誤解が生じるといっても図案は違うのでしょう。
女性用が赤で男性用が青でって,誰が決めたのですか?

無理やりかえているのでもなんでもないでしょう。罰則があるわけでもないし。
仏教では、「死」を穢れとしてはとらえていません。仏教本来の教えに従って「死」をとらえなおうそうとしているだけではないですか?
伝統的な慣習というけれど、キヨメ塩を会葬お礼と一緒に配るという「サービス」は,伝統的でもなんでもありません。地域共同体で葬儀を執り行っていたころにはそんな風習はもちろんありませんでした。
葬儀社が、商売として葬儀をとりおこなうことが一般化したころからの「サービス」だから、数十年続いただけのことでしょう。
「死」は穢れであると、君が思うなら、君の家族の葬儀の時には、あんな数グラムの塩ではなく、1キログラムくらいの塩をみさなんに配ったら済むことでしょう。
また、「死」が穢れであると思うなら、知人の葬儀など参列しない自由もあるし、自分だけ,塩を浴びればいいのでは?
ついでに、「忌中」という表示も「私たちは,家族の死によって穢れています」という意思表示なのだから、私はしないと思うけれど、君がやりたければやればすむことではありませんか?
仏教の教えがいやなら、神道の葬儀をやればいいだろうし、生長でも、幕やでも気に入った葬儀の方法を選ぶ自由があるはず。
君がそうしたいのに、まわりが強権的にそれを許さないならば,私もいっしょに戦ってあげますよ。
それから。「当たり前」という発想は、論理的ではありませんし、常識はまず疑ってかかるくらいの気持ちがないと、大きな人間にはなれませんよ。
「当たり前」「伝統的」「慣習」「無理やり」どれも、正しくないようですよ。