マルティン・ハイデガー4 [無断転載禁止]©5ch.io
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0404ixtlan
2016/07/05(火) 20:41:46.800慈悲が先か、悟りが先か、という問題については、ここではこう、あそこではこう、という具合に相対化するしかないでしょう。
たとえば、ヴィパッサナの地橋氏は、慈悲の瞑想を紹介してますが、それはなんというか、修行です。
ということは、その修行の後に果報として悟りが待っているわけです。
一方、アドヴァイタ的な体験をした禅者は、その見性において慈悲心に見舞われる。
この体験では、悟ったのちの慈悲心の発露ということになると思います。
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