【台湾】NHKスペシャルの偏向報道を許さないOFF 6
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0437エージェント・774
2009/05/27(水) 20:14:29ID:sJ6f/iFK二 原告 盧滿妹
1 それまでの生活
原告廬は一九二六年(大正一五年)九月二九日に新竹県湖口郷
の出身父盧慶彬、母盧羅六妹の間に出生し三歳の時に父のいとこ
の家に養女として売られ養父盧金火、養母盧荘茶妹に育てられた。
実親養親とも他家の茶摘みをしながら傘を売って新竹県近辺を
転々として生活しており出生した場所は不明である。原告盧は新
竹の関西で小学三年の一〇歳まで通ったが、読み書きはできない。
養父母は双方とも五〇歳を過ぎていたので原告盧も傘を売る仕
事や茶摘みの日雇いをして家計を支えたが生活は、大層貧しいも
のであった。
2 徴集時の状況
原告盧が一七歳(一九四三年)のころ、竹北で旅館を経営して
いた鐘が、海南島の日本人のやっている食堂が給仕を探していて、
台湾で働くよりも給料は高いし、一年だけでもいいと誘われたの
で、原告盧は海南島に行くことに決めた。当時、生活が苦しかっ
たので、給料が高いということに心が動いた。
仕事は食堂の給仕で料理を運んだり掃除をしたりするというこ
とだった。
3 連行の場所やその状況
高雄へまず連行されたが、そのとき旗山、台北、新竹などの
出身の女性を三〜四〇人鐘がつれて行き、高雄で日本人の子供
連れの夫婦に代わった。
高雄から乗ったのは軍艦で、一週間ほどで海南島の檎林に到
着した。
檎林で船を下りてトラックと徒歩で紅砂まで行かれた。
到着した所には、まだ建物もなかったが、一週間後に通路を
挟んで両側に小さな部屋が二〇〜三〇ある建物が建ってゆき、
その一部屋を当てがわれた時、初めて原告盧が連れて行かれた
所が食堂ではなく「慰安所」だということを知った。その場所
は元墓地で骨が出た。建物は、日本式の宿舎で、板で仕切られ
畳の寝床があった。
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