鍛冶屋の徒弟の子孫を天皇にしようしてる売国奴

光厳天皇−崇光天皇−伏見宮栄仁親王−貞成親王−貞常親王−邦高親王
−貞敦親王−邦輔親王−邦房親王−貞清親王(断絶)
馬の骨−貞致親王(鍛冶屋の徒弟・皇室板天一坊)−邦永親王
−貞建親王−邦頼親王−貞敬親王−邦家親王−久邇宮朝彦親王−東久邇宮稔彦王

伏見宮系図
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page074.html
http://page.freett.com/keizusoko/keizu/keizu_tenno4.html

伏見宮 貞致親王
http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/seuden/seuden03.html

 「御落胤」と言われれば、つい我々は時代劇の世界を想起してしまい
そうであるが、皇族の「御落胤」が宮家の當主になった、という事例が
江戸時代において現實に存在した。即ち、承應三年(一六五四)、嗣子
のない邦道親王[伏見宮]が薨逝して伏見宮家が繼承者を缺いたとき、
「丹波國□□」の養子となっていた二十三歳の青年が、京都所司代によ
る吟味の上、伏見宮の落胤として召し出され、伏見宮を繼承した。これ
が伏見宮第十三代の貞致親王である。
〜中略〜
今日の「舊皇族」及び「元皇族」男子の家系は皆この貞致親王の後裔と
なるので、内閣總理大臣稔彦王[東久邇宮]も、山階芳麿博士も、竹田
恒和JOC會長も、皆、元「鍛冶屋の徒弟」の子孫ということと相成る
のである。
〜中略〜
 さて、伏見宮家を嗣いだ貞致親王は、宮廷社會に馴染むことは出來な
かったようである。貞致親王の夫人の弟に當る近衛基煕によると、貞致
親王は、いささか「異風人間」であり、晩年には全く宮中に赴くことは
なく、義弟の基煕とさえも會うことがないまま數年を經て薨逝したという。