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プロレスを哲学しませんか?

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0001きぼNGNG
日本固有文化となったプロレス、
とにかく哲学的に語り合いたいのです。
語り合う価値があると思います。
どうかプロレス・ファンの方々、
カキコしてください。
八百長かガチンコか、問われている状況。
受け手と攻め手、そして観客の三つどもえの共犯関係。
しかし、ハーモニー。
こんな関わりを言葉にしたいのです。

記号的分節化にしろ、行動的分節化の限界にしろ
迫ってみませんか?
0002有害NGNG
プロレス板の住人・有害@元・哲学科学生です。

プロレスを哲学ですか……。
もしそうしたいんだったら、『プロレス的』、『ヤオ』『ガチ』の
概念の形成を系譜学的に検証していかないと
全く無意味な物になるんでないかい?
フーコー的なアクセスの仕方が求められると思うよ。

『観客同士』『選手と対戦選手』『選手と観客』の
まさに『共犯関係』としか言えないような関係は
蓮實的な『演劇』『映画』文化を典型として語るような
観客−対象の固定した二分的な関係では捉えきれないでしょうね。

確かに語る価値有りとは思いますが、まず『ガチ』の
成立史を学んでみましょうか。
またレス付けます。
プロレス系にもリンク張っときましょうか?
ではでは。
0003UWFは科学革命だった…NGNG
UWFは、それまでの目的論的なプロレスから「意味(カク、暗黙のルー
ル)」を廃し、無味乾燥で科学的(機会論的)なスポーツに変えてしまっ
た。他のスポーツ競技と変わらないものになってしまえば、もう「解釈」
を楽しむこと(活字プロレス)もできなくなってしまう。
0004UWFはサヨクだなNGNG
となると全日はウヨ。シューティングはアナキズム。
FMW他インディーズは…
0005やっぱ実証科学はつまらんNGNG
解釈学だな、プロレスは。

しかしプロレスほど読者(観客)の力が強いものはないんじゃないか?

作者(レスラー)は死んだ、とは言わないまでも、ターザン山本
のような輩があれほど力をふるえたというのは一考に値するだろう。プロレスは文学や演劇をも越えたかもしれない。。。。
0006>プロレスは文学や演劇をも越えたかもしれない。。。。NGNG
これは言い過ぎだな(わら

0007相撲ファンNGNG
プロレスで哲学できそうなら、ついでに相撲でもお願い!
0008スポーツファンNGNG
あとね、カヌーとフェンシングと乗馬と陸上ホッケーもお願い!
0009きぼNGNG
うえのカキコをみたところ
プロレスの「劇」性について考えてみるのが
差し当たり良いのでしょうか・・・?
いま気になっているのが「パンクラツィオン」。
どなたか情報提供おねがいします。
ギリシア悲劇との比較をしてみたいのです。
0010名無しさんNGNG
で、哲学できるの?できないの?
0011名無しさんNGNG
ジャンボ鶴田死んじゃった。
0012剣豪NGNG
プロレスを哲学する、ってどういうことですか。どうしてプロレスについて考える、じゃだめなんですか。
それと、プロレスの演劇的性格とか、観客との共犯関係とかなんとか、難しいコトバを使って意味論的次元で議論をたのしむのも結構だが、プロレスにしろ宗教にしろ、そういう言語レベルを超えた身体的魅力というか、質感としての存在性格があるんだ、ということをまず問わなきゃだめだろうと思う。
パンクラスとギリシア悲劇との比較・・お好きなようにやっちゃってください。
あ・・パンクラスといえば、舟木負けちゃったな・・
0013バトルソクラテスNGNG
格闘哲学を語らずして哲学を語ることなかれ。
0014>剣豪NGNG
9が言ってるのはパンクラツィオン。
パンクラスとは違うんじゃない?
どうなんだろう。9は明らかに古代ギリシアの格闘技を念頭に置いてるように読めるけど、
剣豪氏は、ひょっとしてごっちゃになってない?
0015剣豪NGNG
ごっちゃにしてないわい(笑)。
ちなみに舟木がパンクラスを立ち上げたとき、古代ギリシアに存在していたパンクラチオンをその理念に置いていたらしい。
パンクラチオンっていうのは、ようはレスリングとボクシングを混合させた競技で、プラトンがこれを不完全な格闘技と呼んだのは有名な話だ。
0016きぼNGNG
スレッドたてっぱなしで申し訳ないです。
なんか色々いそがしくなっちゃって・・・。

