自分としてはあくまで本質的議論をしたいのですが
それはとりあえず置いておいて、運動論的な話をします。

論争においては、相手の大義名分を無効化してそのお株を奪ってしまうのが一番有効です。
例えば人権法案論争においては推進派の大義名分、拠り所は「差別や人権侵害を無くすためにこの法案は必要だ」というものでした。
これを主張している限り、誰も逆らうことなど出来ないと思って自信満々でいたのです。
実際は「差別」の実態は「逆差別」であったし、「人権」という概念はそもそも胡散臭いものです。
しかし、そういうことを正面から主張しても(それは戦後日本、いや近代を超克するために為さねばならぬ議論なのですが)、
誰も相手にしないどころか反発され、推進派に格好の攻撃材料を与えます。推進派はむしろ反対派がその罠に嵌るのを待っているのです。
そこで人権法案反対派はとりあえずそうした本質的議論を避け、相手の大義名分を逆に奪ってやるという戦略に出ました。
つまり「差別や人権侵害を無くすためといっているが、この法案ではそんな役には立たず、むしろ逆に差別や人権侵害を助長するではないか」
「我々こそが真に差別や人権侵害を無くそうとしているのだ。だからこんな法案は廃案にしてもっといい案を作るのだ」という論理です。
これが単なる詭弁ならば誰も相手にはしないでしょう。しかし、まさにその通りだったのです。だからこれを言われると推進派は返す言葉も無かったのです。
反対派が本来主張したかったこととは若干違った内容だったのですが、この戦略を選択したことにより、情勢は一気に反対派有利になったのです。

これを皇室典範改正論争に置き換えてみますと、
推進派の大義名分、拠り所となっているのは何か?「男女同権」なのか?いや、こんなのはお話にならない。
「陛下の思し召し」?そんなものはデタラメだということは簡単に立証できるでしょう。
推進派の唯一の拠り所は、「雅子様や愛子様の幸せのため」という女性週刊誌的な大義名分です。
その他の推進派の理屈は全部、理論的には破綻していますが、この感情論の部分だけが女系派の後ろ盾と言っていいでしょう。
つまり、この大義名分を無効化してお株を奪ってやればいいのです。
「雅子様や愛子様のためというが、はたしてこんな皇室典範改正によって雅子様や愛子様は幸せになれるのか?」
「いや、むしろ不幸になるんじゃないか?」「男系派の改正案のほうがお二人の幸せにつながるんじゃないのか?」
男系派は今後、こういう論点を前面に出していけば、女系派はさぞイヤだろうと思うのです。
「伝統」だとか「Y遺伝子」だとか、小難しい話をしていては女性誌を読んでるような層は味方になってくれません。
もともと皇室典範改正論議が始まったきっかけは「愛子様をどうしたらいいのか?」という、女性誌的視点から始まっているのです。
ですから、そういう視点を無視して、やたら高等な議論に走りすぎても、大衆は味方につけられません。

イヤかもしれませんが、男系派も議論のハードルを下げたほうがいいのかもしれません。