その上で、誰が言ったのかは分かりませんが、
>>772のような発言には腹を立てています。メチャクチャ怒っています。
上記で論じられたこともあるし、そもそも人様からの物を預かる人間としてどうかと思います。
製造業なんかだって、部品やさんが部品を作って、それを仕入れて、加工して、
製品として出荷するわけじゃないですか。その時に「隣の部署シラネ」って態度だと、
なにか問題が生じた時にどこに変更を加えたら問題解決に繋がるかが分からない人になってしまうと思うんです。
逆に、「自分担当」で問題が生じた時にだけ協力を得ようだなんて虫が良すぎる話です。
私はそういう風にはなりたくない。
結果も重要だけど結果が全てではないと思うし、数字では測れない過程があって、
だからこそ折り鶴という活動に魅かれました。
大事にお預かりした鶴を、そういう気持ちでいる人に配布活動の為に渡すのには抵抗があります。

>>937
一応は自分達に手を差し伸べてくれる
人達だから無下に断る事は出来なかったのかもしれない。
と言う可能性もあったかも知れませんね。
そういう所まで考えられての行動だったのでしょうか?
許可貰った-!やった-。
と、浮かれていたのではありませんか?

いいえ。
ネガティブなことは言いたくなかったのですが、長野では心身ともに打ちのめされ、
ちょっと休みたいという気持ちがあったことは否認しません。
どこでどうして「浮かれる」という発想が出てくるのでしょうか。
でも、確かにそこで逆に燃えていたのも事実です。
ここで止めたら負けだ、みたいな。継続していきたい、という気持ちも。
でも、流石にデモ中に配布ってどうよ?無理だったら普通にデモ参加でもよくね?
って感じになって、ダメ元で主催者に連絡を取ってくれた人がいたんです。
その方が私の連絡先を先方にお教えして(なぜだw)、お電話を頂戴しました。
その時に掛けていただいた言葉は、概ね次のようなものです。

「鶴は目にしています。集会やデモの時にプレゼント(スンドゥ)やパンフレットと一緒に
配ることができないかと思っていました。」

私が電話口に出た時点では話は殆ど説明済みだったようなので、話を切り出した際の詳細は分かりませんが
だから、多分押し付けではないと思います。

(ちなみに集会出席予定者が1000人超えで、鶴の数は2,500くらいだったので
一般の方への配布優先という考えなのかな?入場者にはその時点では配布していないと思います。)

私は、もう一度原点に立ち返った上で今まで得た経験値を生かして今後の活動に繋げたいと思っているんだけど、
それぞれ色々な考え方があってもいいと思います。
みんな自分の道を行けばいいと思います。
自分にできることを精一杯していたら、改善点を発見しながらも胸を張れる筈だと思います。
人の意見を聞いたときも、そりゃ全てを受け入れられる訳ではないでしょうけれど
目から鱗が落ちたような気持ちになることもあるはずです。
時には第三者の意見は、自分が経験を通じて得たものよりも尊いことがあります。
私も私の道を行きます。折り鶴も続けますし、ほかの事もしたい。
柔軟さを失わずにやって行きたいと思います。

これから長くチベット活動に関わって行く仲間なのですから、どこかでお会いすることもあるかと思います。
笑顔でチベットの事を話せるように、今回のことも含めて話せるようになる日が
いつか来ることを心から願っています。

最後に(ホントの最後か、このレスの最後かは分からないけど)大変お世話になりました。
このスレの存在を通して、チベット問題に対して行動を起こすきっかけをもらいました。
ありがとう。