剣豪氏、12で書いたことについて
具体的に展開していただけると
ありがたいです。楽しみにしております。

ちなみに私は難しい言葉をふりまわす気は
ないのですが、酔っぱらうと楽をしてしまいます。
つまり、つい小難しい単語を並べて書くほうが
頭をひねらずに済むので、酔っぱらうと
高飛車な文章になってしまいます。
次に書くときは具体例をまじえつつ
くだけた文章で書ければ、と思います。
0017剣豪NGNG
 レスありがと!!
でも今の私はとある学会発表のための原稿作成に四苦八苦している状態なので、お勧めの本を紹介するだけで勘弁して。
プロレス関係で最近読んだものでは:新潮文庫『アントニオ猪木自伝』猪木寛次 がお勧めです。
強いとか弱いとかそういうレベルじゃなくて、人生そのものがプロレスのごとき破天荒振りが淡々と綴られてます。
文献読んで解釈して原稿に起こして・・ってサラリーマン化してゆく哲学者にはとても真似できません。
0018名無しさんNGNG
プロレスの話題はよ〜〜スポーツ板でやってこい!
0019剣豪NGNG
 おこられたので、多少哲学的に語ろう。
プロレスは言うまでもなく、攻め手と受け手、観客とが織り成す共犯関係のトリニティである。
さらにこりゃまた、相互理解みたいな意味論的次元でのコミュニケーション的合意などおかまいなしの共犯関係である。
和解とか予定調和とかは、ぎりぎりまで通じているように見えて、最後の最後では貫徹されないんだぜ。
キルケゴールのいう、反感的共感とか、共感的反感みたいなもので、共犯関係の破綻ていう差異の論理があってこその共犯関係なんだ。うん。
こんなもんでいかがっスカー。
002014NGNG
剣豪さんすいません。
パンクラチオンとギリシャ悲劇の比較って、面白そうだったので。
「筋立て」とか「演者と観客」とか、いくつかのキーワードを参照しながらまとめていくと、
それだけでもなんとなく面白い読み物になるかも、とは思う。
それ以上のものになるのか?最近哲学から離れっぱなしなので回路がつながんないや。

それにしても、18に対する切り返しは見事ですね。
「哲学」だけが哲学ではないっちゅー大前提、いまさら思い知らされました。
0021相撲ファンNGNG
>剣豪さん
プロレスは興行的スポーツだから
相撲はプロレス同様には考えがたいってことですか?
相撲は八百長なし(とされている)だから、
つまりは共犯の関係はないから違うと。
相撲もプロレスも、「中身」は同じようなものと思ってました。
ちなみに、私はどちらのスポーツもあまり存じてませんが。

0022剣豪NGNG
相撲?見ないなぁ。
詳しくないので感想めいたことしか書けませんが、ぼうっと外部から眺めていて感じるのは相撲の形式美ですかね。価値判断ではありません。相撲の場合、「演技者」の表現(=勝負)も、観客の観察眼も、或る歴史的システムによって媒介される必要がある。負けたからと言って「畜生!」とも言えないし、言えないことが苦痛なシステムではない。或いは玄人的な観客であれば、見るべき観点とその必要の無い観点との線引きが自然と出来ているものだ。観察眼のセンスというか、ともかくそういう枠組みが堅固であればあるほど、演技者と観察者とが形成する空間は内的なものとなる。非日常的な場所が現出する。というのは、そういう形式的枠組みを知らない第3者は、そういう空間を享受し楽しむ「センス」を欠かざるを得ないからだ。
・・とまあ、つらつら意見しましたが、そういう観点から言えば、プロレスってのは面白いのもで、プの字も知らないサラリーマンがビール片手に文句を言おうと、専門化筋が薀蓄たれようと、全てがフラットな世界。徹底して大衆的なわけです。それはおそらく、プロレスというものが、独自性とか形式美とかを持たないかわりに、それ自身が依拠すべきシステムをその時々の社会的状況に負っているからだろうと思います。感情や欲望の流通システムとしては、プロレスは相撲と比べてはるかに単純で直接的だと思うのですが、いかがでしょう。
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