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■■■■自由意志はない…決定論■■■■

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001 考える名無しさんNGNG
人間の脳は物体、物質であり、物理法則に従う。
したがって、自由意志はない。
という決定論を否定する奴はいるのか?
0002yongNGNG
こんなスレ前になかった?
0003yongNGNG
人間の脳は物質だけど
意志はモノじゃないので物理法則には従わないよ。
精神と肉体は全く別物だよ。
これは数十年前にベルグソンが証明したよ。
『物質と脳』という本に書いてあるよ
0004白色レグホンNGNG
じゃあ、仕組みはどうあれ問題になるかぎりで意志を決められることを
<自由意志>って呼べばいいじゃん。コケ。
0005考える名無しさん NGNG
>1
サーバ無駄遣いすな。ヴォケ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1006807130/l50
0006考える名無しさんNGNG
>>3
意志は脳に起因する現象で、脳が物理法則に従うんだから、
意志も物理法則に従うという考え方が自然だろ。
0007考える名無しさんNGNG
サーバ無駄遣いすな。ヴォケ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1006807130/l50


■■■■■■■■■■■終  了■■■■■■■■■■■
0008考える名無しさんNGNG
>>7
>サーバ無駄遣いすな
貧乏くさい発想。死ね
0009考える名無しさんNGNG
>>8
冬厨房逝ってよし。コレ読めヴォケ。
http://www.2ch.net/faq.html#B4
■■■■■■■■■■■終  了■■■■■■■■■■■
0010榛暈NGNG
精神と肉体が別物なわけないだろ。
肉体を伴わない精神は存在しないが精神を伴わない肉体は存在する。
これを否定する奴は神秘主義者だな(w
0011考える名無しさんNGNG
>>9
粋がるな、バカ
0012考える名無しさんNGNG
冬厨房逝ってよし。コレ読めヴォケ。
http://www.2ch.net/faq.html#B4
■■■■■■■■■■■終  了■■■■■■■■■■■
0013考える名無しさんNGNG
続きは>>5のリンク先でお願いします。
このスレは重複スレとして、削除依頼に提出します。
0014考える名無しさんNGNG
>1
正解。人は自由意思が
あると錯覚してるだけ
0015 NGNG
14はだまって前スレ読んどけ。
0016考える名無しさんNGNG
http://www.MintMail.com/?m=1934443000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
0017考える名無しさんNGNG
否定できん
0018考える名無しさんNGNG
>>3 :yong :02/01/02 19:19
>人間の脳は物質だけど
>意志はモノじゃないので物理法則には従わないよ。
>精神と肉体は全く別物だよ。
>これは数十年前にベルグソンが証明したよ。
>『物質と脳』という本に書いてあるよ
この意見はトんデモに思えるが。
そんな「証明」できたならすごいって。
0019考える名無しさんNGNG
ねえ。>>5のスレもう書けないYO!
ちゃんと読んどくからここにカキコしていい?

って逝ってみるtest.
0020考える名無しさんNGNG
宿命論(全ては決定済み)というのと、無因論(全ては決定されていないから無限に自由)
という発想は、どちらも同質の誤謬。
世界が決定的であったとしても、(また、少なくとも世界の実相がどうであろうと
認識の段階では決定的にしか考えられない、というのは、「全ては決定されていない」と考えた場合、
決定されていないことが決定していると考えることになってしまうから)
どうして決定内容の全貌が、決定されている世界の内側にいる我々に分かるの?
真に絶対のものは、「これこそ絶対だ!」なんていわずともはじめから既に常に現実化している。
またそうでなければ真の絶対ではない。(これはいつか独我論関係のスレでもいったが、
真に独我存在は自己を独我存在とすら認識しない、何故なら比されないし、比す動機をもたないから
絶対とはそういうもの)宿命論と無因論(と付け加えるなら根本動因・不動の動者・神)が
同質の誤謬だといったのは、それを主張するものが、
真の絶対、決定内容の全貌が何故か自分には分かるのだとしているから。
前者なら全ては決まっているということが絶対的に分かっていることになるし、
後者なら全ては決まっていないということが絶対的に分かると主張することになるから。
結局経験していない領域まで分かると主張するから矛盾する。
ゴータマ・ブッダの「十四難無記」やカントの「アンチノミー」で指摘されていること
あるいは、現代の複雑系科学で言われていること。
0021考える名無しさんNGNG
自分は、限られた範囲内での自由意思の存在を肯定する新一年生です。
>5のスレも(大雑把に)拝見して、改めて感じる事は、1氏のような
一元論を主張する方々の「自由」の概念って、一体、何ですか?

0022考える名無しさんNGNG
age
0023考える名無しさんNGNG
結果的に計算できるというのは
意味ないもんね
自由意志はあるよ☆
0024麻原彰晃NGNG
自由意思はない!
日本の刑法は間違ってるのだ!わがはいに刑罰を科すことはできないぞ!
0025考える名無しさんNGNG
獣医師は いない
0026考える名無しさんNGNG
>23
アキレスとカメみたいなものですか?
0027考える名無しさんNGNG
>>26
そうかもね
いまいろいろ考えたけど
時間的にじゃなくて物理的にそうかもね
ふしぎ☆
0028考える名無しさんNGNG
>>3
が気になるのだけど。
0029考える名無しさんNGNG
きにしないでよろしい。
0030考える名無しさんNGNG
観測問題がある以上、世界が決定的であるか否かの言明は
しちゃダメなんだろうけど、こんな空想は無意味なんだろ
うけど、われわれよりも少しだけ観察力・認識力に長けた
存在にとっては「粒子」の振る舞いは決定的なんじゃない
だろうか?
俺はそう思ってる。ゆえに世界は決定的だと思う。
0031考える名無しさんNGNG
>>26
やっぱり時間もそうかもね
そのほうがなんかいいし
意志を計算することなんかできないのよ
アキレスとカメのようになるのよ
運命は占うけど
意志は占わないし
きっと運命を持つ自由意志なんだ
そのほうがなんかいいでしょ☆
003230NGNG
>>31
なんでこの問題でアキレス&カメがでてくるんだYO!
世界はきっと離散的なんだよ。それで解決。
俺は世界が決定的でないと気持ち悪いんだYO!
なんとかしてくれYO!
003330NGNG
くそーsageちゃったYO!
ageとくから誰か俺を救ってくれYO!
0034考える名無しさんNGNG
あの子に顔射する自由くらいあるだろ。
無責任が科学的実証によって寛容されるなんて夢の話しだな

親父狩りをする奴もそういうロボットといことですね
0035あちょーNGNG
決定論は正しいと思うが、皆完璧に未来を予測できないので、
そこに自由意思という考えが出てくると思う。
0036考える名無しさんNGNG
>>35
予測できないから自分の意思で行動するには変わりない
でもそれは自由意思とは呼べないんじゃない?
0037something like thatNGNG
時代の空気によって全ては決まってゆくので自由意志はないと思う。自分の意志で人は生まれてきたのか確証できない、<範疇外のこと>というのもある。
20の”決定内容の全貌”をいいかえるとそれは”シナリオ”のことであり、その台本に従い我々は生まれてから死ぬまで演じ続ける演者ということ。
0038考える名無しさんNGNG

素粒子にさえ自由意思があるかもしれない
0039考える名無しさんNGNG
>>38
わたしもそう思う
物理的機能の限界が
逸脱を許さないだけ
私達は精神ではなく
人間だから
運命を持つ自由意志
夢見る歯車☆
0040考える名無しさんNGNG
時間のある世界に認識など必要ない。
食って寝てやっとけば万事成功!
0041( ´∀`)さんNGNG
パスカルに従うならば、天使と動物の中間に来るのが人間です。
そして、天使は精神はあるが肉体はなく、動物は精神はなく肉体はある
存在です。天使については稲垣良典やモーティマー・J・アドラーの
天使論でも読んでください。
 で、人間は両者の中間にいるわけです。

>>10
 神秘主義者にひとくくりするとは、懐疑的精神の乏しい人ですね。
0042あちょーNGNG
>>41
で、天使は人間と神の中間だとか。
0043楽に行こうやNGNG
とんだお笑いだな、お前らは昆虫の羽根や足をむしりとっていって最後に現れる昆虫の死を
恐れているようなものだな。おまえらの見ている世界は文化とともに作り上げてきた世界なのに
その中に生まれた世界観が、なぜ生まれたかも考えずに言うことも聞かず
世界を包む布を取り去ろうと努力している
そこにあらわにされた世界の骨組みを見ていまさら死の恐怖におびえているとは
お前らのその無機質な世界で人ひとりでも救えるのか?
0044考える名無しさんNGNG
おれ、哲学とか知らない(今日、なんとなくこの板をはじめて見た)んだけど、
おれもこう考えていた。

脳は物理法則に従う。だから、自由意志はあるが、それは電気や物質に物理的
な反応によるもの。だから、未来も決まっていると考えていた。

こういう考え方は異端なのでしょうか?
0045考える名無しさんNGNG
あげ
0046( ´∀`)さんNGNG
>>44
 君の考えが異端かどうか以前に、哲学する方法を学んでから来たまえ。
 異端以前に短絡的な論だと言っておこう。ところで、君の考えを
 異端とするなら、正統があるはずだが、それは誰が決定したのだ?
004730NGNG
異端じゃないよ。正論だよ。
いろいろややこしいこと言う物理学者もいるが、みんな心の中では
決定論を支持してるんだよ。きっと。
0048( ´∀`)さんNGNG
>>47
 哲学板なのに哲学的ではないですね。最後に「きっと」と
 つけている辺りが特に。あと、迂闊に「みんな」と使わない方が
 いいですよ。揚げ足取りでもなく、「みんな」とは誰か?という
 質問が出るのが哲学なのです。
004944NGNG
さすが、哲学板。細かいところ突っ込まれますね。
私はこう考えますが。突っ込みどころ満載な厨な意見かもしれんけど。

コンピュータの人工知能に興味があり、プログラミングなどを学んでいたため
こういう考えを持っています。

人間の思考や自分自身の認識が脳の神経細胞を走る電気信号ならば、
ある問題に対する選択は、過去の経験とデータベースの中から選択
される。

選択による自由な意思でさえ、脳の神経網での物質の振る舞いであり、
ある問題に対する答えを決定するルーチンは決定していると。

意思以外の物体は物理法則に従う。↑の意思が脳内での物質のふるまい
という仮定が正しければ、未来はすでに決定されている。すべては物理
法則にしたがっている。

この世界の外に超高速な計算機があり、私たちの住む世界の物質ひとつ
ひとつをエミュレーションすることができれば、時間軸を進めて未来を
知ることができると。



005044NGNG
>>30

決定論というのですね。私が高校生の時になんとなく意識したこと
なのですが、同じように考えている方がいるんですね。
0051あちょーNGNG
>>49
その計算機は、計算機によって未来を知った人間の行動までも
計算しなければならないのでムリですね。
005244NGNG
問題は、意識や意思が物質の振る舞いなのかどうか?という部分ではあるんですが
005344NGNG
>>51

