「きっかけはどうあれ、折っているうちに分かることがある。
興味本位や名誉なんかの為だけじゃ続かねーし、数も集まるわけがない。
それは鶴折ってるヤツが一番わかるだろ?
……何も考えずに折るっていうのは案外真理をついてるのかもしれないぞ」
(平和記念公園の焼けた折り鶴14万羽折らないか?10 の480から)。

この祭の性格を考える。
この企画において、鶴を折って送る意味の議論はタブー視されている。
これは人をたくさん集めて思い通りに動かすうえで有効な手だと思う。

俺は、参加する(してしまう)前から
うすうす「金集めて学校立てよう」企画に似た違和感を感じていた。
その違和感の正体が、「偽善でもいいじゃないか」に代表される、この総白痴化現象だった。
ゴミ拾いやマトオフとは全く違う。
あれらは「何がどう面白いのか」という芯になる考えがある祭だった。
楽しむほうもそれを理解していたはずだ。

つまり、程度が低いと思うわけ。
幼稚だなと。