昔の左翼がマルクスレーニン主義を捨てたら左翼のアイデンティティー崩壊みたいな側面はあったけど、今の保守派や右翼は支那や朝鮮って呼ぶことがアイデンティティーにでもなってるの?
どうしてもそこは譲れない一線か?
差別主義者のレッテルを貼られるリスクを背負ってまで拘る言葉なのだろうか。実際、反日左翼はその作戦で在特会の規模拡大を押さえようとしてるように見えるけどね。

つまらない拘りで逃してる事が多い気がする。デモで支那や朝鮮って使ってたらデモがマスメディアに取り上げられることもないと思う。
行動する保守の代名詞が在特会になった以上、イメージ戦略などは一度考え直す時期にきてるんじゃないかなぁ。