他者の代わりに死ぬことと、他者の死を取り除く、ということがなぜ一緒になっているのか。

 たとえば、戦争に行く兵隊は、そうでない人間たちの代わりに死ぬが、だからといって、明確に他者の死の代わりに死ぬということを意識しているのだろうか。

 そういうことはアウシュヴィッツのコルベ神父のような状況では言えるが。

 そう、そのように言えることはある、状況によっては。ハイデガーはそういう状況を考えなかったみたい。