提としていて、それでも「知らない人」とか「小学生」とかに
「哲学」(しかし一体どんな?)を「教える」ことができるとは思えないな。
大体、「知らない人」や「小学生」は、「鞭」で「基地外」で「ボ毛」かも
知れない、つまり、前提される「一般的」「常識的」なものなど通用しないかもよ。
002117
NGNG「専門的」だとだめで、しかし、「一般的」でないとだめ、と言っているのは、
俺じゃないからなあ(ソフィスト的? 光栄だね)。
要は、「専門」用語の使用が「哲学者」と「知らない人」との間の円滑な
コミュニケーションを妨げているというような単純な問題ではないということ。
0022アルキビアデス
NGNG日本語の文章の中で不用意に英単語を用いることが滑稽であるように、哲学の議論で不用意に専門用語を乱用することも滑稽。
哲学の専門用語って、それが何を意味するかという点で、微妙で危なっかしいものがあるから気をつけて使おう。
0023余計なお世話じゃ。
NGNG政治家の演説じゃあるまいし、何で一般人にもわかるようにかみ砕いて書く必要があるんだ?
人の議論を勝手にのぞいて、専門用語が多すぎるなどと
己の無知を棚に上げて一人キレられても、こっちの知ったこっちゃないよ。
小学生のガキじゃあるまいし、いちいち解説なんかしてられないっての。
少しは自分で努力してテツガク勉強しな。
ガキはクソでもひって早く寝なさい。
0024代理代理いぬ
NGNG>言葉なんて互いに意味が通じて意志の疎通ができればそれでいいんだよ。
だからこそ、
>小学生のガキじゃあるまいし、いちいち解説なんかしてられないっての。
ではなく、
わかりやすい会話の仕方を心がけるべきでは。
如何?
0025>24
NGNG文句があるなら会話してる当人に直接言えばいいだけのこと。
それを、手前一人に「わかりやすい」だけの「簡明な(ガキでもわかる)」用語使いが
客観的に一番良い(「本物の哲学者」)みたいなこと宣ってるから、
そりゃおかしいだろという話である。ヤジウマが外から文句垂れるような筋合いの
話じゃあない。ある言葉使いが「わかりやすい」かなど、人によるのであって、
会話する相手に合わせてケースバイケースに最も分かりやすい言葉使いを心がけるべき
ということなら、哲学以前の、単なる会話のマナーの話。
スレッド立てて言うまでもない常識。
専門家相手に本書く場合と、一般大衆向けに書く場合には、
言葉使いを変えることなど誰でもやってること。
無論、教科書や啓蒙書の類いを読みやすく面白おかしく書ける才能と、
哲学者としての能力はぜんぜん別だし、
素人相手にもお構いなく専門用語でまくしたてる、不親切で
無礼な野郎であったとて、そいつが哲学者として無能になるわけじゃあない。
あたりまえだ。ばっかばかしい。
そもそもこういうアホなスレッドは物理学や数学の板じゃあ立たないだろう。
哲学板だけだ。
0026名無しさん
NGNG0027アルキビアデス
NGNGそもそも、「知っている」ということはどういうことかをあまり研究しないうちから、私たちは何かを「知っている」つもりになっているのだから、あまり自分の知識について傲慢にならない方がいいと思います。
自分が本当に知っているかどうかを日ごろ気にかけている人間なら、無知な者をないがしろにするような傲慢さはないと思います。
最も本質的なことを知らないという点ではみんな同じだということを念頭において会話しましょう。
分かりやすく噛み砕いて話すということは、自分自身の知識を吟味することにもなるので、やってみてはいかが?
002817
NGNGつまり、「専門」化というものが、学者達ばかりでなく、
社会の中の小さなグループに至るまで起こりつつあり、
その小グループ間での意志の疎通が難しくなってきているというやつ。
その見方で言えば、「一般」と「専門」の区別自体が怪しくなってくる。
その場合、「一般」と「特殊」と言い換えたほうがいいかもしれないが。
まあ、しかし、日本はまだ「一般」は辛うじて区別できそうかな。
アメリカとかはヤバイらしい(もともと移民の国だし)。
ユーゴとかもね。
0029名無しさん
NGNGという設定のSFがあったな。
英語・中国語……という民族別言語じゃなくて、
数学語・医学語……という具合に分野別言語に分かれているという。
方向としては、確かに既にそっちに向かう傾向があるね。
0030名無しさん
NGNGそろそろ固有の専門分野として必要かもしれないな。
jargonologyと仮称しておこう。
「知のマップ作り」という意味の哲学は、
今後はそういう感じに発展していくのかもしれない。
0031名無し
NGNG専門用語が増えるのもやむを得ないことでしょう。
問題は、哲学をそのような「専門分野」の一つとみなすことを是とす
るか非とするか、だと思います。
0032名無しさん
NGNG0033アルキビアデス
NGNG専門用語が無数に増えたとしても、共通の「あるもの」を説明しているのは一般的なことばではないですか?
それについての反論求む。
0034アルキビアデス
NGNGところで、
>30
この文脈で、jargonologyと仮称することによって、この議論にどういうメリットがあるのか教えてください。
0035名無しさん
NGNG専門用語化批判をしたがるライターはいっぱいいるけどな(笑)
そのクセ「すべからく」の使い方まちがってるんだこれが苦笑
0036アルキビアデス
NGNG0037名無しさん
NGNG>使ってそっちの方に注意を引こうとする奴。実際、そうい
>うやつらが哲学を駄目にしてるんだから!
自分でよくわかってない専門用語を乱発する人もタコですが、学問としての
哲学史について何も知らない人間が、己の陳腐な人生哲学こねくり回しただ
けの代物を「誰にでも理解できる真の哲学」だなどと吹聴するのも救いよう
が無いなと思いますね。そういう人達が「哲学を駄目にしてる」かどうかは
知りませんが、一般人でも簡単に「哲学者」を名乗ることが出来るために、
哲学者や思想家が世間的に怪しいもののように見られる傾向はあるようです
(科学者などと比較すると)。
0038結局
NGNG背景にあると思う。それが解消されるまでこの論争続くでしょう。
現代のソクラテスの出現を待とう。
0039名無しさん
NGNG>背景にあると思う。それが解消されるまでこの論争続くでしょう。
物理学や化学に人生哲学に反映されることを望む人間はいないでしょう。
結局、「学問としての哲学」を素人が勘違いしてるだけなように思う。
人生を生きるうえでの指針を求めるなら、むしろ宗教にすがるべきじゃ
ないかな。ready-madeの、誰にでもすぐ簡単に「使える」ものが沢山ある。
哲学が宗教をバックアップすることになるんだろうけど、それは神学者な
りの専門化に任せておけばいい。神学者が、研究成果を教会などで一般信
者に分かりやすく解説してあげる、と。自分で研究(哲学)したいなら、
甘えてないで専門用語であれ何であれ真面目に勉強すべきだ。
0040アルキビアデス
NGNG文章はとても分かりやすいんだけど、「学問としての哲学」って何?
