>>100の続き
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207 名前:193 メェル:sage 投稿日:2006/01/20(金) 10:51:12 ID:x6QZFl+H0
>>195
践祚は4月11日、彰義隊に擁立された時しかありえない。践祚といっても法体のままで単なる即位宣言のようなもの。
(戦場においては儀式の有無は例外扱い。たとえば大東亜戦争中に米軍に昭和天皇が処刑または拉致された時、皇太子は防空壕
の中であってもただちに即位しなければならないが、その場合、儀式の有無は問題にならない。鳥羽伏見の戦い以来、日本は
戦時下にあった)
法体のままなのは彰義隊が敗れた場合、薩長軍の目を盗んで奥州に逃亡するためのカモフラージュ。
即位は6月15日。これは計画だけだったとの説もあるが、逸見英夫や山蔭久志などによると輪王寺宮公現法親王を東武皇帝
あるいは東武天皇と称しミカドに立てた(『東武皇帝 戊辰戦争に消えたもう一人の天皇』ほか)。中山吉弘の説によると
輪王寺宮は即位して東武天皇と称した。これは北東北戊辰戦争に従軍した山本八十吉の話(『大館戊辰戦史』93頁)、
斬殺された仙台使節の罪状書きに「尊氏の悪例」と書かれていた(『仙台戊辰史』)ことを根拠とする(中山吉弘編著
『明治維新と名参謀前山清一郎』(東京図書出版会)を参照)。当時の米国の『ニューズウィーク』も即位があったことを
報道していた。明治天皇は前年に践祚をすませていたにもかかわらず、ようやく即位したのが8月27日で、仙台藩降伏
(8月15日)の後なのは、輪王寺宮の存在の大きさがうかがわれる。

208 名前:名無しさん@6周年 メェル:sage 投稿日:2006/01/20(金) 13:31:32 ID:gPoZWaRN0
>>207
ちなみに彰義隊の崛起以後、輪王寺宮の周辺では用語がすべて在世中の天皇と同様だったことは
「明治元年/所謂「東北朝廷」成立に関する一考察 ---輪王寺宮公現法親王をめぐって---」
(藤井徳行著 昭和五十六年 北樹出版発行・学文社発売「近代日本史の新研究 �」所載)に詳しい。

210 名前:名無しさん@6周年 メェル:age 投稿日:2006/01/20(金) 15:06:04 ID:1p5i9Gc60
>>207 >>208
くわしー 解説 いっぱい あんがとー
で 輪王寺宮 て 名称は
やっぱ 幕府側が 皇族を 東叡山に 担保として とっとくみたいな
そゆー 慣習の 名残から つけられた 名称なんだろか?
能久親王は その後 台湾総督かなんか やってたとこから 見ると
新政府とは その後 上手に おつきあいになってた と 見て
いいんだろか?
いずれにしても その流れにある 竹田恒泰氏が
孝明天皇のご研究をやり 皇籍復帰に 名乗りを挙げられたこた
御一新から140年余り たって
よーやく 事態が 政治的側面から 歴史的超克へと
相対化されてくことを 意味すんだろから すばらしーことだろと思う
さよなら (続く)