本質的に違うとは私は思わない。
「違い」を強調して見る人の目には、「本質的に違うように見えるのかもしれないが、
それを言うなら、原始仏典が成立した時には、既に仏教は「分裂」していたのだ…
アビダルマのように、「存在」を「自己」の向こう側において客観的に分析するのではなく、
道元の、自己ぐるみの存在を実践的に捉える態度は、アビダルマよりもブッダの態度に近いだろう。
ただ、道元の立場は「修証一等」だから、「行」を離れて「悟り」という状態があるのではない。
その点で、解脱に関するいろんな意見には、違和感を覚えることが私は多いね。

ちなみに、服部正明氏は、仏教の三昧に至る過程はヨーガと共通点があるとしながらも、
ヨーガと仏教の「違い」について、次のように言っている。
「ヨーガは心の作用を止滅させてあらゆることに無関心になること、神秘的境地に達することを
目的とするのに対して、仏教の場合は、定によって得られた心の平静さは人生の真相を見るための
ものだという点で異なるのではないでしょうか。」(『仏教の思想2 存在の分析〈アビダルマ〉』)