0041アルキビアデス
NGNG「学問としての哲学」の正しい認識ってどういう認識なの?
それがとても知りたい。
0042>33
NGNGまとめているモノでしょう。
例えばインターネット。ここにいる皆さんには一般的な用語で意味も
瞬時に理解できると思いますが、お年を召した方だとなんだか、
聞いたことあるけどよくわからない、という人は多いですよね。
じゃあこれをより一般的な用語で説明しようとすると、
「インターネットとは複数のコンピューター-ネットワークを相互に接
続して、全体として一つのネットワークとして機能するようにしたもので
アメリカ国防省の高等研究計画局の支援を受けたアルパネットから発展した
世界規模のネットワーク」と言わなければなりません。
これではあまりに面倒くさいので、インターネットという「専門用語」を
使っている訳であり、その専門用語が普及とともに一般化したのです。
「専門用語」があると便利でしょ?
素人に対して専門用語を振りかざすのが悪いことと=専門用語自体が悪い
訳ではありませんよ。
0043アルキビアデス
NGNGええとね、
>37
「己の陳腐な人生哲学」って何?
>39
「学問としての哲学」を勘違いするって、どういうこと?どういう風に勘違いするの?
0044アルキビアデス
NGNGそれって、お年を召した方向けの説明じゃないと思う。
かえって、分かりにくくしてるだけじゃないですか?恣意的に。
0045アルキビアデス
NGNGでも私も、専門用語自体が悪いと言っているわけではないのです。
1をちゃんと読めば分かると思うのですが。
42さんの考え方にはすごく賛成です。
004642
NGNGお年寄りに説明するとしたら、「パソコンを使って、手紙を送ったり
本を読んだりできる、すごいモノ」ぐらいかな。
まあ、なんと言い換えようとも、インターネットといった方が
便利。
つまり専門用語であるか否かは、相手によって相対的に決まるモノであり、
適切な場所で使用すれば有効なモノである。
004742
NGNGそれは失敬。1も当然読みましたが、途中から煽られて
考えが変わったのかなと。
なら、25で結論はでてると思うのですが。
0048名無しさん
NGNG例えば「人」と「人間」って、日本語のニュアンスとして違うけど、
「どういう風に使い分けるのか」って、説明求められたらできる?
その意味では、生物学用語のHomo sapiensの方が実は簡単なんだ。
あるいは、温度を表現するのは摂氏何度の方が一般的だけど、
絶対温度で何ケルビンと表現する方が、客観的には単純でしょ?
専門用語の指示内容は(体系内で)基礎的な概念だけど、
日常用語の指示内容は、<癖のある>混合概念になってるわけ。
哲学用語だとニーチェの「ルサンチマン」なんて、
内容を理解したらごく基礎的な概念だと感じるはず。
日常用語で大雑把に近似することはできるけど、
誤解を招く可能性が高いと思う。
誤解を避けるために基礎的な概念だけを使おうという主張は、
論理的には、むしろ専門用語多用文体を勧めることになるはずだよ。
でも将来的には、「ルサンチマン」くらいは日常語になるかもね。
基礎的な概念だから、会話で使えれば相互理解の効率が上がるはず。
「矛盾」という言葉は、数学での語義と漢語での語義は近いけど、
ヘーゲル哲学用語としては両者から離れた特殊な意味になる。
ところが、マルクシズムが力をもったせいで、
日常用語にもヘーゲル哲学的な意味での用法が浸透してしまった。
つまり、哲学ジャーゴンが日常語になってしまったわけだ。
そういうことは今後もあるはずだよ。
でも、日常語化する前にまず少数派が使わないことには
多数に普及することはありえないでしょ。
0049>39
NGNG>結局、「学問としての哲学」を素人が勘違いしてるだけなように思う。
哲学に人生哲学に反映されることを望む人間は多いのじゃない?
むしろそういうことを望まない哲学の方が異常な世界だよ。
物理学や化学は世の中の役に立つしさ。
0050名無しさん
NGNGどの分野の哲学のどの学派を、どう人生に反映させるというのだろう?
実存哲学? 仏教? 哲学が何かよくわからずに無闇に「人生に反映」
させたがるのは、「異常」どころかちょっと危険だと思う。
それでは新興宗教と何も変わらない。精神世界やオカルトと同じ
ノリで昨今の哲学ブームはあるようだが(自分探し?)、その辺、
何か人に誤解させるようなものが哲学にあるということなのか。
0051>50
NGNGその発想、おかしい
歴史的哲学者を上位50人選んでみて、人生に無関係な哲学した人を挙げれる?
日本の○○大学の哲学科教授なんてのは駄目だよ
0052名無しさん
NGNG少しお聞きしたい。気分を害す前に、一般的語句を前提にしてませんか?その一般的な語句
との暗黙のうちの比較により「専門用語」であるとの認知が生じませんか?
もしこうであるとして、私はむしろこう感じてきました。
一般的語句の法だって十分「専門用語」的な難解さをもっていはしまいか、と。
私の場合、どんな語句であれ、それがごくである限りは説明が大変困難であると思います。
つまり、ある語句を説明するとは、ほかの語句の組み合わせにより言い換えるわけですが、
これはこれで結構難しいですよ、一般的な語句であれ、分野ごとの専門用語であれ。
ですから、語句の理解困難さに関しては、専門用語も一般的な語句、凡例的な語句も等しく困難だと思います。
この意味で、専門用語への嫌悪は私にはよくわからないものです。わからないという点では
一般的な語句も同じだから私には一般的な語句への嫌悪もあっておかしくはないはずなのに、どうしてないのかなとそういう不思議さはあるです、。
0053>51
NGNGP・ジョンソンの『インテレクチュアルズ』にあるような、哲学者達の
私生活における俗物ぶりのことを言ってるのか?(笑)
それはともかく、自分が研究した思想が己の人生に反映されたからといって、
だから何だというのだ? 例えばある哲学者が幸せな人生送ったから、
その哲学者の思想を学ぼうというわけか? そういう発想のほうが「おかしい」だろう。
そもそも昔の哲学者の多くは真理を追及するために哲学を研究していたんであって、
人生がどうのは関係ないだろう。例えばある哲学者が「歴史の本質は階級闘争である」と
唯物史観を唱えたなら、とうぜん彼の生き方もキリスト教の終末思想を信じてる人間のそれとは
違ったものになる。つまり、思想が人生に反映される。しかし、それは単なる結果であって、
それを目的に哲学を研究するわけじゃあない。
マルクスの生き様にあこがれるたからマルクス哲学を学ぶのか? それでは本末転倒だ。
まぁそういう人間がいることは確かだろうが(笑)。
人生哲学を学問として研究すれば、実存哲学なり倫理学、あるいは宗教哲学になる。
しかし、いったん「学問」になれば、「善き人生とは一体何か?」という客観的真理の探究に
なるわけだ。単に「生きる」のではなく、「生きる」ということについて研究する。
哲学とはそうした学問なんであって、それを人生に応用するのはまた別次元の話だ。
道徳哲学の成果を学校の道徳の時間に生徒に教えこんだり、宗教哲学の成果を教会で
分かりやすく信者達に説く。そういう行為は「哲学」ではない。しかし、
「哲学」と呼ばれないからといって、何も問題があるわけじゃない。単に違う代物だ、というだけ。
0054名無しさん
NGNG0055>53
NGNG>それを目的に哲学を研究するわけじゃあない。
それ、俗物的発想じゃない?
