暴力、強要、無視、辱め・・・と集団の中で繰り返し行われた「いじめ」の傷跡は深い。
人間としての自尊心を奪い、連帯感を断ち切り、疑心暗鬼を生じる
そんな中で、攻撃を加える相手に対してよりも、その状況から自分を救ってくれない
教師や学校体制への不満を募らせ、いつのまにか、攻撃を加える相手に対してではなく
自分を救ってくれなかった教師や学校体制そのものに責任を転嫁していく。
さらに、いじめによる深い絶望から逃れるために、いじめられる側から、いじめる側に回る。
いじめの中心にいる者に対して、忠誠を誓い、次のターゲットを必死になって探す。
その課程で、元いじめられっ子は、自分がいじめられないために、より過激で卑劣ないじめの
方法を積極的に提案する役割を担うようになっていく。
「ぼくは、けっしていじめられっ子なんかではない、いじめたこともある。」と、異常なまでに
自分が「いじめられっ子」だったという事実をけしさろうとする。
ここに、いじめの構図が見事に浮かび上がってくる。

深い心的外傷は、その後、責任を教師や学校体制に責任を転嫁し、攻撃するだけにとどまらず、
自分が、二度と、「いじめられっ子」側の立場に立ちたくないという恐怖を生み、
マイノリティーに対する優越感として行動に結びつく。
さらに、自分のアイデンティティーを確立するために、国家主義的運動を精神のよりどころとする。
対外的には、排外主義を主張するようになる。
と、まあこんな背景があるみたいですね。
同情すべき点は多々あるけど、寂しい人生ですね。