ですので、「この世界の外に」とは、まったくの別世界という仮定です。
計算した結果を反映できない別世界に超高速の計算機を置ければ‥という
仮定でです。
0054考える名無しさんNGNG
自由意志などなくて結構
強い者の勝ち。誰にも見つからないで奴を殺し埋める。
勝者は君だ
005520NGNG
20でいったことを理解してくれてるのは、あちょーさんだけみたいだな。
科学のように主観から無関係の客観を想定して考えるのが無理。(だから量子力学よりも社会学の方が比喩としては良い)
無因論も宿命論も世界と自己との関係を全く無関係な二つの実体のように捉えるところから始まる。
世界内在性についての比喩なら量子力学の観察問題よりも社会学の観察問題の方が良い気がするけど。
005644NGNG
自由意志についてですが思考が物質の振る舞いなら、”自由な”意思ですら
すでに決定されていると思いますが、でも、その意思は当人にとって自由だ
とも思います。
0057考える名無しさんNGNG
>>49
コンピュータは文脈を理解できません。
知ってる?フレーム問題って言うらしいんだけど。
005844NGNG
>>57

フレーム問題というのは知りませんが、文脈を理解できないのは知っています。

しかし、コンピュータの計算というのは、人間の意志のシミュレートではなくて、
あくまで物質の振る舞いのエミュレーションを考えていますので。

たとえば、数万個程度の簡単な物質の振る舞いを計算することはできます。
もし、この世界中のすべての物質の重力・斥力・質量やエネルギーなどを
すべて計算できれば、脳内の電気信号などもコンピュータで真似できる
と考えています。
0059考える名無しさんNGNG
>>58
その電気信号の意味を特定できなければ意味なくない?
それに情報理論や科学その他って対象が人間の方にシフトしてるんじゃないのかな?
それともすでに不可能なものとしてあきらめられてるのか。
006044NGNG
哲学初心者が言うのも悪いですが、20さんの考え方って屁理屈に
思えてしまいます。

>認識の段階では決定的にしか考えられない、というのは、「全ては決定されていない」と考えた場合、
>決定されていないことが決定していると考えることになってしまうから

これは、つまり決定されていないということではないのでしょうか?

「決定されていないことが決定されている」=決定されていない

ではおかしいのでしょうか?煽りじゃないですよ。ごめんなさい。
006144NGNG
58の書いていることは、

この世界とは別の時空間に、我々の住んでいる世界のすべての物質の
現在位置と初速とベクトルを入力すれば、後は時間軸を進めればこの
世界を同じ結果になるのかどうか?ということです。

物体は問題ないですが、意思を持つ生物の意思を計算できるのかどうか?
006244NGNG
「すべてが決定されていない」という「ひとつが決定されている」

なら大丈夫では?
0063考える名無しさんNGNG
決定論と物質法則を念頭に置くのが誤り。
物質は未来へのベクトルなぞ持たない。
今、ひたすら回ってるだけ。
確かに人間は物質で構成され電気刺激で思考するけど、
通常の物質の挙動から察すれば無駄が多すぎるわけ。
物質は楽な方楽な方へ動く。まあ安定性とか。
そのくせ人間は目の前の即席麺より美味しい物を
食べにいったりする。無駄な動きばかり。
無駄=自由意志でイイ!
決定論なんて何が決めるわけ?主体が無いだろ。
物質は何もきめないよ。
ロボットがプログラム以外の動きを見せた時
人間臭さを感じることは無い?
逆に善人が決定論に従う物質の固まりに見えることない?
非効率的なバグなんだよ。物質から構成される意志は。
0064考える名無しさんNGNG
完全に計算し尽くせるっていうのが幻想なんだよ。
未来に凄い計算機があって、全て計算させようとするとする。
全てを計算し尽くすために、まず自己以外を全て計算できたとしても、
計算しているその自己についても当然その計算の中に含めねばならないから、
それについても計算しようとする、だがここで矛盾が発生する、
進行形で計算していることを更に計算しなければならず
無限に計算を反復せねばならず、何処まで言っても答えを提出できない。
結局自分が世界から独立してないから不可能だ。
0065考える名無しさんNGNG
>>60
相対主義のスレに
そんなこと少し
書かれてた☆

0066糞NGNG
一体、哲学やってる人達は何が目的なんですか
教えてください。 このスレの偉い人たち。


「哲学について真剣に聞くので教えてください。」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1017068979/l50
006744NGNG
すべての物質はベクトルを持っていますよ。

無駄=自由意志だとしても、その自由意志ですら物質のふるまいならどうでしょう?

ロボットがプログラム意外の動きを見せることはありません。すべてプログラムに
書いたとおりに動きます。人工知能AIは人間の書いたプログラムに随時データベース
が追加されるため、生物くさいですが、すべて書いたプログラムとおりに動いていますよ。

006844NGNG
>>64

じゃないんです。計算できなくてもいいんです。何度も書いていますが、
我々の世界とは別の系の、計算結果を我々の世界に反映できない世界で
の計算機です。我々の世界の計算機ではありません。

それから、問題の本質は「物体及び意思は物質の振る舞いなのか?」と
いうところです。計算できなくてもかまいません。

また、計算結果が我々の系に反映される計算結果は意味をもちません。
問題は、すべてが物理法則に基づいているのかどうか?というところです。
006944(哲学初心者)NGNG
つまるところ、唯物論か観念論か?ということでしょうか?
0070考える名無しさんNGNG
持ってるのは運動のベクトルだろ。未来はない。
どこかへ向かう可能性すら、消える想定である未来へのベクトルは無い。

通り道だよ。いくつもの刺激通過過程があるのに、
無駄に動くようにし組まれてる部分がメタなバグなんだよ。
別に物質がこうこう動くプロセスじゃ無くて、
こうこう動くシステムは物質法則じゃ作れない。
むしろ法則と呼んでいるそのものが意志に置き換わる寸法。

プログラム通りに発生するバグなど、それを意図してやらない限り
つまり別問題にしてやらない限り無い。
007120、64NGNG
>これは、つまり決定されていないということではないのでしょうか?
「決定されていないことが決定されている」=決定されていない
ではおかしいのでしょうか?煽りじゃないですよ。ごめんなさい。

認識が「全てを疑ったとき疑ってることを疑えない」という
デカルト、その応用である現象学的な考え方を少し使っただけ。
全ては相対的だといったとき、そのことを絶対化してる矛盾と同じで、
認識のある瞬間を考えるとき特定の認識対象を持たないことは
ありえない(志向性)ということからの応用。
客観世界の実相が決定的かどうかを問題にしてるのではなくて、
より厳密に認識の段階を問題にしてる。

>>68、69
>唯物論か観念論か?
という対立軸自体が問題と思う。
認識主体と認識対象がバラバラにあって、どちらかをどちらかに還元しようとする考え方、
二元論的に考えてるところに問題があるように思う。
主観は己の外に出られないのにどうやって客観に的中することを問えるか?という基礎的な問題。
極端に例としては、「眼は自分自身を見れないのに、(鏡に映せば見れるというのは
答えにならない、鏡の映像が見えているだけだから)自分自身を見れない「もの」が「対象」を見れるのか?」
ということ。例えば「木を見る」という場合、認識主体である私(眼)は認識対象である木を見ると普通は考えるよね。しかし、存在するのは本当は「木だけ」であって、認識主体と認識対象を完全に分かつ(実体化する)のは
問題があるんだよ。要素還元論的な考え方が批判されて現象学の影響を受けた
複雑系科学が注目されるのはるのは、この辺りからだと思う。
0072考える名無しさんNGNG
>>44に「先に哲学する方法を学べ」とケチをつける奴がいたが、
>>44に書いてあること自体は、古典的な哲学者の多くが主張している。
現在でも支持者は少なくない。異端ではないので安心しなさい。
007320NGNG
補足
眼は自己を見れないのに、“自己”の「外にある」自己と無関係な独立自存の“対象”を
どうして見れるのか? 自己と対象を完全に分かつという考え方が無理。
「木だけ」というは、認識主体と認識対象に分かったときの認識対象の「木」という意味ではないよ。

認識している行為から無関係に認識対象があるという考え方の
延長上に、世界から独立の視点(神の眼)から世界を眺められるはずだという考え方が生まれる。
だから主観と客観を実体視する考え方と、自由の問題は極めて関係があるんだ。
007444NGNG
では、本題の未来は決定しているのでしょうか?

計算できなくても、私たちの予想ができなくてもかまいません。

007520NGNG
20でもいったけれど世界の実相、つまり客観的に決定されているかどうかは問いようがない。
まずは『「複雑系」とは何か』講談社現代新書 『生命論パラダイムの時代』レグルス文庫
この辺りをあたってみると良いと思うよ。新書系だから読めると思う。
007644NGNG
複雑系ですか。おもしろそうですね。ぜひ読んでみたいと思います。
もう少し勉強してから、また、書き込みしにきます。

いや〜、初めてここの板来ましたけど、こういうこと考えるのって
楽しいですね。
007730NGNG
>>76
複雑系?だまされちゃだめだよ。
カオスったって結局非線形の方程式だからな。
根本を見つめるあなたは正しいんだよ。
人間を含めこの世にあるものは粒子とエネルギーでもって構成
され振る舞ってるんだよ。そしてそれは唯一の法則で規定され
る。ブレることのない美しい法則でね。そしてそれはわれわれ
には決して知ることはできないんだけどね。
0078考える名無しデッガーNGNG
法則ってのは形をつくってて、それに限られてるからその中での自由ってとこになるのかもね。
自由って概念はそれを制限するような対立項があるだろうし
決定してるなら、それ以外のものはどうなんの?
とりうる可能性のある範囲での自由だね
決定っていう概念が変なんじゃないのかな。
時間が絡んでくるよな
0079考える名無しさんNGNG
世界の
多様性
そのものが
自由を
示唆している☆
0080考える名無しさんNGNG
全く関連性が無いものなどこの世界に無いのだから
内外からの影響を受けない環境など存在しないだろう。
影響を受けたその時点ですでに「自由がない」と判断するのか?
人間的状態に拘束されている我々には自由が無いとでも言いたいのか?
0081考える名無しさんNGNG
例えば君はさっき、腹が減り、何か食おうと思って、様々な料理を思い浮かべ、
結局親子丼を食べた。子供が親に強制されていやいやにんじんを食べるのと比べる
なら、それは自由意志による選択(自発的な選択)にもとづくものといえる。
しかし自発的・自立的・能動的に選択したと意識する場合でも、よく考えてみると、
つねに他律的・受動的な過程が先行していないだろうか。ふりかえってみよ。まず
君の脳裏にはカレーのイメージと親子丼のイメージが思い浮かんだ。思い浮かべた
のではない。思い浮かんだのだ。
「しかし俺が後者を選んだのだ。俺の自発的な選択だ」と君はいうかもしれない。
しかしなぜ親子丼だったのだ? 君は総合的な判断として後者により多くの魅力を
感じたから、後者を選んだのだろう?「魅力を感じる(feel)」ということは
完全に受動的な事態である。
 たしかに君は最後の最後には、「親子丼にしよう」と「みずから決意した」と
いえそうではある。しかし、「親子丼にしようと決意する」といえば能動的行為
に聞こえるが、「親子丼にしようという気になる」事と一体どうちがうのだ?
 そもそも親子丼を食べようと決意した時、君は誘惑に負けたのだ。親子丼を
食べたいという欲望が他者に由来するという事実も考えてみよ。
親子丼をがっつく君。それは欲望の奴隷だ。主体性は、少なくともあまりない。
自由に、自分の意志で選んだという意識は錯覚である。錯覚以上のものではない。
しかしこの錯覚は不可避である。地面(地球)にすわっている人が自分は静止し
ていると思うことが不可避な錯覚であることと似ている。

0082考える名無しさんNGNG
モーション全てが何者かに操られてるとでも?
拒食症の人間を薬で治した奴はいない。(ゆえに治せなければ死に至る病でもある)
かかった人はみな周りの暖かい誠意ある援助のかいあって
自分の意志力を奮い立たせ回復させた者ばかりだ

彼らは何者かに操られていたのか?
何者かのおぼしめしによって快復に至ったのか?
0083考える名無しさんNGNG
縛られてるとしても
縛られているものも
縛られているのでは?
0084麻原NGNG

 『私はやってない♪潔白だ〜♪』
008544NGNG
思考とは物質の振る舞いなのでしょうか?