>いったん「学問」になれば、「善き人生とは一体何か?」という客観的真理の探究に
なる
いったん「学問」にするまでもなくそれが哲学でしょう。
大体、「善き人生とは一体何か?」=「客観的真理の探究」って誰の言葉??
>単に「生きる」のではなく、「生きる」ということについて研究する。
>哲学とはそうした学問なんであって、それを人生に応用するのはまた別次元の話だ。
ウソでしょ。説いてもらったり教えてもらったりするのを哲学と呼ばないとしても、
「人生」について、教えを乞うたり学んだりしつつ自分で考えるのが「哲学」でしょう。
それに、哲学者の人生真似るのではなくて、ヒントを得るだけじゃない。
反対に、哲学書を万巻読破しても自分の人生と無関係に研究している「哲学」学者は、
それが世間で「哲学」と呼ばれていても、単に違う代物をやっているだけ。
もっとも、「哲学」と呼んだからといって、何も問題があるわけじゃないけどね。
0056アルキビアデス
NGNG1では、専門用語が悪用されるのはけしからんってことが主な趣旨なんです。
つまり、専門用語自体が悪いって言ってません。
『自分自身がよく理解していない』テクニカルタームを使ったり、
専門用語を『やたらと』使ったり、
本質的な質問された時に『その質問に答えないで』そっち(専門用語)の方に注意をひこうとする奴
がけしからんって言ってるです。
ですから、専門用語悪いって言ってないです。
2が「たとえば、どんなの?」って尋ねたところでも、私は『自己陶酔のために使っていると思われる』専門用語を上で取り扱っていることを言っておきました。
7でも「分かってればいい」「『突っ走るのは』やめてほしい」と一応書いておいたつもりです。
9の、相手のレベルに合わせて語ってるうちに自分が知らないってことが分かるっていうのは、「他人の視点で物が見られない人は、その視点の世界を知らない」っていう意味では、少なくとも自分に無知な部分があることに気づくという意味ですし、
また、小学生に哲学の魅力教えられるのが真の哲学者だと言いましたが、それは、無知なる者に哲学を授けることのできるほどの哲学者は、知るということについてよほど知っているはずであり、その意味で真の哲学者と呼ぶに値すると私は思ったからです。
決して、小学生に専門用語使わずに高邁な哲学教えろなんて言っておりません。
もう一度よく注意して読むと分かると思います。
私、一度も専門用語が嫌いだなんて言っておりませんよ。
私が27で言ったこと分かってもらえるでしょうか。
ところで、52さんの質問は17の流れから生じたものだと思いますが、面白そうなので、「一般用語」の難解さについて考えてみたいです。
0057よこれす
NGNGそうほう、ガンバレ!
ハイデガーとパウル・ティーリッヒとを並べて評した
ローティの小論を思い出すなあ。
005852
NGNGいます。
とかきました。そこで今思ったのですが、人が専門用語の使用に腹を立てることが
その難解さにあるのではなく、つまり語句を改めて複数の語を用いて言い換える
必要に駆られる手順の多さにあるのではなく、その手順の多さを喜べないこと
だとしましょう。手順の多さそれ自体は私たちは結構よく我慢できるからです。
意思疎通性の阻害がしばしば専門用語批判の理由に挙がるのですけど、
したがって、言葉の共通標準化の勧めが訴えられたりもするのですが、
(これはいわば、ニュースグループとメールでは半角カナは使うな論争です)
規格間の食い違いの問題は標準化で済みますけど、私はたぶん、専門用語批判に向ける人の熱意が不思議です。
たぶん、いいたいことはある専門用語、たとえば脱構築なら脱構築がきちんと定義され
標準語とされたとして、人々はその事態を呪うと思うんです。
したがって、この呪いたくなる何か動因は何か、といいたいです。
0059名無しさん
NGNGそれじゃ単に生きてるだけなの。単に生きるのと、「生きること」について
省察しメタに学問することは全く別の行為。
>大体、「善き人生とは一体何か?」=「客観的真理の探究」って誰の言葉??
「誰の言葉」って、それが近代道徳哲学の課題でしょ? ミルの功利論でも
いいし、カントの形而上学原論の序章でも一度読んでみたら? 近代道徳哲
学批判ならマッキンタイアの『Aftyer Virtue』でもいいし。
>哲学書を万巻読破しても…
あのね、「哲学」ったって色々あるの分かってる? 単なる「哲学書」読ん
でるだけの人なんていないのよ?(笑)「哲学」は、元々学問一般を意味し
た言葉。全ての事象を網羅する学問から、近代に入って物理やら政治学やら
が専門の科学として分化・独立して行き、今日「哲学」に未だ残ってるのは、
倫理学、政治哲学、宗教哲学、科学哲学(学問についての学問)、認識論、
言語哲学、論理学、実存哲学、思想史(哲学者研究)くらいのものでしょ。
つまり、どれにも確固とした研究対象があるわけ。漠然と人生について思索
を巡らせてれば「哲学」になるわけじゃないの。系統立てて物事を合理的に
考え説明しようと試みるから哲*学*なわけ。それは人生でも何でも同じ。
素人でも専門家でも同じこと。
>それが世間で「哲学」と呼ばれていても、単に違う代物をやっているだけ。
「違う代物をやっている」って、あなたは一体具体的に何について「哲学」
してるわけ?「哲学者」と称する学者のみんながみんな「人生」について終
日考えてるわけじゃないことくらい分かるでしょ? それとも生物学者がア
リの生態について研究してたら「違う代物をやっている」って文句言う?(笑)
哲学者は実存主義者と倫理学者だけじゃありません。
0060ついで
NGNG>また、小学生に哲学の魅力教えられるのが真の哲学者だと言いましたが、それは、無知なる者に哲学を授けることのできるほどの哲学者は、知るということについてよほど知っているはずであり、その意味で真の哲学者と呼ぶに値すると私は思ったからです。<
じゃ、ハイデガーは哲学者失格だ(わら
それはそうと、現代思想では意識的に分かりづらく難解に書く思想家が多いな。
無論、故あってそういう書き方をしてるわけだが。
0061名無しさん
NGNG意識的に分かりづらく難解に書かれているということもない。
むろん、難しいけどね。
0062>57
NGNG>ローティの小論を思い出すなあ。
それ読んでみたい。
なんという本に載っていますか?
