【ウイグル】東トルキスタンオフ総合【Uyghur】 6
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0421エージェント・774
2010/01/24(日) 15:13:27ID:sA+nQCquhttp://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp:8080/dspace/bitstream/123456789/1258/3/rekisikenkyu30_p123-168.pdf
(3)第三次調査
第三次調査は翌1981年5月5日から6月25日まで行われた。5月5日、調査隊は烏魯木斉(ウイグル)を車で出発し、
その日の晩、ML基地に到着した。そこで、設備や食料等の準備をするとともに、考察路線について駐軍司令と
打ち合わせを行った。今回の考察の任務はこれまで二回の調査と比べて更に困難なものであった。徹底的に
ロプノールの神秘をあばくために、地理・地質・動物・植物・土壌など種々の専門的資料を全て掌握しなければ
ならなかったし、第一次調査の路線を避け、新たな路線を開拓してロプノール湖盆に進入し、湖盆進入後、
第一次調査の路線をもう一度通って更に豊富な収穫を得なければならなかった。打ち合わせの際、駐軍司令は
考察隊の計画に一面で賛同するとともに、一面で新たな情況を付け加えた。それは、新路線が軍事的禁区の
中心地帯「ゼロ・ポイント」、すなわち最も厳重な放射能汚染区を通過しなければならないというものであった。(脚注)
夏訓誠は、「(通過の際は)車のドアをピッタリ閉めなければならない」「急いで通過しなければならない」
などの司令の配慮をすべて了解した。細かく尋ねるまでもなく、その危害は、「ヒロシマ」の惨禍で明瞭であり、
また、1950年代中期にアメリカの沙漠中の「ゼロ・ポイント」撮影に参加した者四十数人のほとんどが死亡した
というアメリカで聞いた話が脳裏に甦った。同時に前回のロプノール調査は「ゼロ・ポイント」を数百km
(数十kmか百数kmの誤りか)離れていたが、調査後、副院長の〜(以下略)
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