>>295
>存在と時間は、仏教の影響があるは、議論に値しない

 「影響がある」「影響はない」という問題以外に、自然にそこで
使われていく概念に他力の要素が埋め込まれていた、という問題があ
る。すなわち誰に訊いた訳でもなく論理の中に、超越的に行為や言動
を左右する歴史(時性)がある、とする眼差しが埋め込まれていった、
とすれば、これは「影響」などあるないといったって意味はない。
単に何故か似通った論理を使っていたということになるのだから。
「影響」という問題でしか思想の関係を考えられないとしたらセンス
が悪すぎるし思想のリアリティに単に疎いと言う事に過ぎない。

 「親鸞会は当てにはならない」というのはそうかもしれんが、
だからといってハイデガー的論法と親鸞的論法にある類似まで消し去る
必要はない。またそれを読みこむことで両者におけるエッセンス
を取り出すことにもなる。何ら不都合はない。