0063毒"猿"さん?>59
NGNG近代ならまだしも、今時「善き人生とは一体何か?」=「客観的真理の探究」ってね。
それはいいとして、
>系統立てて物事を合理的に考え説明しようと試みるから哲*学*なわけ。
それは哲学でなくて、学問。
哲学が各学問に分化し、政治学、宗教学、科学、心理学、言語学、論理学、等に分別処理して
しまってもいいようなもので、殊更哲学を名乗る必要がなくなっている。
>漠然と人生について思索を巡らせてれば「哲学」になるわけじゃないの。
>人生でも>素人でも専門家でも>統立てて物事を合理的に考え説明しようと試みる
わかってるじゃない。そういうこと。
ソフィストが太陽は火でできていることを証明しようとやっきになっているのをソクラテスは
知を愛すること=よく生きること、という原則でもってやっつけた。それが彼に「哲学の父」
たる栄誉を与えた。「哲学」の定義がどうあろうと、人々が「哲学」に期待するものは今でも
そのようなことで、歴史的にはソフィスト達が大勝して諸学が隆盛を極めたが、何か物足りない。
人生の指針としての哲学を求めようとしても難解な用語の羅列でしかない。
数学の数式、化学の化学式、法学の法律用語に文句いう人は少ないが、そこに人生の指針を
求めたりしないからで、そこが哲学と違う。
仕方がないので、電波哲学を自ら創るなり、わかりやすいインチキ宗教、幸せの○○などに
走る状況を招いている。
そういう背景があって、アルキビアデスさんの問題提起が出てきたのではないか。
結論;
哲学は、バラバラになった諸学の交通整理をし、見通しをよくすること。
それらの作業を通じ、再び「知を愛すること」=「よく生きること」へと通じる道筋のヒントを呈示
すること。
その為には、専門家は専門用語を、素人は一般用語を、よく理解した上で正しく適切に用いる。
また、専門家は素人に説明責任を背負う。一般用語を用いて、常にわかりやすく解説すること。
まあ、単なる思い付きなので電波の1つとして適当に料理してくだされ。
0064失礼
NGNG006530
NGNG>この議論にどういうメリットがあるのか教えてください。
それこそが本来的な意味での「哲学」なんだ、
――と、個人的には言いたくてうずうずしてるの。
でも、それを言いだしたら、「哲学」という語の定義に関する
不毛な議論になるのが目に見えてたから、
それを迂回するために別の名前を仮に与えておいたわけ。
まあ、案の定、そういう議論になっちゃったみたいだけどね。
英語のIndianという語は、二種類の語義がある。
「インド人」と「アメリカ原住民」だね。
でも、そういう言葉が存在するからといって、
「インド人+アメリカ原住民」というカテゴリーが、
内在的な存在意義をもってるわけじゃない。
全く無関係な二集団が幾つかの言語では混同される、
というだけのことでしょ。
そういう多義的な語はできるだけ使わないようにすること、
使う場合は複数の語義のどれとして使ってるのか示すこと、
というのは、コミュニケーションの基本作法だと思う。
006657
NGNGずいぶん以前に読んだので、はっきりはしませんが、おそらく
Richard Rorty;Essays on Heidegger and Others
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0521358787/ref=sim_books/103-8308792-1927017
に入ってたやつだと思います。間違ってたらすいません。
日本語訳は、雑誌「現代思想」のハイデガー特集か、ハイデガー増刊号かに載ったと聞きました。
内容は、ハイデガーのナチスとの関係での戦争責任と
彼の思想、哲学の偉大さとの関連についての小論です。
これについて、ローティがシカゴ大にいた時、そこで教鞭をとっていたP.ティリヒについて、
人格者で非常にいい人だけど、その組織神学など思想は全くいただけない。
それに較べれば、ハイデガーの思想の含蓄は、歴史に残る価値あるものだし、
それは、仮に戦争責任があったとしても、全く変わることはない、という旨のものです。
両者の思想内容に立ち入って論考したものではないので、期待すると肩透かしを食いますが、
思想の持つ価値と、思想家の現実の行為との関係を考える小論としては、
おもしろかっと記憶しています。
006717
NGNGとりあえず、「一般」用語は多数派(メジャー)となった「専門」用語であり、
「一般」用語に解消可能な「専門」用語などない、
全ては「専門」用語である、と言って煙に巻いておこうか。
(俺はソフィストの方が好きだしね)
ちょっと例が違うと思われるかもしれないが、
メジャー言語としてのラテン語やフランス語や英語の歴史を考えてくれ。
俺は17で一般常識の通じないかもしれない相手に頭のいいドイツ人を
挙げておいたが、別に日本語が通じなければ、他の「外国人」でもよかったわけだ。
0068その1>63
NGNG>学問としての哲学が、ストレートに人生哲学に反映されないもどかしさが
>背景にあると思う。それが解消されるまでこの論争続くでしょう。
>哲学に人生哲学に反映されることを望む人間は多いのじゃない?
「系統立てて物事を合理的に考え説明しようと試みる(哲学する)」という行為は、
知識欲を満たすための、ある意味自体において自足した行為。その行為の結果として
得られた知識を、何か他の用途に役立てるのは、何度も言うように全く別の行為。
哲学を応用する際に分かりやすくかみ砕いて表すことなど既に行われていますし、
それを専門にやってる人も応用科学並に沢山います。哲学の分かりやすい教科書を書く人から
宗教哲学を俗人にわかりやすく説く新興宗教の勧誘員、大衆扇動するために
難解な政治哲学を理解しやすいスローガンやパンフレットに書き換える運動家まで。
そんなこと今更言うまでもありません。
しかし、例の吾人は「本物の哲学者は最も簡明な言葉で、分かりやすく世界を説明できるもの」
などと宣う。赤川次郎的ベストセラー作家こそが真の文学者と言うのと同じくらい噴飯物。
哲学という知の価値を、それが消費しやすいかしずらいかで決めるなど、馬鹿馬鹿しいにも
程があります。
0069その2>63
NGNGどっかの偉い学者が苦心して生み出した知を、そのまま「ストレート」に
己の人生に反映させたいのか? それじゃあ「宗教」。例えば道徳哲学の成果なりを
道徳教育に反映させるようなこと自体はまったく結構なことだけど、
自分自身で物事を考えようとしないで、単に他人が生産した知を消費するだけの行為の
一体何が「哲学」なのか? ただ知を消費してるだけの行為(「人生哲学に
反映させる」)を哲学と呼ぶほうが明らかに誤り。「現代のソクラテスの出現を待とう」?
イエス様の間違いじゃないのか?(笑)
また、言うまでもなく「哲学」という学問には色々な研究対象があるわけで、その全てが
「人生」を問題にしているわけではない。であるなら、全ての哲学を「ストレートに
人生に反映」することなど到底無理だし、そんなことを望む方がそもそも間違い。
それとも実存哲学、道徳哲学以外は哲学じゃないとでも言うのだろうか?
