とりあえず「コンクリート」制作にかかわった面々には、売名をねらった腐臭が
感じられてならない。

あの事件を映画化するのなら、事件それ事態の経過ではなく、その後の裁判と報道
と社会の反応、知識人たちの意見表明こそが主体になるべきだったろうな。
そこにこそ、あの事件の戦慄すべき本質がある。それを見落とした時点で、制作サイド
が才能はゼロにひとしく虚栄心ばかりがカエルの喉のように肥大した連中であるのが
ばればれ。