労働者◆は、まるで映画の主人公のような気分なのだと思う。よく似た
傾向の人物が知人にいるので同様だと推測する。

映画であればイスに座ったままじっと2時間経てば、始まった物語は必ず
ハッピーエンドで丸く収まる。彼は、「何か物事を動かす」という事を
考えた時に、現実社会での経験や発想が未熟で希薄なイメージしかなく、
根拠もなく映画のような「主人公の成功体験」が自分にも叶えられると
思い込んでいたりするのだろう。イスに座ったまま感情移入する感覚で。

こういう場合、起承転結の「起」--即ち「何か事が始まる」という所さえ
やれば、後は「イスに座ったまま」で時間さえ経つのを待っているだけで
必ずや「成功」が約束されていると信じ込むという「極端な楽観主義状態」
に陥っていたりする。つまり「物語の始まり」は「ハッピーエンド」まで
直結しているとしか考えておらず、その間の「展開」に関しては具体的な
見通しを持たない。「どうしようもない失敗で終結する」という可能性は
一切考慮されない。

映画の演出上「苦境から大どんでん返しでハッピーエンド」となることが
多いが、その「苦境」と自らの立場を重ね合わせて「大どんでん返し」を
期待しているのかもしれない。しかし、それを狙って考え出した方法論が
「事を起こす(=本人は必ずハッピーエンドになると信じている)」という
所で止まってしまう。

社会にそういう人がいることは残念に思うから、なんとか「楽観の呪縛」
から開放してあげたいのだが、本人が自覚しないとどうにもならないのと
現実を直視すると「自暴自棄」になって如何なる努力も投げ出したりして
結局どうにもならなかったりで難しい。適切な現実視と、必要なだけ努力
をすること以外に近道は無い。