複雑系についてですが、複雑系って要素が多すぎてシミュレーションできない
分野を統計学を用いて解決しようというジャンルでしたっけ?

思考が物質のふるまいならば、未来は予測できなくてもある一点に向かって
進んでいると言えそうですね。


ところで、物理学者の間では宇宙空間は収束するのは発散しているのかが
研究されていますが、もし収束しているならば、いづれこの世界は一点に
集まってしまうのですね。
008644NGNG
>モーション全てが何者かに操られてるとでも?

操られているのではなくて、意識とは物質の運動の結果なのかどうか?というところがポイントですよね
0087千住大橋NGNG
要は「こうでしかありえない」という命題を否定できるか否かですから、関係ない
話題は出さないでください。
00881000NGNG
>>87
>>1と全然話が違うじゃん。
0089考える名無しさんNGNG
自由意志は無いと思ってる人は非常識と呼ばれるような価値観を抱く?抱かない?
自分の場合、対人関係における愛情は消えた。
例えば愛情を引き起こす原因は相手の意思ではなく物理的な現象なのだから物理現象に愛情は湧かない。
それか、生命を持たない物理現象にも愛情を持つようになるか。
0090考える名無しさんNGNG
意識の生じるとこ全て物質の運動の結果だと思いますよ。
ある環境を作り出すことによってそこから意識なり力が生まれるはずです。
人間の命の本質は「脳」のある部分の環境によって発生していると思うので
人工的にその環境を作り出すことができれば
意志的なロボットを製造することも可能だと思います。
(ロボットにとっては幸か不幸かわかりませんが)

しかし作ってしまったが最後、「手に負えない」という結果を招くかもしれません
自分で自分を改造することや、命令に容易に逆らうことも可能でしょうから。
0091直結NGNG
決定論って,ヒトの意思の否定になるのだろうか?
009230NGNG
>>89
>自由意志は無いと思ってる人は非常識と呼ばれるような価値観を抱く?抱かない?
俺は常識人です。パチンコもします。あきらめもよくない(w。

>自分の場合、対人関係における愛情は消えた。
マジデすか?スゴイね。俺は幻想とは思いつつ燃え上がってしまう。

未来については決定していると思うけど、それを知る事はできないとも思ってるから、
「どうせ決まってる事だから」とは考えない。
過去については「こうなるって決まってたんだな」とは思う。
0093てつやNGNG
自由意志とは、自由「感」から抽象された概念です。自分の行った行動が、
自分の自由意志によるものだと思える、ということが自由「感」を基礎付け
ている。自分は右手を上げようと思ったのに、体は物理法則に従わずに
左手が上がったり、右足が上がったりすれば、その人まったく自由「感」
を感じずに、この世に自由意思などあるものか、と思うでしょう。この例
で明らかだけど、(当然ながら)、世界が一定の法則(物理、化学、生物
学的法則)に従って動いているということは、人間が自由「感」を抱く、
基礎的条件の一つです。
この他に重要な条件としては、他からの強制を感じないこと等があります
が、このような条件下で、人は自由「感」を感じ、ここに後付け的に
抽象化された「自由意志」が「あるということに」なります。
0094(-_-)さんNGNG
それでは今の世界は望まれて出来たものなのだろうか?
0095考える名無しさんNGNG
自由意志があるの、ないの、って考えて居られる

そのことを自由と呼ぶか、呼ばないか、は自由だぞよ。
0096考える名無しさんNGNG
自己に対し影響を与えている要素や事柄を完全に読みきれないから
そこから自由があると想定することができるだけだろう。
たとえ自覚化できている自己へ影響を与えている要素や事柄であれ、
そもそも要素や事柄というものは、
現時点までの経験や知識に基づいて解釈された要素や事柄であって
自己へ影響を与えている客観的世界そのものを捉えているではない。
だから必然的に完全に予測することができないんだ。
そこから自由を想定可能になる。
0097考える名無しさんNGNG
自己のそれまでの知に基づいてしか判断のしようがないから以前の投稿で
自己の認識(経験や知識)から無関係の世界の想定は不可能なのだといった。
ただし不可能だといったのはこれだけが理由ではない。主な理由は上の通り。
0098考える名無しさんNGNG
だから必然性と偶然性は同居している。どちらの方向へも極端化可能なもの。
0099考える名無しさんNGNG
なんか「自由意志がない」にはみんなよく反応するな(w
「気持ちいいことしかしない」奴等ばかりだろうに。
0100考える名無しさんNGNG
一日100回セックスしたい
0101101NGNG
101 匹わんちゃん物語                   ワン !
0102考える名無しさんNGNG
ラプラスの悪魔ですか。

なんかこのスレで議論してる何人かの人は
ちゃんと哲学史を踏まえた上で発言してるのかなと思いました。
自分で考えるのも大事だけど、せっかく先人の思想という財産があるのだから、
参照してあげましょうよ。
0103考える名無しさんNGNG
そう思うけどね。それで済めば楽だろね
0104考える名無しさんNGNG
今、生きてる哲学者って誰よ?
010595NGNG
選択肢を選ぶ、ではなく、それを設定すること、に自由を感じることはある

また「だから」などの接続詞を使って、関係性を曲解したり断定したり
他の自由を拘束することに自由を感じることもあるが
コレはたぶんネガティブな自由であろう、と。

どちらかといえば冒頭の0→1って感じの能動的な自由を探してる方が
趣味的には楽しいかも・・・
0106考える名無しさんNGNG
>89
> それか、生命を持たない物理現象にも愛情を持つようになるか。

これならポジティブでいいんじゃないですか。
あらゆるものに魂が宿っている、とか。
0107あいたんNGNG
よくわかってないが適切な答え
010895NGNG
>>106

命が宿っている、ってのはたぶん
同情の飛躍なんだろうが・・・
それを人の力。と断言できる

また、自然を理解する手段でもある
いつ、人類は有害な泥水にしか見えなかった石油を分留しようと思ったのだろう?
水の蒸発を知って「例えば〜」とか思ったのかもしれない

「例えば」の後に続く言葉には
自由というかなんというか・・・いつも人間を感じる

>>あいたん
ハアハアハアハアハアハア・・・。
0109考える名無しさんNGNG
>>63
>逆に善人が決定論に従う物質の固まりに見えることない?

無いぞ、ジコエンやめれ。キモ
0110考える名無しさんNGNG
自由意志はない。何故なら、本来的な自己は、認識するのみだから。
0111考える名無しさんNGNG
age
0112考える名無しさんNGNG
>>110
だから馬鹿は哲学板にくるんじゃねーっつーの
0113考える名無しさん NGNG
常々思うことだが決まっていることが大衆に受け入られたらどうなるだろう?
愛情などの感情は消えるかな?憎しみも「仕方ないんだ」って割り切っちゃう?
どう思う?さほど影響はない?
0114高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA NGNG
受け入れられるような大衆がどんなものかってことだろ。
受け入れられて変わるようじゃ。受け入れられないんだからよ。
もしそうなるんだったら、もうかなり俺達とは違う社会だろうなあ。
愛情とかそれ以前に人間がどうやって存在しているかも
俺達にゃ想像できないような社会に違いない。
0115石川梨華 ◆RIKAwz.6 NGNG
kikaironage
0116考える名無しさんNGNG
興味のある方↓にもよろしく。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1019288431/l50
0117考える名無しさんNGNG
おまえらバカですね
0118観る ◆NsuXIPsw NGNG
物理的に同じ状態が、精神的に同じ状態であることを示さねば、
精神活動を物理法則で縛れませんよね。

>>51
でも、読めちゃう解だって、まだ排除されていませんよね・・・
0119考える名無しさんNGNG
>1
夜、眠って・・・
翌朝、目覚めるのは何故か? それに応えてみれ。
夜中に、逝ってまっても、ちっともおかしくないぞ、
君の心臓は、君が意識的に動かしているわけではない。
0120カン梨華 ◆RIKAwz.6 NGNG
防止あげ
0121ルサンチマンな名無しNGNG
世界のあり方と人間の能力では,決定論と自由意志は分けて考えたほうがいいと思います.
私が学んだあのお方(「万人の万人に対する闘争」を述べたお方)は決定論の立場をとりつつ自由はあるととんでもないことを言っていました.
親子丼を食べることはあらかじめ決定されている。
しかし,親子丼とカレーの間でどちらにしようか人間は悩む。どのように悩むかはすでに決定されているが,決定論でも悩むのです.(カレー→親子丼→カレー→やっぱり親子丼,と言うように)
そして,その悩むという過程を「自由」と呼ぶのです.
したがって,世界のあり方は決定論だが,人間は自由を持っているのです.(やつの理論はなんかむちゃくちゃな理論だが・・・)
0122考える名無しさんNGNG
>>121
悩むこと自体は「決定」されてるんじゃないの?
悩む過程の何がどう自由なのか説明がいる。
0123ルサンチマンな名無しNGNG
確かに悩むこと自体は「決定」されています。
しかしあのお方によると,「自由」と言うのは「外的障害がないこと」。
悩む過程においても,悩む過程を妨げる障害物が存在しないから,カレー→親子丼→カレー→やっぱり親子丼と悩めるから「自由」なのです.
ただし,悩んでる最中に鈍器で殴られたりして悩むことを妨げられたら,自由はない,強制されている,と言うのです.
0124考える名無しさんNGNG
>>123

上の方からずっと議論されてる「決定論的」というのは、
脳ミソの中も自然法則で動いていれば、
思考は「決定論的」ってことなんじゃない?

