ラマ教の活仏といわれたダライ・ラマ十四世は、チベット自治区
主席に任ぜられ、中央人民政府にも参加していたが、このとき反動
的貴族・僧侶集団とともに、外国の勢力と結託して、突如反乱を起
こした。しかし、まもなく人民解放軍の反撃に逢ってダライはイン
ドに亡命、民主改革の条件がととのって、百万の農奴が開放された
のである。そのあと農奴たちは集団化の道をあゆみはじめ、農業区
・牧畜区をつうじて人民公社が組織されるにいたった。現在、穀物
の生産高と家畜の頭数は民主改革前の倍以上にふえ、工業も興され、
人口も二十万余増加している。