たぶん、精神世界にも、物質界における分子結合のような、まとまりをもった心的要素の結合があるのではないだろうか。
そして、そういうものが、意思とか感情とか呼ばれるものではないだろうか。
たとえば、物質界において、ある結合から分離した原子が、ある程度の関係の範囲内では、自由に空間を動き回っているように見えるのと同じように、
精神世界においても、道徳とか常識とかいう特殊な形態をもった心的要素の結合が壊れたときに、それを構成していた心の要素が自由に精神世界を動きまわれるのだ。
道徳とか常識とかいうものは、立派なものであればあるほど、心の要素をたくさん使ってぎっしり固めないといけないので、心の要素一つ一つが不活発になるし、内側に閉じ込められた部分は、とっても窮屈でしかたない。
ところで、ミームは、こういった精神の分子の中でも、4つの心的感情からなるらせん状のもので、
それは、喜・怒・哀・楽からなる心理配列が規則正しくどこまでもうようよと絡み合っているものだ。
実際、それらがなければ人間の精神というものも存在しないものなのである。
喜怒哀楽遺伝子が自分の存在を永続させるために、盲目的に文化という乗り物を創るのだ。だから、感情を刺激するものが文化なのだ。
我々は、喜怒哀楽遺伝子に利用されているのだ。
喜怒哀楽は喜怒哀楽を産むために、喜怒哀楽するのだ。
だから、その正体を突き止めようとすると、それ以上の何も無いというむなしさに襲われるのだ。