>知を愛すること=よく生きること
他人の生産した知を豚のごとく消極的に消費することは哲学ではありません。
それはともかく、古代ギリシャの「知を愛すること」を必要以上に崇め奉る
のは何か危険に感じますね。
0070アルキビアデス
NGNGええと、ついでさん、よく文章を読んでくだされ。
私はハイデガーのような人が「哲学者失格」なんてことを導くような書き方したつもりないです。
ハイデガーが「哲学者でない」とも「真の哲学者でもない」とも言ってません。
無知な者に知を与える者のみが真の哲学者だと言っているのでなく、
それほどのことが出来る者は、それだけでも真の哲学者であると言う価値があると言っただけです。
こういう種類の文章が、揚げ足とられやすいのは分かっているので、ちゃんと『その意味で』と付け加えておきましたよ。
0071アルキビアデス
NGNGええと、私、別に「最も簡明な言葉」を内容の浅い言葉という意味で使ったわけではありませんよ。
68さんは、自分の言いたいことをとても簡明な言葉で表現できていますが、それは、別に68さんが内容の浅いことを言っているからではないと思います。
簡明な言葉でも真実を表現できると思います。←ちなみに、ここでの簡明な言葉を再び、内容の浅い言葉だと勘違いしないでね。
68さんが、そんなにも簡明な言葉で、本質的なことを言い表せているのは、自分が言いたいことをよく理解できてるからでしょう。
そういう意味です。
0072名無しさん
NGNG0073アルキビアデス
NGNG難解なことを理解できないのは頭が悪いからで、
一方、誤読してしまうのは注意力がないからってことですか?
0074アルキビアデス
NGNGでもあなたの言う通りね。
0075名無しさん
NGNG0076アルキビアデス
NGNG多数派ってどの範囲で?
0077アルキビアデス
NGNG簡単なことを知るってどういうことですか?
0078名無しさん
NGNG0079アルキビアデス
NGNGああ、なるほどね。
でも、それだけ?
0080名無しさん
NGNG>本物の哲学者は最も簡明な言葉で、分かりやすく
>世界を説明できるものです。
ここらあたりも誤解されるもとかと。
この文章から、
わかりやすく世界を説明できないものは、本物のの哲学者ではない
ってのが導かれちゃいます(よね?)
もちろん、これがアルキビアデスさんの真の主張ではないことは他の
書きこみをみればわかるんですが。
0081アルキビアデス
NGNGそうですね。やっぱり、
「ただ知っているだけでなく、それを議論において、他人の考えとの関係の中で柔軟に処理し、表現力に欠けた言葉の閉鎖性ゆえに議論が無意味に滞らぬよう、表現豊かに説明できるほどの広い視点と臨機応変かつ鋭く緻密な考察力を持った人間は、ただ知識を持っているだけの哲学者よりは尊敬に値すると」と言った方がよかったです。
私も表現が足りなかったみたいですね。
「専門用語」と1で使ったのは、様々な人々が意見をかわす議論において、それが悪用されれば「閉鎖性」をもたらすものだということで使ったものです。
でも、52さんのつきつけた問題を考えると、「専門用語」という言葉を使う時は、「一般用語」とセットで考えたいと思いますね。
0082名無しさん
NGNG0083アルキビアデス
NGNGえ?
0084アルキビアデス
NGNG「ただ知っているだけでなく」のところですか?
もし、そうなら、これは、「知っていて、なおかつ」っていう意味です。
008552
NGNGインターネットでの日本語規格のずれ問題は参考になるかもしれないです。
半角カナを毛嫌いする厨房
http://210.189.72.51/2ch/test/read.cgi?bbs=pc&key=958247216
ネットニュースでSubjectだけ英語で書く厨房
http://210.189.72.51/2ch/test/read.cgi?bbs=pc&key=956685893
★ここの議論を読むと、解読困難さは、翻訳や説明の技術で片のつく時間の問題に過ぎない気がしましたが、
実際にはそこまで技術が発達しない間では依然として議論が沸いてしまうのです。
功利主義から言うと、適材適所でいいじゃん?それを私用されるとまずいよっていう人も少数ながらいるから
その人にも解読可能な規格のものを使おうよ、と。
反面、いつもまでもそうしていると、技術が発達しない。古く、機能の少ない規格のままだったりする。
私はひょっとすると、専門用語による一般語句に対すす階級闘争なのではないか?
勢力争いなのではないか?とおもっています、。理由は、凡庸なもの、広く使用されている規格は
安心して使える半面、いわば「これを使え!」という垂直軸の力でもあって、
そういうデファクトスタンダードを
「圧力」として敏感に反応せずにいられないタイプは、それに対して戦うと思うんです。
その便利さをかなぐり捨てて、あえて閉鎖性や解読不可能性を引き受けてまで
デファクトスタンダードを自己を脅かす権力とみなしてたたかうとおもう。
★しつもんです。これはあしき19世紀的ロマン主義的疎外論的英雄物語による把握に過ぎないのでしょうか?
0086アルキビアデス
NGNGわざわざありがとうございます。参考にさせていただきます。
しつもんの答えわかりません。ごめんなさい。
でも、私は、適材適所ってことばは好きです。
0087アルキビアデス
NGNG0088アルキビアデス
NGNG全ては専門用語であるっていうのは、なるほどと思いました。
確かにそういう見方できると思います。
それで、もうちょっと詳しく考えてみたいんですけど、
「〜の専門分野」とかいう表現があるように、専門であるということは、それが専門であるところの分野があると思います。
全てのことばが専門用語である場合、それらは、どういう分野の専門のことばになるんでしょう。
008952
NGNG歯が痛いときってある。たしかにある。だけど、その事態を「痛い」と言葉にした方が
「う」と表示するよりも、その歯痛事態を的確に表示しているかどうかは、
その歯痛を生きている主体の判断基準よりはむしろその歯痛と治療の関係がおいてある
社会とその慣習によって規定される気がします。ご本人には「う」のほうがその痛み強度を伝えるに当たり
適切に見える場合でも、うっかり「う」などといえばふざけてると思われて治療までに行き着かないこともあろう、
歯痛は素直に社会的規定にしたがって「痛い」と表示した方が無難だろう、そういうことはありえる気もします。
この例では、このスレッドでの区別で言うと
歯痛事態を表示すると称する「う」が「専門用語」の位置に、「痛い」が「一般的語句」の位置に当たルカナあと思いました。
0090アルキビアデス
NGNGそうですねえ…
専門用語か一般用語かっていう問題よりも、
それらを状況に合わせて「適切に使うとはどういうことか」という問題のようですね。
0091アルキビアデス
NGNG100パーセント伝わることを重要とするか、
1パーセントでも伝わることを重要とするかって問題にはなるでしょうか?
