(続き)
さて、堕胎罪と殺人罪の境界を生存可能性に求めるか、それとも、分娩(一部露出)に求めるかは、
別としても、胎児というのは、止まることなく、徐々に人という存在に生育していくものでしょ。
このような存在に対して、人となる過程における、ある一点の瞬間を区切って、突然、人としての
権利があるから、その生命を保護すべきだとして、それ以前は、単なる母体に出来たおできみたいな
ものにすぎないから、勝手に切って捨ててもいいんだとするのは、このような胎児の特異な性質を
完全に無視した不合理な取り扱いだよね。このように、胎児から人になる過程において、どこから人
になるのかという、人の始期ということは、決めなければならないとしても、それ以前の胎児に対しても、
連続して人となる過程にあるのだから、生育して人になるものとして、法律上一定の保護を与えるべきであり、
堕胎罪を設けることによって、生命を保護しよう、逆から見れば、そのような権利を与えようというのは、
ものすごく、非常に合理的なことだし、まったくもって正当な見解でしょう。なにがおかしいのかわからん。
歴史の「一側面」をことさら強調することによって、これが覆るとも思えんでしょ。