中共がとか、日本に入ってきたなんて
そんな過剰な反応はとんでもないよ。
いや青い警備団とかは走者や抗議派両方の人権をおかす可能性もあるので
それは危惧だけど。

それよりも善光寺においてのこの問題は、人の命や悲しみに敏感であるべき教義の
仏教である寺が、五輪と言う名の元に起こされた武力弾圧や虐殺に
最初は無知だったとは言え、気が付いても『NO』を大きく公言せず
現在進行形で虐殺を隠し行う側の平和のイメージづくりに、自分も乗って
国際社会に対しての虐殺を問題としない態度をアピールしてしまう事の問題の大きさだ。

人類の平和に対して、殺戮の公認状態や無問題化は本当に悪い方向への牽引にしかならない。
中国に限らず、とある国がその目的のために虫けらのように丸腰の市民を殺すような事が
世界と言うモラルの中で、そう責められない問題という位置付けになってしまう。
その事の現在〜未来における影響の大きさ、失われる命や暴力を思ったら
ここで意見をするのが正義なのだ。
リレーをするならそれの意味を殺戮への批判に変えるほどの大きな疑問の提示も
善意の関わる側なら必要だろう。

今つかまって、責め苦を受けている人達に対して、国への反対意見を口にして
殺されるまでの扱いをされている人達に、逸脱した統治国の行為で命を落とさない様
国際的な視野で行動が認知される団体や組織には、自動的に重大な言動の責任が発生する。

善光寺は仏教寺院だ。その寺院が国際的に問題となっている
「五輪の名による開催国の一般人へ大規模虐殺、人権弾圧」に、何の関知もせず
殺戮の上に立った五輪のイベントに協力する事は、もはや国際的に中国の行ないは
批判され報道にもなっている事だから、「容認」の意味が生まれる。

人の命の尊さを説く日本の仏教寺で問題にならない事は、中国にも国際平和にも
それなりのインパクトと影響を与える事だろう。

許される許されないではなく、今非難されない事で継続する殺戮や拷問、弾圧に
STOPを言わずにどうして善光寺はいられるのかという、直接人の命がかかった事だからだ。

この問題は聖火反対騒ぎでは無い。
五輪の名で行われた開催国による大量虐殺にどう関わるかという問題だ。
知っているのに、空気や国の」方針のため触れないのは、
人の命の尊さを説く寺としてあまりにも非情すぎる行ないだから
だから責められているのだ。