【謝謝】多謝台湾オフ会&謝謝台湾パレード【多謝】
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0034エージェント・774
2011/12/13(火) 10:07:39.10ID:yXth5uRN支那事変前昭和10年、小学生で日本国内に引き上げ苦労し、晩年になって
生まれ育った台湾を訪ねる事ができました。
日本治世を離れ30余年、記憶を辿って生まれた田舎町に立っていると
一人の老婆が近づいてきて「知っとるよ」と。
日本語で「クニオだろ、郵便局のむすこ、、」と声をかけてこられたそうです。
台湾を小学生小学生で離れ、その時は初老になっていた父でしたが、
郵便局長で赴任していた祖父の面差しで声をかけられたそうです。
事情を知った町の人たちが、役場と小学校に連れていってくれて、当時の資料を探してくれた上に、
なんとその夜は小学校の同級生を捜して宴席を設けて歓迎してくれました。
帰国後、町の人たちと手紙の行き来が続き、賀状、歳暮の往復の続きました。
私の家には、毎年、彼らから届く台湾のカレンダーが掛けられていました。
その後も何度か台湾を訪ね、最晩年は私も一度付き添いでいきました。
台湾が豊かになって、町の人たちがツアーで日本を訪れ、こちらを訪ねていただいたこともあります。
数日前から家族総出で返礼の宴の準備に走り回り、父に戴いたご好意にお礼をしました。
若い(と言っても中年)の人は日本語をご存じないので、
彼らの中で戦前の日本小学校で学ばれたご老人が、綺麗な日本語で通訳をしてくれました。
これは大正、昭和初期、
台湾北東部、首都台北から80kmほど、羅東の五結という小さな町で暮らし、
子供を生み育てた日本の田舎の下級郵便局員の家族の話です。
私は、戦前の日本政府の台湾統治の評価をする立場でも識者でもありません、
当時の亡父の年齢を越えました。
このスレをみつけ思い出し、自分のメモのつもりで書きました。長文失礼しました。
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