もちろん、思考が脳の産物であればの話だけど(さすがにここを疑ったらオシマイ)。
0125考える名無しさんNGNG
>>123
ホッブズは既出だったんだが、スレが亡くなった。

カントはこっち。↓
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1019288431/112-113n
0126ルサンチマンな名無しNGNG
>>124
>上の方からずっと議論されてる「決定論的」というのは、
>脳ミソの中も自然法則で動いていれば、
>思考は「決定論的」ってことなんじゃない?
確かにそのとおりです。
ただし,決定論には二つあって,目的論的決定論と作用因的決定論の二つがあることを注意すべきです.
今論じているのは作用因的決定論のほうで,目的論的決定論は「善き」秩序のためにとか,神の善いと思うようにとか,というように目的が決定されていて,その目的のために人は行為する,と言うものです.(中世のキリスト教父が議論していた)



0127考える名無しさんNGNG
脳が物理法則に従っても、精神が物理法則に
従うとは限らない。
物理法則は再現可能な統計的事実。
精神が物理現象から生まれるとするなら、それは
しばしば一度限りの偶然の産物。
0128アウグスティヌスNGNG
>>1〜>>1000
一体、どこからその話が・・
その基となっている文献をあげてください、神よ。
0129わっきーNGNG


数学は、真理のみならず美も備えている。彫刻のように冷たく
質素な美を。
            バートランドラッセル
0130考える名無しさんNGNG
>>126
脳の中は作用因的決定論のお話じゃないの?
0131ルサンチマンな名無しNGNG
>>128
面白い文献としてはトマスホッブズの『自由と必然』を挙げます.
ホッブズと坊主のブラムホールの論争だが,ちぐはぐな水掛け論で面白い。
0132ルサンチマンな名無しNGNG
>>126
訂正,中世のキリスト教父よりはストア派のほうが有名でした。
0133考える名無しさんNGNG
>>10
>肉体を伴わない精神は存在しないが精神を伴わない肉体は存在する。

どうやって精神の在・不在を確かめたのか教えて欲しいです
0134考える名無しさんNGNG
>>1
物理の法則は古典的な意味では決定論ではなくなってきている。
たとえば統計熱力学とか。

哲学しか知らん人だったら
「物理法則=決定論」っていう
ニュートン力学みたいな考え方でもしかたがないとはおもうが、
その前提が間違っている。

脳や心の基礎が物質なのは当然だけれど
だからといって自由意志がない、
と自動的に結論できるわけではない。

物理勉強してから「物理法則」とかいいましょうね。
0135考える名無しさんNGNG
>>1
>人間の脳は物体、物質であり、物理法則に従う。
>したがって、自由意志はない。

すでに十分議論された意見かもしれませんが、っていうか>>134さんともかぶってますが、
↑の>>1には
明らかな論理の飛躍がありますよね。
全ての物体の運動が先々まで決定されたものでないならば
たとえ意識がモノの働きに依存するとしても
自由意思がない事にはならないですよね。

ともかく意思による選択・決定・努力などが
結果に影響を及ぼしているように見える限り
個々人が自分の意思に責任を持たなければならない事に変わりない。
0136考える名無しさんNGNG
>>1とは違うけど。。

たとえばある程度以上オシャレな人でも、
洋服の流行を気にしないというような事を言う人がいるけど、
「現在流通してる服の中から」「似合うと思う」服を選んでいるという事は、
どのような人にどのような服が似合うのか?という感覚も
流通している情報に左右されるものだし、
結局今現在の主流の流れ、流行に左右されているんだよね。

そういう事を考えていくと、
ある程度選択の自由があるにせよ完全にオリジナルな発想とかいうものは
存在しないのかなと思う。

ある情報が入ってきたときのそれまでの知識との関連性による理解とか、
その後の忘却とか、ほかの知識との結びつきとかによる
バグとか情報の劣化と言ってもいいような部分がオリジナルな意思が
生まれる余地なのだろうかと思う。
0137134NGNG
決定されているわけではないけれど、完全に自由でもない
という状態を考えればいいんじゃないか。

例えば水の流れを考えたときに、
流れがどのようであるか、という可能性はいくらでも開かれている。
すなわち自由である。

しかしながら現実に水のその自由に開かれた流れを
議論するためにはまず水が存在することが必要で、
物質として不可能な状態もあるわけです。
水に油のような挙動をしろと操作しても限界がある。
その意味では不自由。

行為としての自由と存在としての自由、とでもいえばいいのか。

このあたりは解剖しながら議論しなくてはいけない。

一方で>135さんみたいに、
事実上私と世界の因果関係を感じながら次の一歩を選びながら
生活しているわけで、この事実を抽象的に排除して現実の生活をしたら
犯罪者か基地外になるわけです。

ただしこれは議論の階層が違うので、
一緒くたにしてはいけない。
抽象的な議論はそれでいいのだと思います。
だから形而上なわけで。


0138ルサンチマンな名無しNGNG
>134
自由意志を認める議論というのは論理的に問題が生じてしまいます。
人間の行為が何の原因にも左右されず自由だったら、「無から有が生じる」ことを認めなければなりません
だからといって人間の行為に先立つ原因を認めたうえで自由意志があることを認めようとしたら(原因→自由意志→行為)、自由意志がどのように行為に影響を与えたかを説明しなくてはならず、議論は苦しくなります。
一番楽な・説得力のある議論は「決定論」でしょう
0139ルサンチマンな名無しNGNG
>137
137の議論はストア哲学者の議論です。
彼らは決定論の中に自由意思を認めようとした。
世界が秩序にしたがって存在している上で,人間はその秩序を認識して,その秩序に則って生きなければならない。
「秩序に則って」という部分に人間の限定された自由がある。
でもこの議論はいろいろ問題がありそうです。
0140考える名無しさんNGNG
>>139さんは>>130に答えて。
0141134NGNG
>138
哲学のいろいろな考え方に詳しいようなので、
良い機会だと思っていろいろうかがいますね。
(荒らされるのであげないほうがいいとおもいます)

原因のないことが自由の定義であるが、
原因のないところに意志を生じさせるのは無理だ、ということでしょうか。

私もそう思います。
例えばそこまで突き詰めなくても、意志が自由であるとしたら
死んだり生き返ったり自由にできる、ということになりますよね。
(「無から有が生じる」のいいかえになります)

逆に決定論は因果関係を重視するわけです。
現象Aと現象Bの間を原因と結果の玉突きとして考える。

しかし現象Aから現象B’現象B''、、(まとめて有限の事象B)が起きる可能性があるとき、
実際に事象Bのうちなにが起こるかはわからない。実際の物理現象はそんな風になっています。
だとしたらこれは決定論ではないのではないか。そんな風に思うわけです。

実際に自由意志を仮定することとは(「無から有が生じる」ほどではなく)
、上の段では有限の事象Bとした結果が無限にある
ということを仮定することではないでしょうか。

私はこの意味で決定論を排除しつつ
しかしそんなに自由でもない、と思うのです。

>139
世界の秩序にしたがって、という表現だとどうも固定した法則
を思い浮かべてしまいます。
世界は有限である、といういいかたではどうでしょうか。

世界は有限だから人間の自由は限定されている。
しかしその有限な中では自由に行為することができる。

これもやはりストア派的でしょうか。
だとしたらオススメの本ありますか。
興味あります。
0142ルサンチマンな名無しNGNG
>140
脳の中のは作用因的決定論になります。
刺激によって脳内で行為が決定される。そのとおりです。
出来事にたいする情報を感覚神経を通して脳内に通して,それを運動神経によって筋肉を動かす・・・。
人間の身体のメカニズムはよくわかりません
とにかくそんな感じでしょうか。
0143ルサンチマンな名無しNGNG
>しかし現象Aから現象B’現象B''、、(まとめて有限の事象B)が起きる可能性があるとき、
>実際に事象Bのうちなにが起こるかはわからない。実際の物理現象はそんな風になっていま
>す。だとしたらこれは決定論ではないのではないか。そんな風に思うわけです。
 この問題について,現象Aは果たして現象B’現象B”、、を生み出す可能性があるのか?
 実は突き詰めて考えたら,現象B’を生み出した原因は現象Aによく似た現象A’かも知れま
せん。実際の物理現象においても,実は我々の認識能力が未熟なゆえに、現象Aと現象A’
が同じであると勘違いをして,現象Aは現象B’と現象B”のどちらかを生むのだ,とも言えます。
 人間の行為についても,現象A→自由意志→現象B’or現象B”だという主張も同様に,現象A
は現象B’しか生み出さないのにもかかわらず,われわれはよく似た現象A’→現象B"という過
程をすでに知っていたがために,勘違いをして,現象Aから自由意志によって現象B"を生み出
した,といっているのかもしれません。
 これについてはスピノザの『エチカ』第一部付録を参照したらいいでしょう。

>世界の秩序にしたがって、という表現だとどうも固定した法則
>を思い浮かべてしまいます。
>世界は有限である、といういいかたではどうでしょうか。
これについては,ストア派は世界の秩序=固定した法則なのです。
世界大百科事典によればストア派の説明は次のように書かれています。
>ストア学派の思想によれば,あらゆる認識の基礎をなすのは感覚である。世界は感覚的
>認識の総体であり,それゆえ物質的存在である。しかしその中には物質に還元できない
>英知が宿っており,それが物質世界に一定の秩序を与えている。この事物を秩序立てる
>力を〈神的火〉,または〈運命〉と呼ぶ。人間は内在する英知を自覚することによって,世界
>という秩序(コスモス kosmos)を認識しなければならない。人生の目的は,この自然の秩序
>にのっとって生きることであり,それが最大の幸福をもたらす。
 なぜ、ストア派は決定論と自由を両立させているのか?というと,ストア派の決定論は目的論
的決定論だからです。ストア派のリプシウスの議論は,「全てのものは第一原因(神)に関して
必然的,第二原因に関しては全てのものが必然的であると言えない。」人間の自由はこのよう
にして保持されているのです。
 ストア派に関する直接的な文献は正直言ってわかりません。私はホッブズの『自由と必然』と
いう書簡からかじっただけです。


0144134NGNG
>143 前半

なるほど、もっともな指摘です。
この問題を「現象設定の解像度問題」と名づけておきます。
この点に関してもうすこし考えますね。

0145134NGNG
>143後半

第一原因と第二原因を考えるところに、まさに今の科学の源流を
見る思いがします。神を科学的な原理に入れ替えればよいわけで。

とはいえ世界の秩序を固定した法則と捉える
ところに今の科学との違和感を感じます。秩序というのはいってみれば
システムをスタティックに構成する際のルールといえると思いますが
物質自体、固定した構造ではない。常にダイナミックに運動や反応を
繰り返している。

こうした運動や反応を平均化して境界を観察者の立場からあたえて
静止したとても固い物質の構成を想定しているのが古典的な
物理学です。この観察者による想像上の物質は、境界が存在するから
性質がある。その性質から演繹されるシステムはやはり固くて静止している。

途中ですがこのまま書くと支離滅裂になりそうなので、
続きをもう少し考えてから書きます。


0146134NGNG
145の続きをかきます。

静止した物質(決定された秩序・運命)に対して
実際の世界はそんなに決定していない。
毎年の季節の移り変わりを見ても、春分の日にはかならず温度が25度である、
というようなことはありえないわけです。惑星の運行にしても、
理論的な計算からずれる。
つまり、自然界の秩序は、おおまかな秩序でだいたいあっている、
程度の話なのです。神がリゴラスに設定した、というほど
美しい世界ではない。
これが違和感の源です。

実際に物質的な基礎を考えると、繰り返しになりますが、
「だいたいこんな感じである」というのが本当のところです。
物質的な基礎の現在の理解は確率的な認識を基盤にしている。
こうした物質像から構成される世界は、静止した秩序とは
相容れず、大体こんなかんじ、の自然のあり方により合っている。

多分ストア派と違うのはこの点だと思います。



0147ルサンチマンな名無しNGNG
>134
少し議論を進めてみたいのであなたの考えを正当化してみようと思います。
そうしたら,正当化する過程で乗り越えられない「何か」が見出されるでしょう。
0148ルサンチマンな名無しNGNG
>134
 これまでの議論を整理すると、134の考えは「大まかな秩序の中で制限された自由がある」というものだと思います。
 常識的に考えると、「石が次の瞬間人間に変わる」というような突拍子もない因果連鎖は起きない。その点では大まかな秩序が維持されている。
 しかし、「石が割れる」ということを考えたとき、二つに割れるか、三つに割れるか・・・という点では自由を保持したい,確率的なものだ,ということでしょうか?
 
