>>65 ペマ・ギャルポが代表を辞めさせられたのは、事務所のカネ(Ωの麻原からもらった分)を使い込んでたのがバレたから。

ダライ・ラマはこのカネの回収のために、わざわざ親類を東京に送ったが、ペマは事務所に篭城したりして抵抗したんで、両者の関係はこの時から断絶して、ペマの弟が間に立つ形になってる。

野良犬状態になったペマは、この頃から民主化した後のモンゴルに出入りするようになり、今ではモンゴル大統領顧問を名乗ってるが、顧問としての実態は不明w

ペマが麻原と絶縁してたとか言い出したのは、事件後ずいぶん時間が経ってからの事で、警察がΩ潰しに動いてた時にはコソコソ逃げまわってた。

Ωの麻原をチビット亡命政府に“高いステージにある修行者”として紹介したのはペマ・ギャルポだったけど、麻原の能力を認めて“最後の弟子”とか言って可愛がった(正直キモイ)のはダライ・ラマ(ゲルク派)とカル・リンポチェ(ニンマ派)の両高僧。

麻原は高齢だったカル・リンポチェの後継者となる事を狙い、ダラムサラのニンマ派道場でΩの教義で最も影響を受けていたニンマ派の教義と秘儀の習得に努めている。

両高僧の寵愛(度々キモイ)と権威付け&秘儀伝授の見返りに、2億円近い現金をはじめ亡命政府の東京事務所の経費など多額の献金を続けたが、
カル・リンポチェの死後の跡目争いに自分の娘が同僧の転生だと主張して参加(日本でのΩの勢力拡大を見て、ダライ・ラマは麻原の主張に同調していた)し、ダラムサラのニンマ派後継者の僧侶グループとモメ始めた頃に摘発された。

Ωの摘発後、ダラムサラ内ではΩとの関係には緘口令が敷かれたが、公然と麻原批判をしたのは現在のニンマ派で権力を握った方の僧侶グループだけ。

各宗派の寄せ集め状態であるダラム・サラ内部では、僧侶グループの内部抗争が激烈で、10年くらい前にはグルを名乗った僧侶が殺害される事件なんかも起きている。

こうした僧院内部の綻びが、俗人にも影響を与えて、ダライ・ラマの政治姿勢を批判する独立派の若い連中が欧米のNGOと結託して暴走し、去年の暴動に至っている。