支援物資として配られた古着があちこちに散乱している。中には燃やされ、黒く焦げたものも。
パキスタン地震で大きな被害を受けた北東部アザド・カシミール特別州の被災地では、
山間地の厳しい冬を目前にテント不足が深刻化し、支援の衣服が寒さをしのぐために燃やされている。

 同特別州の州都ムザファラバードから、インド側カシミール地方との境界の実効支配線(停戦ライン)
に向かって車で南東に進む。川沿いに走る道路は途中、路肩が何カ所も崩れ落ち、何かですくい取ったかのように大きくえぐれていた。
「川に落ちないだろうか」と、一抹の不安がよぎる。


 約一週間前は土砂崩れなどでムザファラバードから約十キロまでしか車で行けなかったが、地震後二週間がすぎた今回は、
さらに約二十キロ進んだ停戦ラインの手前約三十キロ付近の村、サラまで通行が可能になっていた。

 道路脇の空き地に、古着が大量に捨てられていた。少女二人が服を手に取っては投げ捨てていく。
日没後、気温が急に下がったころから、所々で古着が焼かれ、炎が上がる。
テント暮らしをする少女(14)は「服はいらない。暖を取るために焼いちゃうこともよくあるわ」。

 別の広大な空き地に、パキスタン軍の支援物資配布所があった。推定千人以上が数百メートルにわたり、蛇行した列をつくる。
夜は冷え込むのに日中は三〇度を超える暑さ。孫のマクスード君(6)と三時間並んだモハメドさん(75)が欲しいのは、厳しい環境から家族を守るテントだ。

 「家は全壊した。家族六人はずっと野宿。雨が降ると、一番下の生後六カ月の孫に覆いかぶさるようにして、一晩中寝ないんだ」とモハメドさん。
列に並ぶ住民に「欲しいものは」と聞くと、近くの数十人が一斉に「テント」と答えた。

 しかし、この日、テントは誰にも渡らなかった。「昨日は百五十張りを配ったが、今日はゼロだ」と配布所の軍責任者シャフィーク氏。
ここでは、米、豆、砂糖などの食料を配布。住民は朝三時から並び始め、最後の一人に渡るまで、夜まで配布が続く。
 シャフィーク氏は訴えた。「食料はいくらでもある。とにかくテントだ。君の国の政府や国民に、テントが必要だと伝えてくれ」