0149ルサンチマンな名無しNGNG
>134
134の考えを正当化するためには、どうやら「現象設定の解像度問題」は避けては通れない問題です。
AはA'でもA”でもない、Aであることを人間が完璧に認識できるということが保証されなければ、134の考えは正当化できないように思われます。
正当化できたら、A→B’∨B”はありえる。
0150考える名無しさんNGNG
たとえ世界が決定論的に振舞か否かがわかったとしても
どうしようもない。なんの価値観の転換も起きない。
問い自体がナンセンスなのではないでしょうか。

個人的には世界は決定論的に振舞っていると考えています。
過去は常に一つであるからです。
(過去が常に一つと言うのも異論があるでしょうが...)
我々が「自由意志」と呼称するものは決定論的に振舞っていると思います。
矛盾しないでしょう。
0151ルサンチマンな名無しNGNG
>150
そーんなニヒリズムみたいなことを言ってしまったら困っちゃう。
「自由意志」は人間の願望だよ。
それを否定されてしまったら、「明日パチンコに行っても負けてしまう」ことが必然になって、人生がつまらなくなっちゃうじゃないか。
ただし、「自由意志論」はどんなに議論しても問題が出そうだがね。
0152考える名無しさんNGNG
>>142
それなら>>126の意図は何ぞや?
0153考える名無しさんNGNG
>>138

>人間の行為が何の原因にも左右されず自由だったら、「無から有が生じる」ことを認めなければなりません

カントの第3アンチノミーのテーゼで似たようなこと言ってませんでした?

>だからといって人間の行為に先立つ原因を認めたうえで自由意志があることを認めようとしたら(原因→自由意志→行為)、自由意志がどのように行為に影響を与えたかを説明しなくてはならず、議論は苦しくなります。

自然による原因、自由意志による原因、結果としての行為の関係は、
カントやら中島義道やらが躍起になって説明してるけど、それはどうでしょう?

>>141

>私はこの意味で決定論を排除しつつ
>しかしそんなに自由でもない、と思うのです。

ほんの少しでも自由を認めてしまえば、物理法則は総崩れだと思います。

>>134氏

飛ばし読みなので読み間違ってたら指摘して頂きたいが、
決定論とは、>>134氏が考えているようなものではなく、
「時間にそって現象が一通りに決まる」というものではないの?
人間がそれを法則化できるかどうかではなく、
結局一通りとなる、というのがエッセンスだと思うのだが。

たとえば、確率に関しても、確率で石の割れ方が変動するにしても、
現象の可能性を1つに決定した何かがあるわけではない。
つまり、何らか自体によってが石の割れ方が決まったわけではない(自体によって=理論上の自由)。
時間の流れに沿って考えると、一通りであるわけだから。

水の状態を何通りでも想定できることは、水の状態の自由を保証するものではありえないんじゃない?
いくら想定できたとしても、具体的な各々の水を時間に沿って見れば、状態は確実に一通りであるから。
0154ルサンチマンな名無し改めルサンチマン伊藤NGNG
>>152
 改めて私の立場を明らかにしたいが,私は作用因的決定論者です.
 目的論的決定論について述べた意図は決定論を作用因と目的論で混同しないためです.
0155ルサンチマンな名無し改めルサンチマン伊藤NGNG
>>153
 別のスレでカントの第三アンチノミーについて言っていたが良くわからなかった.(カント嫌い)
 ただ,カント以前に,ホッブズもまた『自由と必然』において自由意志のこの問題について示唆していた.
 >自然による原因、自由意志による原因、結果としての行為の関係は、
 >カントやら中島義道やらが躍起になって説明してるけど、それはどうでしょう?
このへんについてはもう少し説明をお願いします.


0156135、136NGNG
難しい哲学の理屈はわかりませんが、>>149のルサンチマンな名無しさんのおっしゃることはあべこべな気がします。
人間の世界認識が非常にいいかげんなものだからこそ、
同一の刺激に対する反応にも幅が生じ、
それを意思と言うんだと思いますが??
0157考える名無しさんNGNG
>>151
>「明日パチンコに行っても負けてしまう」ことが必然になって
たとえ決定論的に世界が振舞っていても、
我々は未来を知りえないのだから
スリルをもってゲームに勝負できると思います。
0158134NGNG
>148 (ルサンチマン伊藤氏)

石が割れる場面の比喩でよいと思います。
割れ方は決定されていない。大体こんな感じ、
というような結果の収束の仕方です。
だから破壊力学はとても難しい。

このことに関して150氏と153氏(同じ方でしょうか)が、
事態が生じたあとから見たら、起きた事態はひとつしかない、
これは事態が決定されているということではないか、
と疑問を提しています。

結果から過去を眺めたときに事態が決定されていることはその通りです。
過去はひとつしかない。
しかし、それはその事態が既に決定されていたということではないと思います。

今という時点で目の前に石がある。
この石は2つに割れるかもしれないし、3つに割れるかもしれない。

脳は物質から構成されている、他にはありえないと私は考えます。
そこでこの石の比喩、割れ方の可能性が開かれている部分を自由と私は考えます。
0159ルサンチマンな名無し改めルサンチマン伊藤NGNG
>>156
自由意志を認めるには,まず,AがBやB’やB”といった複数の結果を生じる可能性があることを認めなければなりません。
ここでもし人間の世界認識がいいかげんだったら「現象設定の解像度問題」ではねられます.
あなたがAだと思っている出来事は本当にAなのか?A’またはA”ではないのか?このように反論されるのです.
では人間の世界認識が非常にいいかげんなものであることを認め,同一の刺激に対する反応にも幅が生じることを認めましょう.(A→自由意志→B∪C∪D)
しかしこのときこの「私」は果たしてAをAとして認識していたのでしょうか?
AをA’またはA”として認識していたのではないでしょうか?
したがって,実際にはA’と認識してCと行為する,またはA”と認識してDと行為する,という決定論は保持されるのです.

 
0160ルサンチマン伊藤NGNG
>>157
そうかなー?たしかに未来はわからないがすでに決定されていることはわかるからそれだけでも嫌になるよ.
「パチンコに勝てば自由意志,負ければ決定論」
0161いまさらだがNGNG
>>128
自由=自由意志はないという罠。
0162134NGNG
>149 現象設定の解像度問題に関してA(ルサンチマン伊藤氏への応答)


つらつらと原因Aの解像度に関して考えていました。
次のような考えにまとまりました。

昔大学などでよく跋扈していた「原理」サークルの勧誘などで使われていた
理屈から始めます。

物質とその構成要素を考えてみます。たとえば蛋白質。
蛋白質は分子が構成要素です。
分子の構成要素は原子です。
原子の構成要素は陽子や電子です。

といように物質の構成要素をたどっていくといくらでもミクロになっていく。
じゃあ究極の構成要素は一体なんであるのか?
究極の構成要素が究極であることをいかにして証明できるのか?
科学にはその証明をすることができない。

だから科学では世界を説明できない
というような理屈で「原理」サークルは勧誘していました。
0163134NGNG
>149 現象設定の解像度問題に関してB(ルサンチマン伊藤氏への応答)

この理屈と科学的な認識の違いは次のようにいえると思います。

自然界は階層になっていて、ミクロからマクロ、現象の規模はさまざまです。
科学は、マクロの現象を、ミクロな現象の組み合わせで説明する、という行為です。
これを還元主義ともいいます。

このときに、ミクロが究極の根本現象である必要はない。
社会集団の行動を、原子から説明しようとする科学者はいない。階層が離れすぎていて
ミクロとマクロを関係付けることができないからです。
人間の行動から社会集団の行動を説明することはまだ可能です。

人間にはもっとミクロな構成要素(器官、組織、細胞、、、)があるのは当然です。
しかし、あえて人間を原因として社会集団を結果として説明する。
人間、という階層を抜き出して、ひとつのまとまりとしてかんがえるわけです。
人間という階層のレベルがミクロとして設定される。

したがって構成要素はかならずしも究極の分割不可能な因子である必要はない。
ミクロとマクロの関係を結びつけることができれば、どの階層をとりだしてもいいのです。
0164134NGNG
>149 現象設定の解像度問題に関してc(ルサンチマン伊藤氏への応答)

原因Aに戻りましょう。私達が分解不可能と考えている原因Aが実は構成原因A’、構成原因A’’
構成原因A’’’などから構成されていて、単に我々が原因を設定する際に現象認識の解像度が
低いためにこれらの根源原因の差を認識することができない、というのが
現象設定の解像度問題でした。

我々は根源原因A’とA''の違いを認識することができない。
そもそもそのような違いがあるかどうかもわからない。
しかしこれらの根源原因は原因Aというグループに属するということはいえます。
そもそも原因A自身を我々は認識しているのだから、想像上の構成原因A’、A'’、、、は
原因Aのグループであると断言できる。
原因Aの中にさまざまな要素があるかもしれないが、原因Aの性質としてはまとまりがある。

したがって、ここで上の段で言ったことを参照にしましょう。
原因Aにはさらに究極の原因A’やA'’に分割できるかもしれない。

原因Aというグループが結果Bというグループをもたらす
因果関係があるとします。Aは変数であり、Bも変数である。
いずれの変数にもあるまとまりがあり、規定がある。
こうした状態でも、原因グループAと結果グループBの因果関係があるならば、
それはメカニズムです。

究極原因A’を知ることは決してできない。いわば判断不可能である。
したがってA’とB’という関係が決定されているかどうかも不可知です。

したがって、現象グループAと現象グループBの関係、という考え方を導入します。
そしていずれにも現象に幅がある。大体こうなっている、という幅です。

この幅が自由なのではないか。
0165考える名無しさんNGNG
>>159
えーと、ですから、Aという刺激をA’と認知したりA''と認知したりできる時点で
決定論から逃れてますってば。
決定論が正しいなら刺激Aはいつも同じモノとして受け取られないといけないのでは?
0166134NGNG
↑なんか書いてみたら「したがって」
だらけで恥ずかしいなあ。
文章の良し悪しは甘くみてください。
0167あちょーNGNG
>>134
物理学は、自然法則の決定論的な解明を目指しているとおもう。
1さんのいう物理法則は間違いではないとおもう。
0168考える名無しさんNGNG
>>167
目指しているという事と自然が決定論的な法則を持つと言う事は全然違う。
あほ。
0169134NGNG
>165

私も賛同する指摘です。

さっき書いたことにしたがって次のように言い直してみます。

刺激Aグループ → 反応Bグループ

グループというレベルでは決定しているが
Bグループにバリエーションがある。
Aフループの構成要素は不可知なので、決定不可能。
(なんか無理がある言い方ですが)