009252
NGNGところで、52で書いたことがらの視点からいうと
>100パーセント伝わることを重要とするか、
1パーセントでも伝わることを重要とするか
こういった区別識別は困難となります。
理由は、52から言えば、ある語句や言葉がそれ自身の中に自身を規定する他と種別可能な核を持たずにいて
ついにたまねぎに終わるからです。たまねぎの皮なので、むいてもむいてもたどり着く核がないので巣、、、
それ自身をつかむ(理解する)ことができない。
どうして語句や言葉が「たまねぎ」なのかといえば、言葉の種類を分けるものは言葉がつねに他の言葉とともに置かれ、
その他の言葉との違いでどうにか自己を自己として(というよりむしろ、他とは異なる何かとして)
識別可能になるからです。
だから、ある語句はそれのもつ意味(言い換えられる別の諸記号)を規定しようとするなら
その語句を理解しようとするものはあらかじめいわば言語地図というべきものを暗に明に念頭に置いているはず、となる。
ある語句を理解しようとする際に、言い換えはいくらでもできるはずだし、そのセットのどれにも満足などできないはずとなる。
そんなものは理解ではなく、言い換えに過ぎない、と。
にもかかわらず、経験的に言って意識現象として「理解」はあるし、「把握」もある、
・・・この不思議さが社会の中に言語があるという事態だと思ってきたんです。
0093アルキビアデス
NGNGある言葉自体が真実を表わしているのではなく、言葉と言葉との関係によって、指し示される真実がしだいに形をなしてゆくという感じでしょうか。
ところで、議論においても、やはり、専門・一般という区別は前提としてなされていないと考えた方がよいのでしょうか…。
009452
NGNG1)一般的使用における意味と誤解および一般的な語句と専門的な語句の区別
2)それと特定可能な条件下での面と向かった関係での言葉の区別
これらの条件を区別した方がいいかもしれない。
1)にかんしてはアルキビアデスさんほかのおっしゃるように「適材適所」で十分かと思う
2)に関しては、17さんほか私も言った問題圏であって、�T)と区別した方がいいのかもです
(柄谷行人の「探求�T」での石版の文字解釈問題およびクワスとプラスの機能識別問題なんかの問題圏かと・・・)
0095アルキビアデス
NGNG今後は、その区別を念頭に入れて発言するように心がけます。
0096名無しさん
NGNG最初に大雑把(で不正確)な要約を提示し、
詳しいディテールをその後で追加するというスタイル。
まず、何にも予備知識の無い相手向けに枠組みを提示し、
それから予備知識を共有できる相手向けの細かい議論をやる、
という文章スタイルが定型として共有されれば、
情報交換の効率は上がるだろうと思う。
0097名無しさん
NGNG1についてなにもいってませんでした。52の観点で言えば、
仮に、それまでいわば日常言語でものを言っていた方が何らかの質問に対して急に
質問者には高尚に見える専門用語を振りかざしだした場合なんですね?
これも、質問者によるところがままあるかもしれないです。
そもそも、質問者は日常使用言語にたいして「それなあに?
あなたわかったような顔してるけど、多くの言葉で説明できる?ちょっとお願い」
となって、応答者は別の言葉をもって言い換えようとしたかもしれないです。
つまり、どうせわからないんだから、一般的語句であれ、専門的語句であれ、
元の語句を言い換える語句をふやす方が下の語句のもつ雰囲気がつかめていいだろう、と。
もっとも上の態度が意味を持つ場合とは、「どうせ語句の説明は説明する語句の数を増やすだけ、
そしてまた説明の際に使用された語句の説明要求がやってくるなあ」
というような言語使用観です。
1さんの1で提起した問題はこの言語使用観とは別のところにあると思うです。
理由は、あらかじめわかっている語句(一般)と あらかじめまったく手のつけようがない語句(専門)
との区別が可能であるか、可能であると信じられ感じられている場合だからと思ってます。
009852
NGNG訂正→元の語句を言い換える語句をふやす方が*元*の語句のもつ雰囲気がつかめていいだろう、と。
009952
NGNG元の語句を言い換える語句をふやす方が元の語句のもつ雰囲気がつかめていいだろう、と。
上記「どうせわからないんだから」とはこの場合、言語がつねに言語についての、言語を説明すると称する言語である、
という認識、語句はつねにすでにたまねぎの皮のように核がない
という認識として理解して欲しいです(「どうせお前みたいな教養のないあほにはわからないんだから・・・」ではないです、念のため)。
0100アルキビアデス
NGNG分かりました。
では、誰もがたまねぎの核にあるものは、よく分からないんだけど、その周囲で皮をむいているってことになるんですね。
「たまねぎの核にあるものを説明して」と質問しても、結局は、核にあるものをずばり言い当てる言葉などない、ということになるのだと思います。
でも、そのたまねぎの皮があるということは、核もあるのだという前提で、議論は出来る。
どんな言葉で説明しようと、たまねぎの皮であることには変わりない。
そんな気がします。
010152
NGNG1さんの提起した批判へと戻るのです。
(あと、核は皮の集合ですのでここまで煮詰まるとそれが皮なのか、核であるのかわからないわけです。
あるいは、それが核なのか皮に過ぎないのかを決定することが意味をなさない、と。
私は詳しくないんですが、こういう認識を、言語や語句を説明するものとして
解釈学的循環というようですが、そうですね、その一つの極かもしれないです)
さてどうつづけたものか・・・
0102代理代理いぬ
NGNGその、たまねぎの核がないってのがミソだね。
それは、
>言葉の種類を分けるものは言葉がつねに他の言葉とともに置かれ、
>その他の言葉との違いでどうにか自己を自己として
>識別可能になるからです。
ではなく、
言葉の一つ一つに初めから"定義"などないからだと思うんだよね。
ある言葉について、
自分が理解しているのと全く同じように他人も理解していると思う?
(そんなことはありえない。
ある言葉に対する個人のイメージは千差万別だから)
だからたまねぎの核はないのさ。
我々は結構、デタラメの会話をしているのかもしれないよ!
010352
NGNG>その他の言葉との違いでどうにか自己を自己として
>識別可能になるからです。
ではなく、
言葉の一つ一つに初めから"定義"などないからだと思うんだよね。
どもです。
ええと、思ったのは引用された部分(>つき)と、代理いぬさんのおっしゃった部分が
ちがうのですよね?私には、違いが見えません。同じことの言い換えだと思うんです。
言い換えだともいえる気がするんです。でも、代理いぬさんには違いが見えるし、より適切に言い換えたとの自負もあるかと思うです。
で、そのより適切になったとしたら、どこがそうなのかがわからないです。
このことが意味するのは、何でしょうか?定義とは、ある語句たとえば言葉という語の定義とは何かといえば
言葉という語が形式である場合の内容的規定でしょうね?これでいいとして、内容的規定がはじめからその後には与えられ得ていないとしたら
そもそも「言葉の一つ一つに初めから"定義"などないからだと思うんだよね」という文は意味をなさないことになりませんか?
でも、代理いぬさんに置かれましては明確な輪郭を持ってると思うです、この文。
私にもこの文が言いたそうな事柄をわかるきもしますし。たまねぎの核はこれ!と示せないかもしれないけど、内的にはなんとなくではあれ、
あるのではないという形では触れるのではないでしょうか?
少なくとも、文を立てる限りではあたかもそのような核が、内容的規定がある、前提されているかのように文を書き、読まれませんでしょうか?
