社会運動とはどうやって社会に共感してもらえるかの原理原則の
青写真が緻密であるか正確であるかでその質と行く末が決定する。

運動内容が極端であれば共感する人々も極端な者に限られてしまうのは
道理である。

そこすら理解できないのが>>822に書いたような人の気質であることが
g2記事からも如実に浮かび上がった。

人が成長するにはまず自分の過去と向き合い認知することが
その第一歩となるのは自明。
それができない人々が集まって行われる運動では
運動自体の過去と向き合い認知する作業も難しいであろうとの予測は
それを冷静に観察しているもの達の目には必然として写るだろう。

いつまでぐるぐるまわるのかしらんけど、
なんともはやその観察にもそろそろ秋田よ。

それが私の行動界隈に対する最後の所見である。