話は変わりますが、
刺激Aがなくても反応Bが突如起きたりします。
神経生理学では自励発振といいます。
自励発振を心理学のレベルまで持ち上げると
「想起」になるかもしれません。
哲学的には「自由」の一部でしょう。
0170ルサンチマン伊藤NGNG
>>153
>>158
 決定論と言うのは,一つの説として(ホッブズが考えているだろうと私が考える仮説),
現在から過去を眺めたときの現在の出来事と過去の原因の因果関係を認めることからはじまり,
では未来から現在を眺めたときも,現在を原因として未来の結果もすでに因果関係によって決定されているはずだ,
という推測から成り立っています.153氏の指摘もこの辺と関連があると思います.
 蛇足としてもう一つ私が知っているのはスピノザの説で神(即自然)の証明から決定論を導く説です.
0171考える名無しさんNGNG
>>170
学者の名前を並べて逃げようとしてるね。
0172あちょーNGNG
>>168
> 目指しているという事と自然が決定論的な法則を持つと言う事は全然違う。

それはそうです。
0173134NGNG
>>171

そういう意地の悪い野次馬みたいな言い方は
止めましょうね。
0174ルサンチマン伊藤NGNG
>>165
確かにこのままでは決定論から逃れてしまいますな・・・。
しかし,AをA’として,またはAをA”として認識することを認めた上で,
さらに私がいつどこにいたかどのような状態だったかによって,
AをA’として,AをA”として認識する理由を求めることは出来ます.
このようにしたら決定論は保持されるはずです.
0175考える名無しさんNGNG
>>173
挑発したら応答があるかと思ったんですけど、たしかにお行儀わるでした。
すいません。
0176ルサンチマン伊藤NGNG
>>170
ごめんなー。ちょっと僕も自分の言動に苦しくなってきたんで.
0177考える名無しさんNGNG
>>174
条件が違うのだから同一刺激とは言えません。
それは結局一つの刺激には一つの認知しかないと言っているのと同じです。
0178134NGNG
タバコを一本吸っている間に
自分の言ったことの問題点にひとつ気が付いたので
書いておきます。

実際に根源原因A’ー>グループBのうちの結果B’という
ゆらぎのない関係性(決定された関係)あるということと
その関係性を観察者が判断できない、
関係性が不可知であるということは別の話であり、
私の議論はこの点をあいまいにしている。

ただし関係性が不可知であるならば、
事態は決定しているかもしれないし、
そうでないかもしれない。

0179考える名無しさんNGNG
>>178
そですね。
結局、決定論的なのかどうかはわからない。
どっちともとれる。
「因果」はわかりません。「相関の高さ」は統計でわかりますけど。

理論による予言がのちに証明され。。
ってパターンも、たまたまそうだったのかどうかは知りようがないし。
0180ルサンチマン伊藤NGNG
>>178
どうやら決定論について認識論と存在論がごちゃ混ぜになっているようだが。(私もその可能性あり・・・)
0181考える名無しさんNGNG
>>158 (>>134氏)

>今という時点で目の前に石がある。
>この石は2つに割れるかもしれないし、3つに割れるかもしれない。
>
>脳は物質から構成されている、他にはありえないと私は考えます。
>そこでこの石の比喩、割れ方の可能性が開かれている部分を自由と私は考えます。

決定論は、単純に「幾つかある可能性を前以て1つに絞り込んでおけ」と説くものではなくて、
「幾つかある可能性のうち、1つしか起こりえない」という経験に基づき、
「世界は1通りに決定されている」と主張するものだと思います。
つまり、>>134氏の考えは、決定論の中に包摂されても何ら支障はないですよ。

また、石の割れ方に「自由」を見出すのは、
カント的な(って言えるほどカント知らないが)「意志の(理論的)自由」からのアナロジーじゃないですか?
現代物理学の観点からは暗黙裡に、石の割れ方の可能性は、1つ以外は排除される方向にありますし、
確率に「自由」を求めるなら、その「自由」は「何の自由」なのかを言わなければなりません。
要は、確率のランダムな可能性のなかから、石の割れ方を決定したものはいったい何なのか、を言わなければなりません
(これは「意志の自由」からのアナロジーでなければ尚更追究されなきゃならんと思われる)。
0182考える名無しさんNGNG
「世界は1通りに決定されている」→「世界は1通りに決定されていく」
0183134NGNG
>180,181

存在論としてはやはり究極因子@原理サークルについてマジメに考えてみる
ということになるのだろうか。

しかしそうするとどうしても(繰り返しになりますが)
不可知であり、どうなのだかわからないです、
ということになる。

こうした不可知論(あるいは無限後退)
から逃れるためにミクローマクロの階層抜き出し論を
上で導入したつもりです。
感覚としては数学的帰納法にちかい。
関係性だけ抜き出してシステムを説明する、という点で。

ただし説明が上のようだと混乱している部分がある。

0184134NGNG
>181

石=意志という指摘がとてもブリリアントですが
さて、冗談抜きに

>確率に「自由」を求めるなら、
>その「自由」は「何の自由」なのかを言わなければなりません

これがたぶんポイントでしょう。
考えてみます。

0185134NGNG
>181

難しいので目下挫折しています。あらら。

「カント的な意志の(理論的)自由」
について知っている限りでいいですから説明お願いします。

今日はもう仕事しないといけないので、また。
ではでは。
0186ルサンチマン伊藤NGNG
>>162
>>163
>>164
134氏は「現象設定の解像度」を勘違いなされている.
私が言おうとしたのは,単に認識論の問題で,人間の認識のいいかげんさによって,人間に自由意志があると錯覚しているのではないか,と言うことです.(ただ私が143で「突き詰めて」と表現したのが誤謬の原因となっているのなら申し訳ない。)
さて,決定論と自由意志の問題は存在論で語るべきでしょう.「自由意志がある」と「自由を感じる」は分けて考えるべきです.
「自由意志」の不備については私が先ほどお答えしたとおりです.>>143.149.159.174参照
0187ルサンチマン伊藤NGNG
さて,そろそろ私も今日大学があるのでもう寝ます.おやすみ。
0188考える名無しさんNGNG
「自由意思があるかどうかはわからない」で決定。

人物1が条件AにおいてBという意思またはB’という意思を生じる事ができるのか、
それとも条件AにおいてBという意思を生じ、条件A’においてB’という意思を生じるのか知る手段はありません。

ただし、恣意的に「自由」とか「意思」の定義を操作する事で
むりやりどちらかへ決着する事は可能でしょう。
0189考える名無しさんNGNG
一元論と捉える限り個々の人間に完全なる自由意志はないだろうね。
二元論以上と捉えるなありそうだが。
個人的には人の意志なんて決定論的であってほしいと思う。
0190考える名無しさんNGNG
>>185

カント >>125

何の自由か、について。
(1)自然(石とそれをぶつけたものが中心)
(2)ぶつけた人(人じゃなくてもいいが)
(3)観測者(割れ方の可能性を考えた人)

(3)は論外。別に石が割れることに携わってない。
(2)は、この場合(1)の自然に含まれる。
割ることの一連の流れに携わっているだけ。
(1)によって決定されているなら、それは単なる決定論。

自由を委ねるものがないと思うが。

考えるなら意思の自由を考えた方が。
0191考える名無しさんNGNG
>>189
それってただ単に世界が決定されたものなら自由意思はないって言っているのと同じじゃないの?
用語を使えばいいってもんじゃないのよボウヤ。
0192ルサンチマン伊藤NGNG
>>188
>「自由意思があるかどうかはわからない」で決定
そんな簡単に終わらせたらつまらなくなっちゃう。
自由意志があると証明するのは、決定論であると証明するより分が悪いのです。
>人物1が条件AにおいてBという意思またはB’という意思を生じる事ができるのか
まず、BとB’が条件Aから生じることを証明しなければなりませんが、
このときAはよく似たA’でもA”でもないAであることを証明してはじめて自由意志を問う資格ができるのです。
例えるなら、宇宙に行ってもないのに「地球は青かった」なんて証言するのがおかしいようなものです。
0193メタリカ伊藤政則NGNG
名スレ。
0194考える名無しさんNGNG
自由意志なく、その場その場の脳の現象で将来に至るのか?
今日の晩御飯何食べようかは、自由に選んだように見えて実は脳に支配されている、
(例えば)脳が欲しがる養分を含んだ食べ物を自然に選ばされているレベルなら自由意志はないでもよいと思うよ。
でも、将来何をしたいか、どう生きて、どう死にたいかも脳に支配されているの?
魂はないの?あるっていったらだめなの?
脳は魂が操るコンピューターだ、っていったら神秘主義者だと馬鹿にする?だめ?
快楽、欲望を抑えて修行したりすることは自由意志の、魂の表れではないの?
断食とかさ。そんなことしたことないけどさ。

http://www.hpfree.com/utuutu/utun.htm
0195電波君NGNG
物理法則をつかさどる神(仮)にとって
自由意志などという概念すら存在しないでしょう。
その概念を理解できるのは人間だけです。
では人間の立場にたって見てみましょう。
存在します。なぜなら存在すると信じるからです。
0196134NGNG
グウグルで自由意志と決定論」
あるいは「自由意思と決定論」で検索してみました。

http://homepage1.nifty.com/manikana/logos/kakologos1.html#jiyuu
サッカーのアナロジー。

http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~sasaki/interest/diary/mukashi0202F.html
この人の結論は
「決定論が正しいか、自由意志論が正しいか、は人生の生き方問題である。そして、あなたが少しでも人生を主体的に生きたいと願うのならば、あなたにとって決定論は偽であるのである。 」
0197134NGNG
これはどちらかというと「自由意思と決定論」
の言説に対する立場ですが

http://kakikakijapan.com/what%20is%20history.html
EHカー「歴史とは何か」まとめ。
「まず歴史の研究は「なぜ」を問い続ける原因の研究であると強調する。
その上で原因を考える上での自由意志と決定論の問題、合理的原因と偶然的原因に触れ、
これらの判断は、説明の目的に関わり、目的は必然的に価値判断を含むため、
ここでも歴史の二重機能と呼んだ現象が起こるとする。」
0198134NGNG
さらにこれはもっとシニカル。
「議論継続のための「擬似問題」であって、最終的な解決は原理的にあり得ない。」
そうです。

http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/ESSAY/SYAKAI/6.html
「言説過程」