010452
NGNG>識別可能になるからです。
こう引用して欲しかったです。
0105代理いぬ
NGNG>少なくとも、文を立てる限りではあたかもそのような核が、
>内容的規定がある、前提されているかのように文を書き、
>読まれませんでしょうか?
そうです。
その通りです。
しかし、そのあなたの中にある"前提されていそうな核(→観念)"は、
他人と交換可能でしょうか?
例えば、あなたが"赤"と聞いたときに想起されるものを、
そっくりそのまま他人に伝えることが出来ます?
恐らく無理でしょう。
こういった"観念"と呼ばれているものは、
あくまで私秘的なものであって、
言語的コミュニケーションというものを考える段には、
あまり当てにならないと言うわけです。
むしろ不思議なのは、
こういった絶対に交換不可能なもの(観念)を内に抱きながら、
他者との言語的コミュニケーションが成り立ってしまうという点です。
一体どうしてなんでしょうねぇ?(←勉強不足)
010652
NGNG大まかには賛成といいたい気分です。
言語的コミュニケーションの成立も、主観的な気分に過ぎないのでしょうか?
というよりは、そもそも言語的コミュニケーションなるものの外的条件を設定しないことには
つまり成立の識別のための印を設定しないことには、どうしようもないです。
0107アルキビアデス
NGNG1とか2などの数字に関しては、誰もが間違いなく共通の認識を持っていると。
010852
NGNGたとえば、同じ2でも それが分数における分母の2であるのか分子の2なのか、
小数点以下の2なのか、平方根の2なのか出さえも、ずいぶんとイメージが違うんですよね、私の中でも。
なおさら、他の人はそれぞれの場合において違うイメージを持ってていいわけですし、
代理いぬさんのおっしゃったことから言えば、数字だの文字だののフィギュアに対応する内的観念については
コミュニケーション(交換)におけるその同一性は保証がないということになるのではないでしょうか?
(代理いぬさん、補足よろしく)
思うに、数字でも文字でもいいけれども、ある外的フィギュア(表象)に関して同じ観念、共通認識を教育によって
与えられているとの仮定は、論争の存在によって否定されているのではないでしょうか?
そもそも誤解なるものが言葉を交わす者たちの間で、
存在されたり、経験されたり、気づかれたり、嫌疑をかけられたりすることがありうるでしょうか?
>あるフィギュアに対してその一意性が(用いられている言語や分野での標準規格上で)規定されてるとしたら
たぶん、標準規格という考え方それ自体が人間の言語にはそぐわないんだと思うんです、形式化の困難ていうんですか?
規格の標準化はPC端末間にはしばしば行われていますにしても。
0109名無しさん
NGNG浅田彰「構造と力」での、構造主義の限界付けやラカンやヘーゲル読解なんてまさにふさわしいと思うです。
いまだから、浅田は頭がいいとかいうのが先でこうした愚痴は後にくるのですが
無名時代に現代思想誌に掲載された当時なんかは、こういう愚痴をもらした方も少なくないんじゃないかと思うのですが
今の今まで当時リアルタイムで読んでいた方から聴いたことないのだから、無名でも光っていたのかな?
とお口をあんぐりして驚くやら呆れるやらです。
0110ゲンタロウ
NGNGhttp://www2.yk.speed.co.jp/hshs/2-3P.htm
専門用語家たちも、21世紀にはたくさんの造語が時代遅れになるし、
我々次世代の者が決して持ち上げずむしろ糾弾するだろうから、
いずれ必ず消えるはずです。
0111代理いぬ
NGNG>数字だの文字だののフィギュアに対応する内的観念については
>コミュニケーション(交換)におけるその同一性は保証がないということに
>なるのではないでしょうか?(代理いぬさん、補足よろしく)
大方そう言ってもいいのでは?
この辺は、クワインという人が翻訳不可能性のテーゼというものを、
「経験主義のふたつのドグマ」という有名な論文で出しているそうですが、
これの読める本、あるいはWebTextってないもんでしょうかねー?
>109
ボーアと論争したある学者が、
相手が間違っているとは露にも思わず、
自分の理論の一体どこが間違っているのだろうと、
しきりに首をひねったという話を聞いたことがあります。
もちろんこの学者の理論は間違っていなかったわけですが、
権威に飲まれるというのは恐ろしいものです。(ははは)
011252
NGNGお相手の言い分もわかる気がする。「専門用語」批判はつねにありつづける感じです。
どう議論しようとも。
http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=jinsei&key=959337373
1 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/26(金) 19:36
「出費」って言葉ありますよね
この言葉ってキツイんでしょうか?
ただ「出費」って単語がなんで「キツイ」のか判らないのが、今でも気になってる
んです。何故か言葉自体に反応してたんで、これが不思議で聞いてみました。
5 名前: 1 投稿日: 2000/05/26(金) 21:08
「(予定外のお泊まりで)下着を買わなきゃいけなくて、出費だったよ〜」
といったら、
「『出費』って言葉はきついです心が痛みます」
といわれました。
その後も出費という言葉をメールなどで使うと
「費用に換えてほしい」
と言われました。
0113名無しさん
NGNG>この辺は、クワインという人が翻訳不可能性のテーゼというものを、
>「経験主義のふたつのドグマ」という有名な論文で出しているそうですが、
翻訳不可能性のテーゼは「経験主義のふたつのドグマ」では出てきてい
なかったはず。この論文は『論理的観点から』(勁草書房、『論理学的
観点から』というタイトルでも訳が出ていたと思います)に収録されて
いますが、翻訳不可能性のテーゼのほうは『言葉と対象』(勁草書房)
で述べられていると思いますが、今手元に本がないので間違っていたら
すみません(タイトル、出版社ももしかしたら違っているかも)。
0114代理いぬ
NGNGふむふむ、なるほど。
勁草書房ね。(どうも)
でも知ってる本屋さんに哲学書がないんだよねー。
ウィトゲンに関する希望通りの本も見つからなかったし。
他人の生涯なんか興味ねえっつうの。
哲学書なら論理を語りやがれーっ!!
