皇統の護持を願いネット有志が集うオフ
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0298エージェント・774
2005/12/29(木) 17:08:40ID:gbgH9NWG奈良時代、第四十八代・称徳天皇(女帝)の御代の出来事です。八世紀の中ごろから道鏡が朝廷に入り込み、
だんだんのし上がってきます。当時、称徳天皇は宇佐八幡宮を尊信していました。ところが、宇佐八幡宮の宮司
がよからぬ神に惑わされます。つまり邪神に躍らされ、「道鏡を皇位に就ければ国はたちどころに治まり、疫病
も止む」という神託を宮司と巫女(みこ)とで演出し、道鏡に報告したのです。朝廷で強大な権力を握っていた
道鏡の関心を買い、宮の位を上げようとたくらんだのです。
さすがに道鏡を重用していた称徳天皇も、あまりにも調子のよい話ではないかと疑います。皇統でない道鏡を
皇位に就けるということはゆゆしい問題です。皇祖皇宗の神々からおとがめを受けては大変なことになります。
そこで側近の和気広虫(わけの・ひろむし 七三○〜七九九年)という女官に相談しました。
「広虫、そなた宇佐八幡まで出向き、直接、神の教えを請うて来い」
「せっかくですがわたしはもう歳が歳でございます。代りに弟の清麻呂を遣わしましょう」
代役で弟を宇佐八幡に行かせます。宇佐八幡宮で鎮魂状態に入った和気清麿公は神意を伺いました。
「天津日嗣は必ず皇孫(すめみこ)を立てよ。無道の者は速やかに払い除くべし!」
清麻呂はこの神託を復命します。報告を受けた称徳天皇はやがて亡くなりますが、次の第四十九代・光仁(こうにん)天皇
のときに道鏡は捕らえられ、島流しにされます。
清麻麿公は今でも広虫といっしょに吉備(きび)の山奥の和気神社(わけじんじゃ 岡山県和気郡和気町)に祭られていま
す。そこには幽界があり現在でもお二柱は鎮座しておられます。山紫水明のなかにあるたいへん静かで清浄な社です。
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