「… このような他者との関係は、問題の共同仮構と、議論の絶えざる継続によって
維持される。問題の共有とこれをめぐる果てしない議論にって形成される共同体、い
わば「議論共同体」が、探究する精神たちが相互の「理解」を通じて実践性への契機
を不断に自己の内部に繰り込む場なのである。
 ここで言う問題とは、たとえば「社会の自然状態」という仮構の設定を介して繰り
広げられる社会秩序形成の原形式をめぐる問題であり、あるいは「運命」という観念
の舞台上で展開される自由意志と決定論の相克をめぐる問題のことである。これらは
いずれも議論継続のための「擬似問題」であって、最終的な解決は原理的にあり得な
い。探究する精神たちはこれらの問題をめぐる議論を通じて、あらゆる事象に理解可
能性の刻印を刻みつけ関係性の管理を及ぼすことによって、科学法則に関する命題で
あれ社会現象に対する仮説であれ──あるいは伝説・民話・神話・スキャンダルであ
れ──なんらかの「説話」を共同制作し、「説話」自体を新たな問題としてとらえ直
し、さらなる議論の過程へと繰り入れるのである。そしてこの永久運動的な探究を通
じて、個々の精神は議論共同体の外部に論証不可能な、しかし確実に存在するものと
して高次の精神を見出し、そこから無尽蔵の力を自己の内部に汲み取るのである。」
0199134NGNG
とはいえ、歴史的に皆さん頭をなやませてきたわけで。

http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/ESSAY/TETUGAKU/4.html
霊性の学としての組織論
「 実在としての組織は生きている状態にあるかぎり部分の総和を超えており、そこ
に力を供出する人々に「言葉で説明できないような劇的、審美的な感情」(p.xxxiv)
を経験させる。バ−ナ−ドはそれを「組織感 the sense of organization」、 「共
同体意識 communal sense」(p.170)あるいは「全体感 the sense of the whole」
(p.235)と表現する。諸部分がその独自性を失わず全体との弁証法的対立を経て一つ
の実在のうちに融合しているとき、そこにはかつてレヴィ=ブリュルが未開人の原始
心性を説明するために提唱した「融即律 principe de participation」(3)に似た原
理が作用しているであろう。このような融合の最高段階において協働をめぐる自由意
思と決定論の相克はパラドキシカルな関係をとり結び、人々は神との合一を意味する
キリスト教カトリックの儀式である聖体拝領が象徴する「精神的結合 communion」の
状態へと移行するであろう(pp.295-6)。」
0200134NGNG
「議論継続のための「擬似問題」であって、最終的な解決は原理的にあり得ない。」

なんて断言されると、
まさにここの状況を指摘されているような気になります。

とはいえ、なぜ「原理的に無理」
なのか。

ひとつはどなたかがおっしゃたように
「自由は無に等しい」
というパラドックスでしょう。だとしたら意志はどこにあるのだ、
ということになるから。

原理的にはそうだけれど、再び私の問題を書いておきます。

決定されているけれどもなんとなく自由ではある。
(実感)
これを論理的に説明するにはどうしたらいいんだ??

というわけで昨日の課題はまだうちゃってあります。
0201ルサンチマンな名無しNGNG
>>194
決定論は脳に支配されているんじゃないよ。
もっとたち悪いことに「過去の出来事」に支配されているんだよ.
>魂はないの?あるっていったらだめなの?
>脳は魂が操るコンピューターだ、っていったら神秘主義者だと馬鹿にする?だめ?
>快楽、欲望を抑えて修行したりすることは自由意志の、魂の表れではないの?
たとえ決定論だとしても,自由を感じたりするのは確かだ。
認識論的には自由がある・自由を感じる,と言う事は否定できない。
しかし,今僕は存在論的に人間の自由意志を認めることは出来ない。自由意志論は論理が破たんしてるから。
自由意志の存在を整合的に論じて説得してみてください。
場合によっては宗旨変えするかも?

0202134NGNG
>186 ルサンチマン伊藤氏

「人間の認識が甘いために自分は自由であると勘違いしているのではないか。」

という点ですが、私は勘違いしていないつもりですが。
(って本人に勘違いしているって
いわれている手前買い言葉みたいですが、以下)

先日の考え方

グループA−>グループB

というあいまいな因果関係を許容すれば
「だから自由である」
ということになりませんか。

このあたりから181氏の問題を掘り下げることができればよいのだが。
0203ルサンチマン伊藤NGNG
>>200
134氏へ
あせらずに考えてみてください。まだ時間はありますから。
しかし,今日は今日のバイトのためにもう寝ます。おやすみzzz
0204134NGNG
>203

そうですね。

議論の土俵をカテゴリー化して整理するところからしたほうが
いいかもしれない。
「この立場だったらこうである」
という分類が可能なはずです。

0205ルサンチマン伊藤NGNG
>>201
134氏へ
寝ようと思ったけどレスがきたので返答します.
>「人間の認識が甘いために自分は自由であると勘違いしているのではないか。」
これは「人間の認識が甘いためにその人間自身が自由であると錯覚しているのではないか」と言う意味です.
>グループA−>グループB
>というあいまいな因果関係を許容すれば
>「だから自由である」
>ということになりませんか。
この意見は存在論的に論じているのでしょうか?
もしそうだとしたら,
A(A1∩A2∩A3・・・)→B(B1∩B2∩B3・・・)という式が成立するはずです.
これでも結局はA→B=(A1→B1.∩.A2→B2.∩.A3→B3・・・)という可能性を否定できないんです.
ただし,A1→B1とかのミクロな因果関係は不可知であるかもしれないが。
けれども,不可知だからといって因果関係は存在する。たとえ明日人間だけが滅んだとしても,氷が水になる現象は否定できないから.
したがって,ミクロの世界に目を向けたときの決定論は依然残ります.
さてそこで,181氏が述べておられた自由は認識論的な自由なんです.
たとえ決定論であっても,人間が自由を感じる,自由を信じることは別の話ですから.
このようにして決定論と自由は両立するのです.



0206ルサンチマン伊藤NGNG
134氏へ
タイミング悪かったね。
ゆっくり考えてといいながら返答してしまいました。
今度こそ寝るから。おやすみ〜。
0207134NGNG
>205
了解です。
とてもよい説明です。わかりました。

わかりましたというのは二重で、
私が何を説明したいのかもわかりかけてきた。

何度もルサンチマン伊藤氏が繰り返し指摘してくれたように、
私の議論は認識論と存在論があいまいなようになっている。
どちらかというと、認識論が存在論に浸潤している誤謬です。

しかし私が説明したいのは存在論として
あいまいな処理(グループ処理)
を考察することが必要なのではないか、という点なのです。
ここを攻めなくてはいけない。

0208134NGNG
自分向けでもあるのですが、
今思っているヒントを書いておきます。
今頭のなかで想像しているのは超分子構造です。
Proteomicsと最近では言ったりしますが。
このところの生物学は20年来分子生物学的に
蛋白質を網羅してきたけれども、その蛋白質の
機能からたとえば細胞の機能を直接説明できなかったりします。
あるいは同じ機能をもつ異種の蛋白質があったりする。
そこで、蛋白質個々をみつめるのではなく
いろいろな蛋白質が集合した状態(超分子構造)
を、その集合した状態そのままで扱わなくてはいけないのではないか、
と考えられ始めている。

ポイントは、超分子構造として考えないと
説明できない性質がある、という点です。

ここまで書いて今日は冷却。

ではでは。
0209134NGNG
もうひとつメモ。

グループとしてのみ立ち現れる性質(現象)は
グループの構成要素を前提としたときにも
無から現れた有であるといえる。
0210つんNGNG
難しい言葉は嫌いだ。やさしく論じよう。
で、決定論っていうのはなに?過去に人間が支配されていると言うこと?
過去の出来事が脳にインプットされていてその判断があたかも自分ですべてを決めているかのようになるってこと?
じゃあ僕は断食したことはない。明日からしようと思う。でする。
それは魂による肉体・脳(欲望)への反抗と僕は考える。魂を肯定しているから。
で、脳がすべてだとするなら、それは今までしたことのないことをしてみる時期になったと言う判断を脳が下したということになるのかな?
で、それがあたかも自由意志に感じてしまうと。
なんか変でない?明日から断食するかもしれないししないかもしれない。そんなもん自由意志じゃん。さじ加減じゃん。
でも葛藤はある。食べたいと思うし、何の意味もないからしないほうがいいとは考える。
心のという現象は魂と肉体からくる欲望との葛藤ではないのかと思うんですが。
人間には魂が宿っている。だから本能に対抗できる。本能のままに生きること、快楽に流される生き方をしていればそれは
肉体(脳)に魂が負けていると言うことでは?
魂の肯定をしたほうがいいのでは?科学的に考えすぎるあまりなんか見失ってるのでは?現在の哲学は。
プラトンがただしいのでは?
これが僕の考えです。
0211つんNGNG
こういう言葉で書くと馬鹿っぽいのかな。難しい言葉で何を言ってるのかわからないので誰かやさしい言葉で
自由意志・魂を否定してくれたらうれしいです。面白そうだから。
0212つんNGNG
プラトンは魂の優劣をつけましたよね。よりよい魂はこの世にないものを求めると。
イデアの記憶が多く残った魂か。それによっていろんな生き方があると。
魂があるからこそ人間は愛だとか友情だとかにこだわってしまうんではないかと思うんだけど。
どうですか?プラトンのイデア論とかは。古い?(笑)
0213134NGNG
>210
他人の言葉はむずかしいですよね。
まあ、だから自分の言葉で考えて納得しようとするわけで
私もさんざん自分流の言葉でいろいろ書いているわけです。

つんさんもだから自分のことばで説明しようとすればいいわけです。

>211で、誰かやさしい言葉で魂を否定して欲しい、と書いていますが、
もっとも簡単に納得する方法は自分で考えて自分なりに納得すること
だと思います。言葉はなんであれ、論理的だったらよい。

ただ考えるのには一人で考えるより
だれかがいたほうがいい。他人に説明しようとしているうちに
自分が説明され始めるのです。
0214134NGNG
>210
意志は自由か、決定されているかという問題はどうやら歴史的に何度も
繰り返されてきた議論です。しかし最後にはいつも
結論はでない、という話になってきた。
だからこのことを考えるのは無駄だ、という考え方もある。

しかし、それは誰か他の(過去の)人間の結論であって
私やあなたの結論ではないのです。
同じ結論に至るとは限らない。

さて、そんなわけでこんな質問をします。
ちなみに「だってそうじゃん」ではダメです。

>210では肉体と魂が敵対するものとして書かれています。
なぜ肉体と魂を分けて考えるのでしょうか。
魂は肉体の一部である、とはいえませんか。
0215考える名無しさんNGNG
>>191はアレだが>>189の通り一元論か二元論かの問題は重要ではないかな?
0216考える名無しさんNGNG
>>215
なぜどうしてどのようにそう思うのかを書かずにそんなつぶやきだけ書くと、
実は一元論も二元論も知らないのでは?とか思っちゃうぞ。
>>215=>>189?プッ。からかわれた意味がわかったらちゃんと意見せよ。
0217考える名無しさんNGNG
(占いを好む人が多いという事は、決定論が好きな人って多いのかな。)
0218つんNGNG
自分の頭で考えて納得した結論が魂が脳みそ(肉体)とは別次元のものなんじゃ?っていう二元論(?)なんですよね。
でもそんなこといったらただの神秘主義者なんでしょ?現在では。
だから現存の哲学好きたちに魂なんて肉体なしには存在しないっていう意見をわかりやすく証明して欲しいんですよね。
どうして魂がないと言いきれるのか。科学は何を証明したのか。できてないんじゃないのか?と。
簡単な心の現象だけだったら脳みそだけでも納得できるんです。
でも自由意志とか、自分の生き方を思考するとき、魂が別次元にあるんじゃ?とか思ってしまうわけです。
みなさんはすべて脳が起こす現象だ自由意志など思い込みだと思ってるんですか?所詮肉体の快楽、脳が満足いくように動かされていると?
性欲を考えるとたまにそんなことも思うけど。
どうなんでしょうか。魂持ち出したほうがいろいろ納得できるんですけど。
0219礙礙礙NGNG
脳でもなんでも良いけど、決定論的機械上には「決定論」を
直接表象し得ない。「可能性」を直接表象できないからだ。