0115113
NGNGクワインが主張したのは「翻訳の不可能性」ではなくて「翻訳の不確定
性」でした。
ある言語の文を別の言語に翻訳するとき、その翻訳の仕方が一通りには
決定されない、という主張です。
有名な例では「五頭の牛」についての論考があります。
クワイン先生曰く、「五頭の牛」という表現は二通りに解釈できるそう
です。
一つの解釈では「五」は数詞で「頭」はおまけ、「牛」は個物を指す名
詞で、間を「の」でつないで個物としての牛が五つある状態を表す。
もう一つの解釈では「五」が数詞なのは同じだけど「頭」は数量の単位
で、「牛」は個物ではなくて物質名詞、「の」でつなぐと牛という種類
のものを五単位切り分けた状態を表す。
二番目の解釈はいくらなんでも無茶だろうと思うのですが、「一杯のか
けそば」という表現などと見かけ上同じ構造を持っているのでなかなか
反論は難しいと思います。
なお、「五頭の牛」の例は『言葉と対象』には出てきません。
参考になるかどうかはわかりませんが、ちょっと検索してみると
http://www.honya.co.jp/contents/tnagai/Book03/3-1-3.html
で、クワインについていろいろ書いています。
「ウィトゲンシュタインを含めた論理実証主義者」という表現がちょっ
と気になるところですが……。
分析哲学関係の本は勁草書房からよく出ています(というか、ここ以外
に分析哲学に積極的に手を出す出版社はないような気がします)が、残
念ながら、かなり大きな本屋でないと最近の本以外は手に入りません。
東京や大阪の大書店なら比較的簡単に入手できますが、地方の県庁所在
地程度ではほとんど置いていないのが実状です。
0116115
NGNGどこがどう間違っているとはいえないのですが、なんかこれちょっとおか
しいです。話半分くらいの心構えで読まれるのがよろしいか、と……。
0117名無しさん
NGNG0118>115
NGNG0119115
NGNGクワインが主張しているのは、絶対的な翻訳の不可能性であり、翻訳の絶対不可能性ではありません。
もし、そのような事を主張してしまえば、現実に行われている翻訳という活動を無視するか、または別の事柄として説明するしかないでしょう。
無視は論外として、「巷の『翻訳』と称するものは実は翻訳ではなくて……」というような主張は「本当の翻訳」を前提としたうえでそれとの対比で語ることになり、クワインの立場と相当違ったものになるように思います。
>産業図書は?
確かに産業図書からも分析哲学関係の本がかなり出ていますね。
0120アルキビアデス
NGNG「2」の2と、2分の1の「2」はやはり違う「2」でしょうか。
今、考えているのですが、何となく同じ2であるような気がします。
でも、まだちゃんとうまく説明できるところまでいってませんが。
0121アルキビアデス
NGNG>「2」の2と、2分の1の「2」はやはり違う「2」でしょうか。
を
「2」の2と、「2分の1」の2はやはり違う2でしょうか。
に訂正します。
0122代理いぬ
NGNG>「2」の2と、2分の1の「2」はやはり違う「2」でしょうか。
>今、考えているのですが、何となく同じ2であるような気がします。
いい加減、観念と言語のマジックに気付きたまえ。
この世に同一の物などただの一つもない。
物それ自身さえ常に変化し同一であることはありえない。
君が勝手に事物を"2"という記号でくくり、頭の中で(対象を)同一化させているだけなのだ。
いい加減、抽象観念というアイディアを捨てたまえ。
012352
NGNG整数の2 と2分の1の2 の違いを説明したとして、
それで1さんがその区別を識別できたとして、そしてなおその識別を可能にした指示子
について説明できたとして、その識別子についての内的観念の同一性は内面的であるゆえに
ついて二人の生身の人間の間での交換の際にあるすれ違いが起きてるのではないか?
あるいは、すれ違いをまったく否定することができないのではないか?
との議論を続けてきたのではないでしょうか?
このことを踏まえた上で話を戻しますと
分数の分母の2と 整数の2 自然数の2 これらは区別してイメージできる人がいてもいいのではないか?
だめかなあ?そうかもしれない。小数の0.2の「2」は数直線の2なんですよ、たとえば。だから序数のイメージ。
整数も同様にこれでいいとして、分数の分母の2は序数というよりもあるものの容量における比・割合を示すものというイメージ、
という区別はできるかもと思いました。序数2はつねに1または3との比較でその位置を規定可能です、つまりその外部を想定させるです、。
他方、割合の数2はある容量を持つものの内での割合を想定させはしまへんか?その数の外部との比較よりは、
内部の中での位置付けを問題と焦点としているように思えたのです。こんな区別はいんちきかもしれないですが。質問どうぞです。お話がおもしろいです。
0124アルキビアデス
NGNGある英語を日本語に訳す場合、てこずることが多いですが、数字はoneから一に訳したとしても、意味的には完全に一致する…ような気がしました。
0125代理いぬ
NGNG>分数の分母の2と整数の2自然数の2
>これらは区別してイメージできる人がいてもいいのではないか?
数字の2などといった観念は、それ自身を対象として言い表すことができない。
こういった観念に対して、我々はその外延についてのみ語ることができる。
つまり、それらの観念の性質について我々が具体的に列挙するところの、
定義としてしかその表れを捕らえることができない。
ゆえに、我々がそういう抽象観念について言及しようとすれば、
その対象の提示に際して、すでにその外延を自ら決定していると言わざるをえない。
で、わかりやすく言うと我々が"分母の2"、"小数の2"、
"自然数の2"などといって数字の2を提示するたびに、
すでにそれらを抽象的な2から(ある外延を持つものとして)、
峻別してしまっているということなんだな。
>124
>私が思ったのは、数字は言葉に較べて、
>指示している内容がすれ違う可能性が少ないのではないかということです。
なるほど。
なぜだろうね。
0126118>119
NGNG> クワインが主張しているのは、絶対的な翻訳の不可能性であり、翻訳の絶対不可能性ではありません。
117が書いているのって絶対可能性に見えるが
何か「言語」を話している人たち(宇宙人でも何でもいいけど)がいたとして、その「言語」を合理的に解釈していけば(それが言葉といえるものであれば)必ず翻訳できると主張しているように読めるって意味じゃないのかな?違ってたらごめん。
え、お前が説明しろって?クワインはほとんど読んでないんでごめん。
0127119
NGNGで、「絶対可能性」についてですが、クワインが明確にそのような事を語っているかどうかは知りません。
ただ、ある言語らしきものに触れて、さまざまな仮説を立てて翻訳しようとしても全く歯が立たなくて、その言語らしきものを用いている人々の合理性に疑いが生じるような事態は、論理的には排除できません。
そのような場合、「翻訳が不可能な言語が存在する」と考えるのか、「翻訳が不可能なのでこれは言語ではない」と考えるのかは各々の言語観によるでしょう。クワインだったら後者をとるような気がしますが……。
0128126>127
NGNG俺がその宇宙言語学者(笑)だったら「これは言語じゃないんじゃないか」か「まだわかんないけどいつか絶対できる」と判断しますね。
ナイーヴかなあ
0129>127
NGNG0130名無しさん
NGNGSimple is Best 良い言葉。
0131アルキビアデス
NGNG0132代理いぬ
NGNG>イデアって一体、何でしょうか。
なんだい突然に。(イデアage?)
今日で主に信じられているイデアという概念は、真理の実在論的存在とでも解釈すべきであろう。
例えば数学者が証明する定理というものは、証明以前にも既に真である。
つまり、数学者は証明によって定理を"作成"するのではなく"発見"していると言えるだろう。
このときの数学者は、真理の実在論的存在に対する発掘者と表現できる。
このような真理の実在論的存在をさしてイデアと呼ぶ。
0133アルキビアデス
NGNG言葉に、イデアのようなものがあったとして…
それは万人に共通だとして…
とらえられるかどうか…ってことです。
0134アルキビアデス
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