したがって、思考が決定論的基盤を持つという前提は、思考
が非決定論的に振舞う可能性としての自由意思の一面を、否
定できない。

この矛盾を回避するのに、二つの処方が考えられる。

1:各表象の同一性を前提としない
2:自己言及を禁止する

後者の処方は、恣意的な二元論の入り込む余地を残すので、
私は前者を支持する。
0220つんNGNG
うーんむずい。辞書持ち出さないとよめん。どなたか自由意志に関するお勧めの本教えてください。
こども時代を考えるとやはり魂は肉体、脳の成長からくるものなのかな。
うーんわからん。
昔の哲学者はなぜ魂を持ち出したのですか?科学が発達してなかったから?
0221考える名無しさんNGNG
>>218=>>215=>>189?
「『心身二元論』を支持する自分としては、心・意思は肉体から独立しており
 たとえ肉体が決定論的に動作しようとも意思は自由でありえると思う。
 心身二元論を支持する理由は自分なりに考えたつもりだけど
 理屈じゃ説明できません。ドンと辛苦。フィーる!!」
と言いたかったわけか。はいはい。
そう聞いてみるとたしかに>>191のコメントは間違えたよ。すまん。
思っていたよりもっとアホ草い。

ついでに私もフィーリングで話してしまうと、
魂っていうのは根本的な性質であって表面的な心理的現象とは違うと思うのだが。
子供のときも今も根本的なキャラってあまり変わらない気がするんだが、
そういう自分らしさを生み出している根本みたいなものを
魂と呼びたい。
だから肉体とともに成長ってのは違和感を覚える。
心は成長するだろうけどね。
えーとつまり肉体のゲノムに対応するものとして
精神の魂を考えるという具合。
ドンと新句!ふぃーる!
しかし基本的な思考パターンっていうのもやはり、幼時から
徐々に作られていくものなのかな。
0222考える名無しさんNGNG
>>220

Th.ホッブズ『自由と必然』
I.カント『純粋理性批判』
H-L.ベルクソン『時間と自由』
中島義道『時間と自由』
植村恒一郎『時間の本性』
0223考える名無しさんNGNG
存在論的自由と認識論的自由の違いが解らないのですが、
とりあえず「意志が自由たりえること」と「意志が自由だと感じること」の相違について。

物理学や実証的心理学など(の大部分)のように、決定論の立場からすれば、
意志の自由は、人間がそう感じているに過ぎないものとなります。

私は、意志の自由は、人間が内側からの視点をもつ限り、必ずあるものだと考えます。
ここで「内側」は肉体的な比喩であって、別に身体に魂が入っているとか考えてるのではありません。
「行為の主体となるような意志を持つ限り」ということになりますが、
これは「意志を持つその人が行為の主体になる限り」ということを指すわけではありません。
結果的に同じことだとしても、まず初めから混同してはいけないと思います。
「意志の自由」から「行為」までは飛躍があるからです(ただしこの主張において、ってことになるけどね。下の段落参照)。
混同すれば、話は早いわけで、ホッブズの言い分どおりになります。

意志の自由は、人間が内側からの視点をもつ限り、必ずあるものだ、ということを言い換えると、
人間が「我」(と呼ぼうとしている)である限り、アプリオリなものである、ということです。
で、意志の自由は、時間性はないと考えます。
例えば、歌うという行為を考えてみると、歌うそのときに意志の自由が成り立っている、
つまり、歌うそのときに無条件で自由意志の因果関係が成り立っています。
「歌うそのとき」に時間の厚みがあるかどうかは関係ありません。
私たちが「歌うという行為が自由だ」というようなとき、
その意志の自由を考えると、このようなのがいちばん実感に近いように思いますが。
ただし、行為自体は、時間の流れに沿い、また(脳を含めた)身体内部の諸反応は決定論的です。
このように考えると「意志の自由」から「行為」までは飛躍があることになります。

時間性がないことに懐疑的に思う人がおるかもしれませんが、私たちは時間を意識しすぎだと思います。
だから「意志の自由は、人間がそう感じているに『過ぎない』」とか、
「意志の自由は『錯覚』である」というような言明が出てくるのではないでしょうか。
そのような否定的な言明の内容は誤ってはいないと思いますが、それを否定的に捉えることは、
時間とか、自然科学的な経験的な因果関係の偏重であると思いますが。
確かに時間は大事ですけど、それにのめり込んだばかりに起こったのが、飛ぶ矢のパラドクスじゃないでしょうか
(時間の意識しすぎの例であって、自由意志の問題とは特に関係はないです)。
ある瞬間において矢は静止しているから、時間を通して飛べないということですが、ある瞬間における矢の静止はありえません。
瞬間においては動も静もないですから。
つまり、時間性のないケースに、時間性のあるケースと同じ態度で臨んでるのがヘン。
自由意志の問題でも、同様の誤謬のせいで、自由意志が錯覚に貶められたり、
決定論と同格で張り合えばいいのに、決定論の余地でしか成立させてもらえなかったり。
0224考える名無しさんNGNG
「我」(と呼ぼうとしている)→「我」(と呼ぼうとしているもの)
0225つんNGNG
その根本的な性質である魂が肉体に宿ってるって考えたほうがしっくりいくから二元論支持なのかな。
肉体とは別次元のものがあるような気が。幽霊とかにつながっちゃうんだろうけど。
その189とかは僕じゃないですよ?
222さんどうもです。その辺の本が難しくないことを祈ります。せっかちだから一回で理解できないといらいらして(笑)
0226223NGNG
>このように考えると「意志の自由」から「行為」までは飛躍があることになります。

補足すると、意志の自由→行為の関係と、決定論的な行為の因果関係は、時間に沿っては同時に捉えられず、
ホッブズは上述の混同によって、意志の自由の方を、時間に沿う流れにキレイに押し込んでいるように見えます(かなり検討不足だが)。
0227つんNGNG
いい女を目の前にしてHしたいと思った。
これくらいなら意思なんて脳が生み出した現象だって思えるんだけど。
そんな単純な生き物でないからなぁ。
でもそんなことしか考えてない人もいるわけで(悪いとはいわないけど)それは馬鹿とかよりやっぱ
魂のイデアの記憶が薄いとかそういうほうが自分では納得できたわけで(プラトンです)
魂が外側からやってきて肉体に宿っているわけではないならどうして魂というか
その我?主体はどこからきてどこにあるんですか?やっぱ脳ってなるの?
脳は思ってるよりすごいんだと。まるで脳(欲)と意思(魂)が別次元にあるように感じさせるほど
すごいという意見なのかな?
とりあえず本読んでみます。どうもでした。
0228考える名無しさんNGNG
哲学ロボットの群れ。
0229ルサンチマン伊藤NGNG
>したがって、思考が決定論的基盤を持つという前提は、思考
>が非決定論的に振舞う可能性としての自由意思の一面を、否
>定できない。

確かにそのとおりです。たとえるなら,私は自分の中に流れている血液の流れ,胃の運動,脳の刺激と反応を感じることは出来ない。

>1:各表象の同一性を前提としない
これについてはもう少し説明をお願いします。

>>221
>魂っていうのは根本的な性質であって表面的な心理的現象とは違うと思うのだが。
>子供のときも今も根本的なキャラってあまり変わらない気がするんだが、
>そういう自分らしさを生み出している根本みたいなものを
>魂と呼びたい。
魂はその人自身の本質を表す,という説を取るのですか。肉体のゲノムに対応した精神の魂。
しかしこれだと精神の神秘性がなくなり,心身二元論の意味がなくなります。

>>223
ホッブズの「意志」というのは次のような意味なのです.
「熟慮」において,直接に行為あるいは行為の回避につながる最終的な欲求あるいは嫌悪を,私たちは「意志」と呼ぶ。
つまり、店に行ってメニューにカレーと親子丼があった。
そこでカレーと親子丼のどちらにしようか考える。
カレーがいいな,いや親子丼も捨てがたい,でも,カレーの匂いがしてきたからカレーにしようか,いやでも隣で食ってる人の親子丼もうまそうだ。
このようにカレーと親子丼の間で「熟慮」するわけだ。
「意志」と言うのはその熟慮の最後の瞬間で,店の親父に「カレー一つ」と頼む(行為する)直前の最終的な熟慮の状態(このときはカレー)を指すに過ぎない。
ホッブズにとって「意志」に特権性はない。

それと,ホッブズの「熟慮」と「意志」が時間性にとらわれるかどうか,というのは重要な問題です。
しかし少なくともホッブズは「熟慮」と「意志」が時間性にとらわれることを明言していない。
この辺は研究の余地があるでしょう。
0230ルサンチマン伊藤NGNG
>>229補足
最初は礙礙礙氏(>>219)へのコメントね
0231考える名無しさんNGNG
>>229
>ホッブズ
なるほど。ちょっと考えてみます。
0232礙礙礙NGNG
>>229

思考機械の状態・状態遷移と、思考過程とのあいだを結ぶ関係を、アプリオ
リとしない。

ということです。例としては、再認とその脳内表象との関係、アナロジーと
しては紙幣の機能とその物理的構成基盤との関係を想像していただけると、
解かり易いと思います。
0233礙礙礙NGNG
確認したい点がひとつあります。

このスレ上、つまり自由意思を論ずる文脈で「決定論」というとき、
原理的決定性のみならず原理的非決定性をも含む
としてよろしいでしょうか?

読み落としていたらごめんなさい。
0234考える名無しさんNGNG
人間は、あらゆる状況に突き動かされていると思う。(と思う。以下省略)
あらゆる能動(と思い込んでいるもの)は根本的な受動に動かされている。

例えば、ここにケーキがある。貴方ならどうするか。
もし食べるなら、それは自由意志で選んだ(つもり)だろうが、
ケーキが好きな場合、満腹でない場合(満腹でも別腹ってのは置いといて)、
品質保持期限が切れていない、などの
あらゆる「状況」に(深層的に)突き動かされた筈である。
もし食べないを選択した場合はその逆である。

コギト・エルゴ・スム(我思う、故に我在り)の(デカルトの)言葉すら、
考える事象がある。疑問に思った(その事象があったから)。
という状況に動かされて「考えた」のである。

時に考える「状況」、時に選択を求められる「状況」、時に発言する「状況」
あらゆる事象にあらゆる原因がある。
原因の無い出来事はないのである。
それは人間の行動一つとってもそうである。
自由とは元々存在しない物である。
0235考える名無しさんNGNG
>>234
ホッブズへの反論にもカントへの反論にもなってないし、
cogito ergo sumを誤解してもいる、と思うのだが……
0236234NGNG
すいません。
どっちにも反論したつもりはありません。
0237考える名無しさんNGNG
スピノザ、ゲーテなんかは一元論的汎神論になるのかな?
仏教の無我に似ている。
ウィトゲンシュタインなんかの無主体論なんかも同じようなものか。
0238ルサンチマン伊藤NGNG
>>233
存在論的に自由意志を認めるなら,原理的非決定性を認めなければならない。
逆に存在論的に決定論ならば原理的決定性を認めなければならない。

それはさておき,存在論的な自由意志をどのように正当化するか,ということだが,
可能世界を用いたらどうだろうか。ライプニッツの可能世界論をわかりやすく説明してくれる人大募集。
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